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職業:自分の仕事に打ち込む姿は [素心]

虚ろな話

道場へは、様々なご職業の皆さんが、訪問してくださいます。「一週間、どうだった?」と、お仕事の苦労話を聞かせていただきます。私は「若いうちの苦労は、金を払ってでもしろ」と、信じていました。相応の艱難辛苦は、体験したと思います。それにしても、世間の事業主・お勤めの皆さんのストレスは、相当深いと感じます。

「皆さんの重責に比べれば、私の道場の仕事など、少しも世の中に役立ってないですよ」と、しばしば自嘲気味に語ることあります。自分の好きで選んだ道を、こうして毎日させて頂けるのですから、苦労があったとしてもそれを打ち消すやりがいあります。

真実の道

むかし、中国に南泉普願(なんせんふがん)という禅僧がおりました。この人が山で草刈りしていると、一人の修行僧が訪ねてきて質問します。

「南泉の路、何処に向かってか去る」。世間的には、「南泉のところへ行きたいので、その行き方を教えてください」となります。しかし本心は、「南泉の持つ高い境地は?真実の路は何だ?」と、高い次元の質問だそうです。

すると南泉和尚は、持っていた鎌を修行者の目の前に差し出し答えます。「三十銭の粗末な鎌だけど、よく切れて気持ち良い」といって、足元の草をサッサッと刈って見せたそうです。そこで修行僧はハッと気が付くという話です。

抽象的な南泉の境地などというものを追い求めても答えはなく、日常の一つである草刈りに集中する姿こそ真理なのです。

なり切る

何が社会貢献でしょう。そのためにどんな職業が、良いのでしょう。この「何が?どんな?」の質問は抽象的で、追い求めても答えはありません。

縁あって得た職業に、集中する、なり切ることが出発点と思います。私にすれば、今日の稽古指導に、全力で臨むということ。

次に受け止めた方々に、任せること。それでいいと思うこの頃です。


タグ:職業
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