2011山中湖 aikido kotegaeshi, 2kyo etc 「芸に遊ぶ」には、まだまだ。 [素心]
一枚目 小手返しの基礎、掴み手に慣れるための説明として。
二枚目 小手返しの基礎、すわり技。
三枚目 呼吸技の基礎
四枚目 二教、力技から軸抜き技へ。膝と腰が、抜けないとね。
五枚目 片手取り転換動作へ、入ろうとする瞬間。足構えも、入り身の仕方も、これでいい!良くやっている!
私は「芸に遊ぶ」に、未だ至らず。こうした合宿に参加して、もう25年が過ぎましたが。
芸とは、元々は草木を植えるの意味でした。草木に関することであり、草かんむりがつけられ、本来の草木を植える意味の漢字が、今の常用漢字では省かれてしまった字です。また、芸は技という意味でも使う。
学芸とは、草木を植えることその技を学ぶことであり、芸に遊ぶとは孔子が好きな言葉でもあり、孔子は芸に遊ぶを人生の至境としていました。孔子の提示した君子像は、「道に志す」「徳に拠る」「仁に依る」につづいて「芸に遊ぶ」をあげました。
孔子の「志於道 拠於徳 依於仁 遊於芸」の一節です。
孔子曰く、正しい道を志し、徳を根拠とし、仁に依って芸(教養)のなかに遊べと。
ここで孔子の言う芸とは教養であり、学問と礼儀作法、武芸も含まれていました。
そして人への愛情、仁を大切にしつつ、そういった教養(芸)のなかに遊んで、人格の幅を広げよと。
芸事を習うということは、人として大事なものをたくさん学ぶ場でもあります。人としてとは
1、歴史・伝統の過去から未来への流れの中で、学ぶ。これは護神に通じます。
2、国家の国民として学ぶ。市民という場合、国家の対立概念なので、区別して使います。これは護国に通じます。
3、親兄弟と師匠から学ぶ。先輩後輩の中で学ぶ。これは護心に通じます。
4、身を守る術を学ぶ。これは護身に通じます。
技巧の目標は高く、人として学ぶ世界は広いものです。
こうして考えれば
修身(しゅうしん)斉家治国平天下(せいかちこくへいてんか)注)《「と、変わりない。
遊芸とは、修身斉家学芸平天下なり。
注)《「礼記」大学から》天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
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