なぜできるの? わずか3平方メートルで年間3億円を売り上げる日本の和菓子店に、中国メディア驚嘆
記事は、東京にあるこの和菓子店が羊羹と最中という2種類の菓子しか販売せず、しかも羊羹は1日限定150個、1人あたり5個までの購入という制限を設けていると紹介。にもかかわらず、開店前の早朝から行列ができるほどの人気が40年あまりも続いていると説明した。
その人気ぶりの理由について記事は「羊羹づくりを一生涯の仕事と認識し、1つ1つの作業に対して心から厳しく向き合い、極致に至らしめている」と解説。日本は華道、香道、茶道といったように「道」を極めることを貴ぶ国であり、この店の羊羹や最中づくりの姿勢も「ほぼ『道』に近いものがある」と評している。
また、1日150個と数量を限定しているのも「品薄営業」目的ではなく、品質に対する追求の結果であると説明した。そして、店側の姿勢に対して客たちも「味を守ってほしい」と理解を示しており、常連客によるファンクラブ組織まで作られたと紹介している。さらに、「より尊敬されること」として、この店が従業員の1割に障がい者を採用する形で社会に貢献していると解説。「社会的弱者への配慮や温情が含まれたお菓子は、独特な滋味を持っているのである」とした。
飲食業をはじめとする中国企業が抱える課題として、手広く構えるよりも1つや2つのものにこだわりを集中させて、質の高い商品やサービスを提供するスタイルへの転換がしばしば取り沙汰される。この和菓子店は、まさにそれを代表するような事例であるということができそうだ。お金を稼ぐのも「道」と言えば「道」だが、そこに固執していては結果的に多くのお金を手に入れることは難しくなる。モノやサービスに対する「道」を究めることでファンの信頼を獲得するという姿勢が、中国の商業界に求められているのだ。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
管理人の石川です。
中国の記事とはいえ「匠の精神」の話題に、興味を惹かれます。
1、羊羹づくりを一生涯の仕事と認識。
2、1つ1つの作業に対して心から厳しく向き合い、極致に至らしめている。
3、日本は華道、香道、茶道といったように「道」を極めることを貴ぶ国であり、この店の羊羹や最中づくりの姿勢も「ほぼ『道』に近いものがある」と評している。
4、この店が従業員の1割に障がい者を採用する形で社会に貢献していると解説。「社会的弱者への配慮や温情が含まれたお菓子は、独特な滋味を持っているのである」とした。
「自分の選んだ芸を一生涯の仕事と認識」し、社会貢献に至って、さらに滋味を持たせるとは?なるほど驚くべき、匠の精神です。私の感想を述べます。
大学卒業後地方公務員として働きながら、自分の進むべき道を模索していました。早い段階で武道と決めていましたが、なかなか家族の承諾を得られるものではありません。数年かけても、どうしても聞き入れない両親。
いよいよ私は「生還を期せず」と肚を決め、計画を実行し今日に至ります。1986年3月のことです。「生還を期せず」とは大げさすぎて、学徒出陣された皆様には失礼かもしれません。少なくとも「芸を成就せざれば、親の死に目に遭わず」ほどの覚悟は、していたと思います。
母はそれを、うすうす感じたのでしょう。家を出る私に、新しい目覚まし時計を持たせてくれました。朝寝坊をして、私がしくじっていはいけないと懸念したのでしょう。そして私が角を曲がって見えなくなるまで、心配そうに見送ってくれました。
あれから約30年を経て、母は亡くなりました。何の作用でしょうか。母の最期に私一人が付き添い、見送りました。火曜日の早朝0時50分に息を引き取りました。朝9時に母を寝台車に乗せ、霊安室へ送りました。日中は葬儀の計画の話し合いなどで、あっという間に過ぎてしまいました。葬儀場の都合で、告別式は一週間後です。そのまま一睡もせずに、稽古指導へ向かいます。
妻が電話してきて、「今日だけは誰かにお願いして、休めばいいじゃないの」と言ってきます。私は「大丈夫だから、稽古へ行くよ」と答えました。死に目に会えたのだから、それ以上は望めません。
稽古場へ運転しながら「この道より、われを生かす道なし。この道を歩く」と、「武者小路実篤」の言葉が、自然と込み上げてきました。私は30年前にこの道を選んだのです。たとえ絶体苦があっても、この道を歩くのです。
あの火曜日の稽古に参加された方々には、いつもと同じように指導させていただきました。誰もこの日に母を亡くしたこと、気づくことはできなかったはずです。都内の稽古を終え、千葉へ帰る高速を運転する私は、幕張で疲労の限界に達しました。車を止め、深い眠りの落ちました。
これまで、いろいろなことがありました。これからも、いろいろなことがあると思います。芸に昇華できればと思います。
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