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惟神の道(かんながらのみち)と稽古 [合気道 練習]

惟神の道

合気道は、惟神の道(かんながらのみち)として、稽古したいものです。

思想として「神の意志のままに神と共にある」ことは、高い理想です。日々の稽古の身体使いとして惟神の道は、どのように理解し、実践したらよいでしょう。

霊主体従

「惟神の道」とその対極は何かを、合気道開祖 植芝盛平先生のお言葉より考えます。「合気道は、体主霊従を霊主体従とするもので、この転換をひれぶりという」と。「合気道の目的は、ひれぶりである」と説明されました。

惟神の道を身体使いで実践するならば、まさしく霊主体従です。その対極は体主霊従です。

霊主体従を稽古で実践するならば、まさしく気剣体です。その対極は体剣気です。

気剣体とは

剣を振る場面を想定します。初学者は、腕力で剣を振り、しかもその剣に気が乗っていません。体が剣の主体となり剣が従う。その剣が主体となり気が従う。これが体剣気の関係で、体主霊従と同じです。

ところが達道の人は、気(意識)が剣を浮かし走らせ、剣にふわりと軽く体が従います。気が主となり剣が従い、剣が主となり体が従います。これが気剣体の関係で、霊主体従と同じです。

こうして初めて、「武は舞なり」といえます。ここでいう舞とは、能のシテ役が、神や霊を演じる所作のことです。「気剣体一致した時の体」と「能の舞」は、同じ身体使いといえるかもしれません。

調和の世界

体剣気の身体使いは、二拍子・ニ呼吸の動作。ヨーイ!スタート!加速度運動の世界。対峙した人には、「力の蓄え」と「居着き」が見えます。接触した人には、対立を感じます。

気剣体の身体使いは、一拍子・一呼吸の動作。ヨーイとスタートの区切りない、等速度運動の世界。対峙した人には、調和の世界。接触した人は、和合を感じます。

ここに合気の武にして調和、日本古来の和とも称される柔(やわら)、力抜きの世界があります。


タグ:随神 惟神
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