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母の日に想う 自分なりの武産合気道思想 [家族]

先祖代々、苦労の積み重ねがあった。

母は生まれながらの、身体障害者であった。

父は大学で電気を専攻した。静岡から関東の大學へ出すことを、祖父が反対するのを押し通したと聞きました。理科の学生として、大東亜戦争の徴兵を免除されていた。これがなければ、父が存在した可能性は相当に低かった。

命のリレーを繋いでくれる、父母の出会いがあった。

私の命を産む、父母の結びがあった。

生活を自立させる、父母の質素倹約があった。

こうして、様々の力が合気結びとなって、新たに武が産まれた。これが私の武産合気道思想です。

 

 

どこまでが偶然で、どこが必然か?

自分は納得して、今の人生を生きているので、少なくとも自分からみれば、全てが必然です。

日本の良さを武道教育を通して、世界の人々に伝えてゆく。このライフスタイルは、父母の努力なくしてありえないことなので、今日あらためて感謝を伝えたい。

日々取り組む仕事がある。そして妻も子も元気に、過ごさせていただいてる。それだけで自分は、世界一幸せ者です。結果が全てと思って努力はするが、何か目標なりを達成したら、それが幸せというものでもない。

母は、生まれながらの肢体不自由な身体障害者です。そのことの苦労は、測り知れません。母の痴呆が進み、精神科の医師の問診に立ち会ったのが7年前。記憶を辿りながら母の語る子ども時代に、私は愕然としたことがありました。そんなことを幾十年も、私は知らずに接したことを、責めました。

祖父同士が農協かなにかの会合で話し合って、父母の縁談が始まったと聞いたことがあります。これも結びです。

父と障害のある母との出会いと、命を産む結びがなければ、私は存在しませんでした。

父の生涯設計は、障害のある母を抱え、いかに自立した老後を過ごすかに、目標を定めていたと思います。ですから質素倹約を常として、私も「我が家は他家より、貧しい生活である」と、当り前のように思っていました。

私を産んだ後の母の、腰に二回の大手術がありました。母の心身の苦痛と父の経済苦は、どんなに深かったことでしょう。

しかし兄と私は、何の経済的問題もなく大学まで出していただき、今も両親は介護保険制度を利用させていただきながら、経済的に独立しています。私たち兄弟に、何の経済的苦労を、かけさせません。

 

我ここに

何故かくありぬ

受け留める

先祖代々

父母の恩

 

こうして毎日、自ら選んだ仕事に邁進できるのは、先祖代々と父母の御陰です。

母には与えられるばかりで、心配をかけるばかりで、特に今の仕事をしていることについては、たいへんな心配をかけました。

お返しなど出来ていません。まだまだです。

来週には、施設を訪問したいです。


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