青春真っ只中で、素直と一点素心の差 [素心]
私は猪突猛進であったり、時には張り詰めた弦であり。素直さとは、正反対の面が強いです。
それはアクセルであり、燃料でもあり。力の源泉を、人は持っているべきです。多少人様に迷惑かもしれませんが、癖というもので悪いほどではありません。
素直さは大切ですが、これを何から何まで癖を取らなければならないとすると、角を矯めて牛を殺すが如しです。「頑張る」は「我を張る」に通じるから、良くない?この理屈の誤りと同じです。力の源泉としての我はなければなりません。
武道は心身の我を消す修錬ですが、中心は鍛えます。中心としての我は、大切なのです。
しかしそれでも、一点の素心は、なければなりません。省みたり、ブレーキを掛けてくれる心の源泉、それが一点素心だと思います。時には明鏡止水。時には虚心坦懐な一面が、なければなりません。
「鹿を追う者、山を見ず」とも言います。鹿を捕えようとしている者は、獲物にばかり気を取られて山全体のことが目に入らなくなってしまう。ふと気づいた時には、山深く入り込んで、自分が何処に居るのやら、迷ってしまいます。
この猟師が山に迷った状態とは、本当は、何をどうやって自己実現したら分からない状態を喩えたものです。もちろん私も、そうした時代がありました。それを青春というのだと思います。
「この永遠に一度きりの人生に、何かをしなければならない。その時期の芽生え」その意味での「春」。「しかし、何をどうしたら良いのか分からない」その意味での「青」。それが青春です。
猟師であれば、勇猛に鹿を必死に追うのは当然ですが、時に山全体を見て自分の状況判断できる心を持たねばなりません。青春を生きる貴方であれば、時に人生と世界全体を見て、自分の立ち居地を確認しなければなりません。これも一点素心と、説明できます。
ではどうしたら、一点素心を得られるのでしょう?
残念ですが、その答えはありません。貴方が自分で、探してください。それも青春の内側です。元来、道と名の付くものが、そのヒントであるはずなのですが。
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