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武士道:ボクシング レフェリー・日本男児 水兵のいい話 [aikido 合気道 Twitter ツイッター]

    人の命にかえられる試合などない レフェリーの使命とは…
    2014.5.6 14:50

     「あのとき彼が試合を止めてくれたから、いまの僕の人生があるんです」

     元プロボクサーの井岡弘樹さん(45)と話しているとき、彼がもらしたひとことに僕もうなずいた。

     井岡さんは日本で3人目の世界2階級制覇を達成したボクサーである。「レフェリーはミッチ・ハルパーン(米国)でした」

     20年近く昔の試合。なのに僕自身もよく覚えているのは、記者席からリングに向かって「もう止めろ!」と叫んだ試合だからだ。

     彼が日本人初の3階級制覇を懸けて、世界フライ級王者のセーン・プルンチット(タイ)に挑んだ一戦。途中から打ち合いに応じた挑戦者はかなりパンチを浴び、8、9回にはロープを背負って棒立ちになるシーンが目立つようになった。10回には、右フックをもらってついにダウン。「試合後にVTRを見たら、僕、後頭部を打ち付けてバウンドしてるんですよ」

     それでも、無意識で立ち上がった。しかし、明らかに足にきている。リングサイドで僕が「止めろ!」と叫んだのは、もはや見るに堪えないと思ったからだ。

     「あれなら続行させるレフェリーもいると思うんですよね。でも、続けていたら病院に運ばれていたかもしれないし、僕の人生が終わっていたかもしれない」

     試合を止めたハルパーン・レフェリーの判断は、的確だったと思う。

     ボクシングの華のひとつに逆転KOがある。

     かつて、高橋ナオトというボクサーがいた。彼のファイトのスタイルからついたニックネームが「逆転の貴公子」。1989年のマーク堀越との激闘はいまだにボクシング界の語りぐさとなっている。

     しかし、現実には、そうそう劇的な逆転KOなどお目にかかれることはない。実際、高橋はこの後、蓄積されたダメージに苦しみ、引退を余儀なくされた。

     試合をいたずらに引っ張って、ボクサーを命の危機にさらしてはならない。それはレフェリーの使命だ。だから、個人的には早くストップのジャッジができるレフェリーほど優秀だと思っている。

     たとえば、ハルパーンの師匠であるリチャード・スティール。中量級黄金期のマービン・ハグラー-シュガー・レイ・レナードなど170近い世界戦を裁いた名レフェリーだ。

     彼は、ある世界戦で圧倒的優勢だった選手が最終ラウンド残り17秒でダウンを喫したとき、カウント5で立ち上がったにもかかわらず試合を止めた。「大丈夫か」と2度声をかけたが、そのボクサーから反応がなかったから、というのが理由だ。このストップをめぐって批判を浴びたが、彼は自分の判断を曲げることを決してしなかった。その後、医師の診察でその選手にかなりのダメージが蓄積していることが判明した。判断の正しさが客観的に証明されたのである。

     「人の命にかえられる試合など存在しないんだ」

     その言葉を残したスティールは6月、世界ボクシング殿堂入りを果たす。

    「ハルパーンね、実は自殺したんですよ」

     「命の恩人」を失った井岡さんはいま、西日本ボクシング協会の会長を務める。リングサイドで試合を見守るとき、彼はレフェリーに試合を止めるようサインを出すことがあるという。「ボクサーには元気なからだのままでリングを降りてもらいたいんです」

     重みのある言葉だ。


韓国船沈没で見えた日中韓「水兵」の差
2014.5.7 11:05 (1/4ページ)韓国
4月17日、転覆し、沈んでいく旅客船の近くに集まった韓国海軍の海難救助部隊の隊員たち=韓国・珍島沖(AP)

4月17日、転覆し、沈んでいく旅客船の近くに集まった韓国海軍の海難救助部隊の隊員たち=韓国・珍島沖(AP)

 「もう沈んでしまう…」

 韓国の旅客船《世越(セウォル)号/総トン数6825トン》が黄海で転覆した4月16日、68歳のベテラン船長と乗組員約30人のほとんどがこう怯え、今しかないと乗客を見捨てて我先に逃げ出した。結果、300人以上が死亡か安否不明となった。許されない…が、職業への誇りや意識を欠いた「醜悪な行い」は韓国人に限らない。現在の日本でも起こり得る。半面、どの国にも、いつの世にも、自己犠牲を厭わぬ「英雄」がいる。多くは歴史を素通りしただけの、名もなき人々だが、語り継ぐことで「醜悪な行い」に歯止めはかかる。事故現場北方の同じ黄海で120年ほど前、弱冠18歳の日本男児が最後まで任務を全うし、こう問うて短い生涯を終えた。

 「まだ沈みませんか…」

黄海海戦で示した愛国心

 明治二十七八年戦役(日清戦争)中の1894年9月17日、大日本帝國海軍聯合艦隊旗艦の防護巡洋艦《松島/常備排水量4278トン》は、清國海軍・北洋艦隊所属で東洋一の堅艦と恐れられた《鎮遠/常備排水量7220トン》の巨砲弾を受け、乗組員96人の死傷者を出す。戦史に名高い《黄海=鴨緑江海戦》である。

