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将来の夢は、普通のお父さん [武道館:千葉県千葉市中央区千葉市武道館(末広)]

将来の夢は? 

稽古の終わりに、時々子供たちに聞きます。「将来の夢は、なんですか?」と。

ある日のこと、「普通のお父さん!」と元気よく答えてくれたのは、小学2年生のA君。

周りの子は(なんだそれ、可笑しいな)失笑しました。私は「素晴らしいと思うよ!」と答えながら、胸締め付けられる思いでした。A君の言う「普通のお父さん」は、私にはハードルが高いと思います。

A君のお父さんとは?

A君のお父さんに初めて会ったのは、平成24年10月のことです。「子供の入会を検討しているので見学したい」とのご意向でした。平日の道場なので、こうした時にお父さんがお出ましになるのは、稀です。

子供初級クラスと上級クラスを、ご覧になりました。そして「子供が続けるとどうなるか知りたいので、一般クラスも見させてください」と仰せになり、道場入り口の横に座りました。私は大人の技・稽古風景をご覧になりたいのだな?と理解しました。

A君のお父さんは、通算3時間30分以上滞在していました。そして稽古を見ての感想に、驚かされました。

「道場へ入る時、全員が道場礼をした後、私に挨拶をしてくれました。すばらしいです。どうしたらそのように教育できるのでしょう?私の子供三人を入会させてください」とのことでした。

私は浅はかにも、A君のお父さんは、技や指導風景を見ていると思ったのです。技や稽古は、指月の指、手段にすぎません。ところがお父さんは、指月の月たるべき人間の真理、礼の心をご覧になっていたのです。

私は「参りました」とばかりに、冷や汗かきました。翌11月に、三兄弟が入門してくれました。

私は稽古指導させていただく身ながら、我が子の教育や習い事に方針は持っていても、ここまで関与したことありません。A君のお父さんには、敬服します。しかし私には、遠い目標です。

私の父 

普通のお父さんとは、何?「普通の」と「お父さん」とは、定義は人それぞれと思います。自分の父親の姿に、影響を受けるでしょう。ですから、私の父につて考えます。

私の父は今年91歳です。その父が最近、兄と私に向かって語りました。

「ワシがもっと大きく、どっしりとしていれば良かった。お前たちに(ワシが)負けたということだ」、「こんなに役立たずになっていしまい、情けない、申し訳ない」と、実に無念そうに言うのです。

この世代の方々は、第一に公(おおやけ)があります。「自分の世話に関わっていなければ仕事に行けるのに、迷惑をかけて申し訳ない」その想いが強いのです。それで「役立たず」と言っています。

大正生まれの頑固一徹な父のことですから、親子関係を優勝劣敗の競争関係で考えたとしても、不思議なことではありません。それがいまさらに、敗北宣言をなさるとは思いませんでした。

大東亜戦争から高度成長期を生き抜き、家族を守り私たち兄弟を育ててくださった父、本当にお疲れさまでした。娯楽とは程遠い家庭でしたが、健康とともに教育を受けさせていただいたことは、何物にも代えがたい財産です。

そんな父に私が似たとしても、自然なことです。

父と同じ自分

20年も前のことです。何かのことで、父と言い争ったことあります。父は自分の節を曲げない。私も自分の節を曲げない。ついに父は言いました。「お前は一刻者だな!」。お互い聞き入れないまま話し終わったことまで覚えていても、いったい何の話だったのかさっぱり覚えていません。

そんな私の父親像を考えます。

人の父母は火うちの如し

伝統的な父親像とは、どのようなものでしょう?一休宗純の言葉に「たとえば人の父母は火うちの如し。かねは父、石は母、火は子なり」とあります。

昔は、火打ち石に火打ち金を打ち合わせて、火を作りました。ここに一休さんは、わが身を滅して、子の養育に打ち込む親の姿をたとえました。形式主義を戒めていた一休さんらしい人間味が、あふれています。

火打ち金は、厳父。火打石は慈母。を例えているとも思えます。あるいは、

火打ち金は、「商売繁盛」。火打石は、「家内安全」。を例えているとも思えます。

金と石がぶつかり合うと、石が身を削って火花を飛ばし、火種に火を熾します。

父と母は別々の役割がある。父の愛情は固すぎるので、母が柔らかい愛情に転化して、子供へ伝えるとも解釈できます。



父を演じていたのか?

「子を持つことで、親にならせていただく」という考え方あります。大人イコール親ではありません。子を持つことで、大人から親になる学習をさせていただく、そんな一面あります。私は父親を演じていただけかもしれません。

たとえば私は、図らずも楽心館を主宰する立場になりました。もちろん稽古内容と私の実力が、最初から両立していません。50歳くらいまでの未熟な私は、楽心館長を演じていたに過ぎないのです。同様に一人息子にとっての私は、父親を演じていた未熟者ともいえます。

方やA君のお父さんは、三人の子育て経験あります。私の三倍、父親の勉強されました。

火打ち金として

これまで私は、休まず・遅れず・手を抜かず、仕事すなわち稽古に打ち込んできました。そしてこれからも、変わりなく歩みたいと思います。

そしてそれが、私の父親の道としてどうなのか?

私の父(息子の祖父)が、あのように語る思いは何なのか?

父は、火打金なり?

まだまだ疑問は解けません。


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