心魂を育てる [素心]
武道の稽古で技の型・身形を修錬するとともに、集中力・持続力・克己心を育みます。
この冬みかけた稽古場での子供たちに、心魂の育つ様子を紹介します。
心魂初級
小学一年生、稽古歴1年のA君
私はどの稽古場でも、開始30分前には到着して待ちます。ある日ある場所で師範室にいると、「お願いします!」と声がします。すぐA君の声と分かりました。戸を少し開けて、道場を覗きました。
A君が入り口に正座して、道場礼をしていました。荷物を置くと、前方回転受け身を始めました。「パタン!パタン!」と子供らしい音を立てながら。無論、私が見ていることを知りません。
稽古が終わった時、「君子は独りを慎む」について話しました。そしてA君に語りました。
「今日きみは、誰も見てないのに、きちんとやるべきことを行っていました。これは君子の行いと思います。どうしてきみは、できたのですか?」。
するとA君は、すこし表情を曇らせて、語りました。
「だっていつもお母さんが、ギャーギャー言うんだもん」。それを後ろで聞いていたお母さんが、噴き出したように笑いました。そして私は、語りました。
「そーかー?君子というよりも、きみも私と同じだったのか?私も道場へ来る時、嫁さんからギャーギャー、電話で怒られたよ」と。
A君は自ら進んでというよりも、「ギャーギャー叱られたくない」という動機です。しかし半ば強制であっても、この行動様式を反復することにより楽しさが芽生えると、心魂中級です。
心魂中級
小学三年生、稽古歴4年のB子
冬の雨の日のことです。B子は、自転車に合羽を着て通いました。私もつい親心が生じて「寒かったでしょう」と、同情的に言いそうになりました。が、気持ちを変えて「たへんだったね」と、距離を置く言い方をしました。B子が寒いであろうことは、分かり切ったことでした。
その後もB子は、一言も「寒い」とは発しませんでした。稽古を30分くらい過ぎたころ、「暖かくなってきた」と笑顔で言いました。
「この子は、ずっと我慢していたのだな」と思うと、B子を「偉かったね!」と、抱きしめてやりたくなりました。もちろん、そんなことはできるはずもありません。
体育館までは、お母さんも一緒に来たはずです。少し前までは、お母さんも道場へ入り、稽古を見守っていました。このところB子が、それを嫌がるようになりました。お母さんはロビーにあるソファーで、待つようになりました。
B子にとって稽古に来ることは、「何か楽しい」ものになっています。この2月の春季審査会で、彼女は合格しました。彼女は私に言いました。「あれだけ(先生に)ブン投げられたんだから!(受かって当然)」と、にっこり笑いました。
楽しさを本人の動機として、この行動様式を反復し無意識へ型化されると、心魂上級です。
心魂上級
小学5年生、稽古歴6年のC君
C君は5年生ですが、子供の級位を修了したので、稽古時間90分の一般クラスへ参加しています。
ある日のこと、少し遅れて稽古場へ到着しました。そして私に言いました。
「すいません。30分したら、先に帰らせていただきます。帰り道が、暗くなってしまいますから」と。
どういう意味かと申しますと、彼は片道50分を自転車を漕いできたのです。そして稽古したら、50分自転車で帰るのです。
もちろん彼が幼かったころは、保護者様が自動車で送り迎え、稽古中も見守っていました。やがて保護者は稽古を見守らないようになりました。それはB子と同じです。やがて毎回ではありませんが、時々一人で電車で通わせたり、自転車で通わせたりです。
凧を空に上げる時、手の糸を緩ませて伸ばさなければ、上げることはできません。こうして段階を踏んで、子供を放す保護者様の方針は立派です。
他にもD君のような例あります。学校の成績が良くないのです。夜9時に合気道クラスが終わると、そこから直接学習塾へ行って、それから帰宅します。学習塾も、面倒見が良い時代ですね。
さながら苦学生のようなC君とD君、彼らにとっての稽古は、楽しいかどうかではなく、「やって当然のこと」なのです。
心魂の育つ様子を見守らせていただく仕事、勝手に感慨無量になっています。指導する先生が心魂初級で、学んでくださるお稽古人様が進行上級とは、なんか変ですね。
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