SSブログ

目付 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

 私の仕事で会う、老夫人があります。顧客と言うのも、当たらない。老夫人は私を敬って「先生」と、呼んで下さる。しかしそれは尊称よりも、呼称の使い方に近いと思います。だから老婦人は、弟子と言うでもない。だから、仕事で定期的に会う、としか言えない。この方は年齢なりに、目の病気を患っていました。

 「
観見二ツの見様」とは、宮本武蔵の目付けのこと。心眼を強く、肉眼を弱めにて、二眼でみること。話題の老婦人は、この観見二ツの見様」の境地に達していたのです。それは何故か?

兵法三十五箇条    宮本武蔵35の⑥ 一 目付の事目を付ると云所、昔は色々在ることなれ共、今伝る処の目付は、大体顔に付るなり。目のおさめ様は、常の目よりもすこし細き様にして、うらやかに見る也。目の玉を不動(うごかさず)、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざは不及申(もうすにおよばず)、左右両脇迄も見ゆる也、観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よはく見るべし。若(もし)又敵に知らすると云う目在り。意は目に付、心は不付物也(ものにつかざるなり)。能々吟味有べし。(この中では観を心眼、見を肉眼としている) 

  答えは、白内障だからです。光が遮られ、薄ぼんやりとしか見えない。そのぶん、想像力と感性を研ぎ澄まして、自然と心眼で観るようにならざるをえなかった。
  あまりきまじめに、読まないで下さい。半分冗談ですから。

  最近この老夫人は、白内障の手術を、お受けになりました。もちろん手術は成功。その結果、観見二眼の境地は、何処に消えてしまいました。「自分の手を見てがっかり。こんなに皺(しわ)と染みだらけなんて、思ってもいなかった」と、仰せになりました。私は「現代の浦島太郎さんに、なられたご様子ですね?」と応じて、二人愉しく笑いました。心の目で観たご自身の手は、何歳頃のイメージのままに留まっていたのでしょう。光を取り戻した目で鏡の前に立った時、玉手箱を開けた浦島さんと、同じ心境だったのかもしれません。
冗談はさておき武の場において、仮に「心眼弱く、肉眼強く」だとしたらどうでしょう。敵の身体的動きの発動に対応せざるを得ず、我は悪い意味での後手に回ります。「心眼を強く、肉眼を弱く」すると、敵の心意の起こりに対応する事ができ、我は敵の身体的動きの未発のうちに、先を取る事ができます。余裕を持って後の先を取る事も自由です。心から意。意から氣。氣から身体へ。動きの発動は伝わっていきます。心意の起こりを感(観)じるのは心眼です。氣から身体へを見るのが肉眼です。そこを武蔵は「観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よはく見るべし」としているだと思います。

 私たちのテキストの名称を、意心形心としているのは、意と形の一致を唱えたものですが、今日の話も参考になった事と思います。ではまた。DSC01225.JPG

 

  このお宅に伺うようになって、もう18年が過ぎました。会話が終わると、こうして庭を見ながらお茶をいただきます。この湯飲みと茶たくも、18年間使わせていただいてます。不思議と私の手に、馴染んでしまいました。

合気道楽心館 http://www.aiki.jp/
動画ブログ:剣柔一体 http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3
メールアドレス:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0