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武道の道「ぶどうのみち」 [素心]

はじめに

 表題を「武道の道」としました。どう読んでも良いけど、ここでは「ぶどうのみち」として、話を進めたいともいます。

 「どう」は道程の「どう」。「みち」は未知の「みち」です。この二つに分けて考えます。

道程の「どう」

 稽古は、武の芸を高める道程を、修錬で過ごします。野球の打者なら、投手の投げる球を、絶妙の「タイミングとポイント」でバットを合わせて打ちます。打者の「タイミングとポイント」に「芸」あり、そこへ至る心技体の修錬を、「道程」といえます。

 翻って合気なら仕手の抑えや打ちを、「気配の消えた不動不争の接触で応じ」に「芸」あり、そこへ至る心技体の修錬を、「道程」といえます。攻撃してきた仕手が、「動かないから止められない!不思議だな?」って笑ってしまう。どのような場面でも、この「タイミングとポイント」を見せられるようにする、これが合気の面白さです。究極、正中線と中心線の修得で、それを本会では「氣と丹田」と称しています。しかしここまでなら武芸です。


武芸から武道へ

 何が武道だなんて、言葉の定義は人それぞれ、戯言と思って読んでください。ここで道は、未知の「みち」です。未知は、「見ず知らずの自分を求めて」です。

 誰だって、「いったい自分は何をしたいのだろう?」・「それが分からない自分って、何だろう?」・「たった一度のこの生涯、悔いのない生き方って?」と疑問に思うでしょう。その悔いのない自分が、未知です。それを求めていく道程が「道」です。

 究極の武芸のパフォーマンスに、悔いのない自分の在り方を求めて精進する、それが私の武道です。


日々是好日

 稽古に、成功もあれば失敗もある。失敗を経験して分析すれば、どうすれば成功へ至るかを知る。次に失敗しようとする時、対応力を持てる。

 人生、順境もあれば逆境もある。逆境を経験して対処すればこそ、本当の順境の意味を知る。次に逆境が来た時に、平凡に過ごすことができる。

 こうして稽古も生活も、浮き沈みの波を、徐々に小さくできる。「健康で豊か」になってこそ人の道であり、それが日々是好日というものでしょう。茶道では美味しいお茶をいただく、その作法の中に、一期一会の自己の在るべき姿を保ちます。武道の稽古も、同じではありませんか?


新型コロナウイルス

 時に今、新型コロナウイルス禍が、世界を覆っています。ウイルスのワクチンや治療法が、天然痘のように確立されていないため、人々は不安に陥っています。さらにアメリカ大統領選挙や、国家間の争点となっています。すでに政治案件として、過大に恐怖を煽る情報の方が多く流れています。

 これは大事ですが、小事としてみることも大切です。日本においては毎日、新型コロナウイルスよりも、通常インフルエンザや肺炎・交通事故で、多くの方がお亡くなりになります。私たちは常々、もっと大きなリスクの中に生きていたのに、小リスクの新型コロナウイルス情報に振り回されています。

 そして新型コロナウイルスは、自然免疫、人口の6割が罹患するまで留まりません。それには中国やスウェーデンのように早くやってしまうか、日本のようにゆっくり進めるかです。ゆっくりなら2年を要します。

 その2年を、日々是好日として、生きようではありませんか。わたしはこれから、九十九里町の「武道場不動堂」へ向かいます。自分の稽古です。連休だとか、雨だとか、新型コロナウイルスだとか、全く影響を受けない行動です。どんな時も、非常通りの稽古、平常通りの自分です。誰が言ったか、平常心是道。




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