 血だるまで横たわる三等水兵・三浦虎次郎(1875~94年)も戦死する28人の一人となる。三浦は通り掛かった松島副長に、北洋艦隊旗艦で鎮遠の同型艦《定遠/常備排水量7144トン》が沈んだかを「声をしぼりて」(佐佐木信綱作詞の軍歌・勇敢なる水兵の一節)尋ねた。副長が戦闘不能に陥った旨を説明すると「微笑を漏らしつつ 息絶えた」という。

 18歳の一水兵が示した愛国心と責任感に只頭が下がる。心打たれ泣けてくる。ただし、三浦のような天晴れな亀鑑は当時の日本には確かに存在した。

 松島が被弾した際、聯合艦隊初代司令長官の伊東祐亨(すけゆき)中将(1843~1914年/後に元帥海軍大将)は、自ら損害を検分すべく艦橋を下りた。と、伊東の足元に、まさに命尽きようとする水兵が渾身の力を込め這い寄ってきた。水兵は言う。

 「閣下、ご無事でありましたか」

 伊東は水兵の手をしかと握り「伊東はこの通り大丈夫じゃ。安心せよ」と応え、甲板で足踏みまでして見せた。水兵は「閣下がご無事なら戦いは勝ちであります。万歳っ…」と、最期の言葉を発して事切れる。

自己犠牲の淵源は武士道

 海戦の勝利は、日本に制海権をもたらし、中国大陸への渡海派兵など、戦局全般を有利に進める重大な分水嶺となった。国家存亡の分かれ目は、名もなき戦士による自己犠牲の数であった、と言っても許されよう。キリスト者であった内村鑑三(1861~1930年)に学べば、自己犠牲の淵源は《日本における唯一の道徳・倫理であり、世界最高の人の道》と激賞されるべき《武士道》に認む。曰く-

 《日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる》

 この点、戦力で全く上回る北洋艦隊だったが、水兵は言うに及ばず一部艦長までが怖じ気づき敵前逃亡を図る。北洋艦隊は母港である対岸の山東半島北東部・威海衛まで潰走する。聯合艦隊は追跡し、港湾口を塞いだ。北洋艦隊司令長官の丁(てい)汝(じょ)昌(しょう)提督(1836~95年)は脱出を試みるも、果敢に斬り込む自己犠牲の実践者はいない。むしろ、水兵らは反乱を企て、脱出作戦を封じる有り様。清國軍には、軍紀や自己犠牲を支える武士道の如き普遍的価値観が欠如していたと観て差し遣いあるまい。

 一方日本の側は、伊東自身が武士道の実践者であった。丁に書信を送る。

 《僕は世界に轟鳴する日本武士の名誉心に誓い、閣下にむかいて暫く我邦に遊び、もって他日、貴国中興の運、真に閣下の勤労を要するの時節到来するを竢たれんことを願うや切なり。閣下、それ友人誠実の一言を聴納せよ》

 伊東は丁に対し、捕らわれても後に軍功を立てた幾多の先例を示しながら「活躍の場が必要とされる清國再興の時節到来まで、日本に亡命し待ってはどうか」と「武士道に誓い、友人の誠から」切々と訴えたのだった。丁は深く感じ入るも、丁重に断り服毒自殺を遂げ、北洋艦隊は降伏する。

極限でこそ見える国柄

 伊東の武士道は尚続く。丁の棺が粗末なジャンク船で帰国すると聞くに至り、伊東は鹵獲した清國側輸送船を提供し、丁の亡骸の後送に充てる。葬送の日、聯合艦隊各艦は半旗を掲げ、松島は弔砲を撃ちて弔意を表した。タイムス誌が「丁提督は祖国よりも却って敵に戦功を認められた」と報ずるなど、伊東の武士道は国際が絶賛する。清帝は丁の財産を没収し、葬儀も許さなかったのだ。予期したかのように、丁は降伏に臨み「将兵らを赦し、郷里に帰還させてほしい」と要請。祖国ではなく、伊東の武士道を信頼している。

 しかし、中国は今も昔も武士道の価値が理解できない。帝國政府や海軍中央の叱責に腹切る覚悟で葬送を決心した伊東の、追認した政府・海軍の、それぞれの武士道が理解できない。丁への仕打ちの持つ蛮性に気付きもしない。中国に中華思想を植え付けられ「擬似中国=小中華」に堕ちた韓国も同じ。

 拓殖大学の呉(オ)善(ソン)花(ファ)教授(57)は4月21日、九州正論懇話会での講演で、韓国の反日感情の背景に潜む文化・歴史に触れ「文治主義の韓国は武士道の国・日本を野蛮な国と蔑視し『われわれが正さなければ軍国主義が復活する』と思っている」と語った。

 「真の武士道とは何か」を、中韓に説いて聴かせねばならない。呉氏はまた、沈没事故で乗組員が真っ先に逃げ出した事実を指摘し「極限状態でこそ社会の在り方が見える。韓国人は反日の時は団結するが、愛国心はなく、徹底的な利己主義だ」と言い切った。

 都合良く歴史を捏造・粉飾し、恥と思わぬ中韓に「真の武士道とは何か」を説く虚しさも、深く感ずる。それでも《武士道がなくなるときは、日本の滅びるとき》と予見した内村の警鐘を真正面で受け止め、日本人自身が武士道を国際で体現しなければ、中韓の「醜悪な行い」をあぶり出せない。(政治部専門委員 野口裕之)


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