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谷津干潟:「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」西田幾多郎歌碑 ところで、吾って何だ? [素心]

「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」 

 

 この西田幾多郎歌碑は、京都観光の名所、哲学の道から法然院へ上がる道の角に、小さな歌碑が建っています。楽心館の子供クラスでも、「人は人 我は我なり 我が行く道を 我は行くなり」と暗証させますが、元はこれです。

 元の歌碑では「吾」と「われ」を使っていますが、この使い方の差は、ただ印象を柔らかくするためなのか、不明です。

 

 問題は、吾って何だ?

第一義 自分の信じる道を、行くだけだ。

 まずこれが基本、これがなければ始まらない。大切なのはこの次に何が起こるか?だと思います。

第二儀 信念ある人に追随する人々が現れ、道が広がる。

 こうなるかどうか、そこが問題です。私の近所に、こんな例があります。谷津干潟(やつひがた)です。ここは、千葉県習志野市谷津および秋津にある約40ha干潟です。

 1970年代までに工業地や住宅地として開発されましたが、習志野市谷津地先の干潟は昭和放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残されました。そこはその後、自転車を放り込まれたり、ドブ沼になって悪臭を放っていたのです。

 これを見かねた近所の人が一人、このドブ沼の中へ入っていって、ごみを拾い始めた。それを見て感化される人が、一人、二人と増えてゆく。この清掃活動と野鳥の保護活動が両輪となって、1988年に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積41ha、うち特別保護地区40ha)、さらに1993年6月10日ラムサール条約登録地に登録されました。

 この最初の一人が何方か語られないところが、美しいです。吾が道ならば、吾は消えて道が残る。結果が自然です。

 

 もう一つ、近所の話。本部道場は祐光町にあります。ここは暴力団事務所や風俗関係者が多く、一般市民は近づきたくない地域でした。最近は少し減ったでしょうかね。それでも車上狙い・空き巣などの犯罪が多く、犯罪多発地域に指定されていました。

 そこへ一人の信念の人が、現れました。毎晩8時ごろ、拍子木を打ちながら「火の用心!」と、町内を歩き始めたのです。感化される人が一人、二人と現れ、自警団が自然発生しました。皆さん老人です。

 本部道場で稽古していると、約10人近い老人集団が、懐中電灯を持って歩いてゆきます。私が道場の中から一礼すると、両手を振ってお元気そうに挨拶してくださいます。こうして地域の犯罪が減ったのは、説明までもありません。

 

 我が行く道を行く我は、我にして我にあらず


タグ:谷津干潟
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