下手とは:「上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり」と申しますが、下手と蔕(へた)が、似てはいないかな? [世阿弥]
「上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり」という時、下手(へた)とは、あるものごとを人並みに達成できない様子で、道具などを操るときの不器用さを表現すると考えられます。
下手が手本とは?
上手な人は、錬りや努力で達成されている場合は良いとしても、単に器用さでできている場合があります。ただなんとなく出来てしまった、そんな場合です。
後者の場合の上手は、具体的な技術や身体使いとして自覚されていないので、ひょっととしたことで再現できなくなったり、指導する立場に就くことはできません。下手な人の課題も気持ちも、理解できないからです。
こんな時、下手は上手の手本となります。下手と上手は、「黒と白」のような対極ではありません。同根・同質で、同じ方向へ歩んでいる。だけど何かが原因で、下手なのです。そこに学びがあります。
以上は一般的な理解を述べました。視点を変えると、もっと別の意味があるかもしれません。(ないかもしれません)
(写真は今年実った柿。かつて子供クラスに通っていたお子さんのお父さんが、届けてくださったのです。「息子が33歳で結婚しました」と、写真と共に報告に。I 君、本当におめでとうござました!)
さて写真は、「実と蔕の関係」を考えたかったのです。これは「上手と下手の関係」とも、似ています。
蔕とは「ほぞ(臍)」と同源。花弁(「花びら」のこと)の付け根(最外側)にある緑色の小さい葉のようなものが蔕。
蔕は花全体を支える役割を持つ。そして実が熟す時、蔕から実の中へ酸素を送る役割を持ちます。ですから成長過程で蔕を取ると、実は育たないのです。
蔕は花を支え、実を熟させます。そして
下手は上手を支え、上手を熟させます。
これを技芸の集団に置き換えて、考えます。
A.目標・課題を持って、向上出来る人は一割。
B.指導すれば、何とか伸びてゆける人は六割。
C.指導しても、なかなか形にならないが、稽古に意味を感じて継続出来る人は二割。
D.指導しても、残念な結果は一割。
Aからみれば、BCDが下手。CからみればDが下手。
されど下手にして蔕。下手は上手を支えています。厚い下手層があって、技芸集団は支えられています。
上手下手の差別なく、懇切丁寧に接することが大切です。
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