朝顔に思う、指導させていただくことの意味 [花守として]
万葉集で朝顔と詠まれたのは、今日の「キキョウ」だそうです。
奈良時代末期から平安時代初期に薬用に輸入された「ケニゴシ」が、朝咲く姿が「キキョウ」よりこの方が相応しいとのことで、後に朝顔と呼ばれるようになりました。
写真は折り紙
昼顔は、朝顔と同様朝開花するが昼になっても花がしぼまないことから、この名があるそうです。
夕顔という白い花の名称は、夕方に咲き、朝にはしぼんでしまうところに由来します。
朝顔・昼顔・夕顔と同じつる性の植物で、様々な色があり、咲く時間帯も異なります。何故でしょう?
道場玄関にて
花は、動物や昆虫の接触に助けられて、受粉し、子孫を残します。
様々な動物・昆虫を惹き付けるには、咲く時間帯に合わせて目立つ色である必要があります。なるほど夕顔は、白くなければいけません。
咲く時間帯が異なることで、朝・昼・夕と一日中、受粉の可能性があります。
そもそも花がラッパの形をしているのは、花の中の外より気温が高くなり、雌しべ・雄しべに向かって昆虫を誘い込みます。
それぞれ花に個性があるのは、種族の継承のために、必要なんですね。
我々指導者は、伝えたいことが漏れなく、伝わって欲しいと思うのは、当然こと。
学んだ方に、一つでも得意なことを受け取っていただければ、幸いなこと。
その一つを入り口として、他の才能が引き出され、別の個性が確立されたとしても、自然なこと。
自然体で指導させていただくとは、そんなことなのかなと、思った次第です。
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