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掟と誠実 2 [世阿弥]

  さて、こんなこといっている御仁も、あるのではないかな?「遊びは芸の肥やし。世阿弥は生真面目で芸幅が狭いのではないか?」と。私は半分同意し、半分反対したいと思います。

  同意とは、これが世阿弥らしさということです。彼は「非道を行うべからず」と言います。猿楽とは関係のない諸芸(和歌を除く)を、学んではならないと言うのです。このとき既に世阿弥は、猿楽を「此道(この道)」と呼び、「道」思想の上に乗せています。世阿弥にしてみれば、猿楽はそんじょそこらの芸とは格が違うのです。まして遊びが、芸の肥やしになることはなかったのです。

  次に反対意見です。世阿弥は一門の長ですから、その立場から考えてみたいと思います。背景は、時の政権の庇護を受けるために、他門と争っていたことが想像されます。内心は戦国武将と同じではないでしょうか?甲斐の武田節がその気持ちをよく、表しています。

  祖霊ましますこの山河
  敵にふませてなるものか
  人は石垣人は城
  情けは味方仇は敵 仇は敵

  この後半が、全てを説明していると思います。外からの攻撃に対しては、内部の者は結束すればなんとか対抗することが出来る。だから「情けは味方」で、「人は石垣・城」にもなりうるのです。
  ところが内部の争いが起きた場合、何をもって対抗することが出来るでしょう?外からの攻撃もないのに、それで負けです。だからこそ「仇は敵」、内部の争いこそ最も手強い敵なのです。
 古人の掟に反し、分別を失った人を内部に抱えることを、世阿弥は恐れたのだと私は思います。

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