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天職でラッキー! [素心]

 男子の将来に就きたい職業の第一位は、スポーツ選手だそうです。その理由が、「社会の脚光を浴びる」とか「富裕になる」かどうかは知りません。

 もし「心と技、自力で生きていく」ことに魅力を感じてのことならば、武道を生業とする私は、子供たちの夢を実現したといえます。

1、健康こそ人生で最大の財産です。金銭や名誉に勝ります。その健康を伝える職業こそ、私にとって天職です。

2、自ら選んだ職業で自立活動できることは、人生第二の財産です。

ゆえに、天職を自立活動する私は、さらにラッキーで楽氣ーです。

 技芸で生きていく場合、どのような学び方があって何が大切かを、一般論で考えたいと思います。

 人間関係力と決断力がなければ、どこで何を学んでも、活用は難しいです。

 ことを学ぶには、二通りあります。

1、徒弟制度の中で。就職先で、あるいは内弟子として。

2、アカデミー・専門学校・カルチャー教室で。

それぞれの長所短所を考えます。

徒弟制度とは

 親方ー職人ー徒弟という身分秩序を構成する社会の元、技芸とともに人間教育する教育制度。

 ヨーロッパのギルド社会では、徒弟になる年齢は 10から16歳で、期間はおよそ数年から8年程度。

 日本では江戸時代以降、丁稚(でっち)、年季奉公の社会ではは、一人前になるには数年から数十年を要する場合もあります。今日、政治から医療・理科学研究の場にも、徒弟制度は存在します。

 ヨーロッパと日本どちらも、徒弟制度は手取り足取り親方が弟子に教えるのではなく、簡単な作業や雑用を行う合間に盗むものとされました。 

徒弟制度の論点

*必要性

 内弟子であれ、通い弟子であれ、「弟子付き」することの必要性は、どこにあるでしょうか?

 弟子付きすることで、技術より大切な人間関係力を育むことです。社会経験のない若者は、芸を学ぶとともに、師匠のやっていることをよく見て、芸以前に人としての在り方を吸収すべきと思います。

 芸の世界のみならずどのような職業も、人間関係なくして成り立つものはありません。人間関係から得られる「信頼と生情報」、これなければ仕事は立ち行かなくなります。

 技芸の世界にも現実世界にも、共通の大前提あります。それは、「身を修めることができるか?」ということです。芸もビジネスも、法(ダルマ)・道理は存在します。

 「技芸を中心とし、師匠の全人格に触れることで法や道理を習得する徒弟制度」ならば、有意義です。

*問題点

 師匠を選ぶ側に、選ぶ能力や情報に欠ける場合はどうなるのか、という問題あります。古来、「三年稽古するより、三年かけて師匠を探せ」と申します。

 仮にあったとしても、ある程度年齢がいっていたり、家庭持ちの場合は、ハードル高いです。

 既に社会人として実績ある人は、すでに法則を見出す能力・人間関係力あります。徒弟制度にこだわることないです。

 近年の社会・産業・生活様式の変化に伴い、従来の厳しい徒弟制度の下で職人を目指す若者は激減しており、そのあり方は大きな変革を迫られました。

 例えば寿司店。郊外に大規模な回転すしのチェーン店、街中にも大規模にチラシ広告を配布するフランチャイズ契約店など、大規模に展開する時代になりました。一人前になるのに十年の修行とされる寿司職人、店主の息子も継承しないそうです。

 そこで出現したのが、アカデミーや専門学校です。

アカデミーとは

 ここで問うアカデミーとは、徒弟制度の「見て盗め」式修行を短期有料の講義方式で職人技を学ぶことと、定義します。

 こうしたアカデミーは、すし職人から僧侶まで広範囲に存在します。すし職人は最短2か月。夜間に一年間通えば、僧侶の資格も取れます。カルト教団でなく伝統宗教で、こうしたことが行われています。

アカデミーの論点

*必要性 

  一人の師匠からみっちり仕込まれるのではなく、広く浅く学ぶということは、認められる時代です。

 社会経験を積んでから、あるいは家庭を築いてから新しい学びに進みたくても、現実に徒弟制度に飛び込むのは「時間と経済的ハードル」が高すぎます。

 高品質サービスを求める需要もあれば、平均以下のサービスでも安く便利であれば問題にしない需要もあります。中産階級が没落する社会背景は、世界同時進行です。

*問題点

 アカデミー・専門学校という制度は、ある一定の水準(平均未満)の技術を持った人間を大量に生むことはできますが、飛び抜けてある部分の優秀な人材は育ちにくいです。

 この背景にあるのは、伝統を大切にするよりも「行き過ぎた資本力優先」の思想です。

共生のビジネスは大切です

 お金を稼ぐことは大切です。「経営者・働く人々・サービスの提供を受ける人々、三者が利益を得るバランス感覚が大切です。「地域にお金が循環する共生社会」は、「階級闘争を主張し、結局は民族統一運動をしている共産主義社会」とは異なるものです。

 共生を前提とした徒弟制度であれば、理想です。

 一方のアカデミーは、大量生産大量消費の行き過ぎた資本主義を、背景にするのではないかと思います。

行き過ぎた資本の論理でいいのか?

より広範囲へ展開する。

より長時間、営業する。

より安く、同質のサービスを提供する。 

そのための人材提供としてのアカデミー・専門学校であるならば?

 お客様・品質第一といいながら、従業員は低賃金で、事業体は膨大な利益を上げる。これは行き過ぎた資本の論理で、職業のない貧困よりましですが、伝統文化までも資本の論理で言い尽くすことはできません。

講師は?

 アカデミー・専門学校では、一流の講師陣と宣伝します。本当でしょうか?

 アカデミーで一流の講師とされる人と、実社会での経営者との実力差は大きいと思います。

 例えばある番組で寿司アカデミーの講師を、「一流老舗店舗で修行歴のある人」と紹介しました。反対解釈すれば「一流老舗店で長年板前さんをしていた」とか「一流老舗店を経営していた」人ではありません。スポーツや武道の世界でも同じです。

 穿(うが)った見方をすれば、しょせん講師は、「頭は良いけれども実社会で一流の仕事をする実力のない人」です。そのアカデミーの卒業生も、同様の人の大量生産ではないでしょうか?

 手厳しいようですが、世に数多あるアカデミー・専門学校・学院の卒業生の有り様を見れば、多くの方が同意されると思います。

 けっして講師業・ティーチングプロを、見下しているのではありません。教える仕事は大切です。育つ人間を見守る仕事は、やりがいのある職業です。しかしそれだけでは、両輪の片方にすぎません。「現場での実践力」と「講師・ティーチング」の両輪でなければならないと思います。現場も経営も経験した人が、「教育は大切だ」と考え講師となる。これならば本当の一流講師です。

 しかし両輪の備わった講師は、稀であると思います。

技芸の学びの可能性

二つの道がある

1、自分の才能のままに一世風靡する

2、伝統を大切に護りながら発展させる

 以上二つの道のどちらを歩むか?問われます。もちろん難しく大切なのは、後者です。

 後者を選ぶ決断した人は、「いかに自分の考えを表に出さないか」を問いかけつつ、社会に評価され次世代に遺せる仕事をしなければならないです。

 この決断力さえあれば、徒弟制度だろうがアカデミーだろうが、どこで学んでも関係ないと思います。

天職でラッキー!

 こうして学び、独立して、5年後に「天職でラッキー!」と言えるのは何%?

 多くて20%。そして10年後は?現実は甘くないです。

 それでもご納得の方は、チャレンジしてください!


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