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技と心 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

  ラジオで聞いた、良い話。今は画家として成功した人の、子供時代のこと。お父さんは青年期に小磯良平を信奉する画家志望であったこともあって、6ー7才の頃、絵の家庭教師をつけられた。
  家庭教師は最初の日、一つのリンゴを描かせた。次の日も、リンゴを描かせた。そして次の日も。その次の日も。リンゴを描かせた。少年は飛行機とかを描きたかった。
 しかし家庭教師は、リンゴを描かせた。ある日は「みてごらん?」。ある日は「もっと良く、みてごらん!」と言うだけだった。
 もう今日で我慢の限界点という日、少年は気づいた。光と影があることに。パステルを使って、少年は陰影を描いた。それをみた家庭教師は、「よく出来たねー~」と、誉めてくれた。このご褒美に、動物園に連れて行ってくれた。
  そこでキリンを描くことになった。家庭教師は「キリンの手前にある木も描いてごらん?」と言った。少年はここで、木とキリンの対比で、遠近法を学んだ。
  画家は現在、その家庭教師の名も知らず、と言った。

 私はここに、はたと思う。芸術的ものをみてゆくとは、どんなことかと。技術面で高まることで、もののみかたが高まれば、技術面を追求する意味が確かになる。

  私が書道の師に学ぶことは多い。技術面はもちろんのこと、審美眼についてこそ。見た目の美しさは否定なさる。「うーん、味があるわね」、この言葉を引き出したら、その日の稽古は成功。細い線を引くとする。上手に細く書いてもダメ!そこに力が入っていなければ、「もうちょっとね!」となる。「自分の字になっている?自然体で!」とは、よく聴く言葉。

 結果最後は何事も、「自分とは何か?」が問われるのではないだろうか。かといって魂の言葉を乱用するでもなく。わびさびを絶対視するでもなく。ポップアートを楽しみつつ。何にしても内なる美の発露だと思う。

  さてここでクイズ。下の三つのどれが佐々木泰南先生の字、出水先生の字、私の字?簡単だね。ヒントは自然体と力と味の差。明快だね、比べてしまうと。



  時に我々は武道を学ばさせていただいている。他に芸道とい呼び方もある。これらを道武とか道芸と呼ぶことはない。なぜか?
  道は目的として大切ではあっても、それ自体が手段にまで成り代わることは、ない。武を忘れた武道、芸を忘れた芸道も成り立ち得ない。技を追求する中に、視点の高まりがあるかもしれない。道に至る可能性はさらに先のこと。だと、私は思う。合気道という時も同じこと。

  精進、精進。だな。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


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楽心館と楽氣の代表

takagakiさん、niceをありがとう。
by 楽心館と楽氣の代表 (2007-12-11 23:48) 

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