自己実現と武道 [素心]
自己実現 self-realization
自己実現とは、心理学者によると「個人が自己の内に潜在している可能性を最大限に開発し実現して生きること」だそうです。
より簡単にいえば「自己の潜在能力を開発実現すること」になります。これはこれで、良いことだと思います。しかし、西欧的な強い自我を強調され過ぎと感じます。
なぜなら他人との関わりが、説かれていないからです。
自己実現とは
自己実現とは、仏教関係者のよく使う言葉、「端楽(はたらく)」が、ぴったりします。
自分の才能を伸ばすのは当然として、それは自分の為ですか?もちろん自分も含まれますが、自分以外の何かのために働いてこそ、意味も幸福もあると思います。端楽(周囲の人を楽にして差し上げる)とは、「働く(はたらく)」の説明として引用されます。
さらに進化すると、自己が介在することそのものが無駄である、という考えもあります。自己がない世界、「自然実現・世界実現」がそれです。そうはいっても、認識する自己を高めた結果として自己を消すのですから、最初から自己を否定する教えは現実的ではありません。自己を愛し大切にすることなくして、他のみを大切にせよていうのでは、偽善を感じます。
私が武道を生業としているのは、もちろん自分の為もあります。しかし「日本の伝統文化を青少年のために」、これはもっと大切でした。
稽古の動機
私が「武道を行っていること」と「自己実現」、両者は密接不可分です。この方向は、有段者や指導員には、共有していただきます。一方、一般のお稽古人様には、押し付けてはならなことです。基本、稽古開始の動機は、不法不当なことでなければ何でもいいのです。
ところが、主宰者である自分がグッと頭を下げなければならない高い動機で、稽古の縁を持つ方あります。
つい今週のことです。指導員の代理である教室に行きました。そこに8月の第一週に見学、第二週に入会の6歳の男子ありました。私は8月第4週の稽古が、初対面です。以下私との会話を記します。
私:「初めてお会いしますね?どのような動機で、稽古へ通うようになったのですか?」
少年:「お母さんが、通うように言ったから」
私:「お母さんは、どうして通わせたかったのでしょうね?それとお父さんは?」
少年:「お父さんは(今年)6月に亡くなりました。」
私:「えっ!お父さんはどうして?」
少年:「喘息(ぜんそく)の為です」
私はここで、黙ってしまいました。私の錯覚ですが、お父さんの喘息で苦しい中、お母さんに託す言葉が聞こえてくるように思ったからです。
「私な余命いくばくもないが、息子には日本人らしく、何か武道を学ばせさせてほしい」。
そして四十九日が過ぎて、即入会させたのです。
もしかしたら違うかもしれません。それでもいいのです。
利他自利
稽古の動機は端楽であり、自利利他(じりりた)です。そして稽古の行いは、利他自利(りたじり)となって、全て自らに帰ってくるものです。ここに無上の慶びあります。
さて、今日の話題の少年へ戻ります。稽古も終わりに近づき、私は少年に語り掛けました。
私:「君は正座が上手ですね?姿勢がいいですよ?」
少年:「はい、ここ(教室)で教わりましたから」
また私は、胸へグッ!と感動きました。まだ稽古三回目の少年が、教わったことを生かして、素直な言葉を発露するのです。
天国のお父さん、聞こえたでしょうか?
私は、自己の中心を確立し相手の中心を尊重するする法を武道として、教導してまいります。
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