師匠の何をしているかではなく、何をしようとしているかを見よ。 [武道:京都 合気道と剣術]
写真は京都です。
「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」
で、芭蕉の真髄をあらわす言葉として、知られています。
松尾芭蕉『許六離別の詞』(柴門の辞)が出典です。さらに遡れば、空海の『遍照発揮性霊集』に
「・・・書もまた古意に擬するを以て善しとなし、古迹に似るを以て巧みとなさず」
とあるそうです。
転じて武道の世界でも
「師匠の何をしているかではなく、何をしようとしているかを見よ。」
と言われるようになりました。
例えば武田惣角先生や植芝盛平先生を第一世代として、私は第四世代や第三世代。間に第一世代の雰囲気を間近に知る師範方があります。
ですから
第一世代および師範方それぞれに、「何をしているかではなく、何をしようとしているか」検証が必要になります。「何をしているか」から、どんどん引き算をして、「何をしようとしているか?その先代は何をしていたか?」と、考える必要があります。
師匠に対しては大変失礼かもしれませんが、「本当にそうやっていたのですか?あとから加えたものではないですか?」。師匠が錬って工夫したものは大切なので、だけどそれはそれとして。
そう言えるだけの太い繋がりが、大切でもあります。
かといって、型を軽視するのでもありません。これは型を追いかけることにある誤りを、指摘しているのです。型は大切だとはいえ、よくある例に、「植芝先生は新陰流を稽古したから、植芝先生の剣は新陰流にある」 のような思い込みです。
また
師匠が空手や柔道経験者なら、それに類する動作は、稽古から引き算せねばなりません。
武道は、引き算を繰り返し、少しでも本質に近づく学びです。
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