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松風の理:正面打ち一教を考えます [武道:剣柔一体(気剣体)]

正面打ち一教
写真は千葉市武道館にて、正面打ち一教肘抑え
小野派一刀流剣術に、「松風の理」という言葉が伝わります。これも、剣術と柔術に普遍的な教えだと思います。
今日も外れたことに拘泥すると、「それは枝葉末節である」と指摘されます。この対語は、本質・大局です。
「雪に耐え、嵐に耐えし後にこそ、松の位も高く見えけれ」 ―明治天皇 御製― 明治天皇は日本の長い歴史と民族の強さを、松の木にたとえて詠まれたのではないかと思います。松の幹は日本建築の梁としても使われる、強い材質です。松は日本民族にとって、忍耐強さの象徴です。
風がいくら強く吹いても、それが松の枝に向かったものであれば、根と幹の強さに跳ね返されて、ビューっと風は松の枝に斬られてしまいます。
こうしたことは武道の稽古の中で、頻繁に起きます。
剣術で仕掛け太刀が、大上段正面斬りにくる。それを打ち太刀が、斬り落とそうとする。初心者であれば、いくら力任せに仕掛け太刀を叩いても、跳ね返されて斬り落とすことはできません。
同様に柔術や合気道で、仕掛けが正面打ちにくる。それを見て、正面打ちを肘抑えに取ろうとする。初心者であれば、いくら力任せに捻じ抑えようとしても、中心線を取られて抑えることはできません。
こんな時、「松風の理」を考えます。枝に迎え風は、切り返される、ではどうしたらよいのでしょう?どうしたら松の枝を、揺るがせるでしょう?
もちろん枝葉ではなく、本質・大局です。風は、松の幹と枝の付け根に向かって当たります。すると枝は、無力化します。「斬り結ぶ 太刀の下こそ地獄なれ 一歩踏み込め あとは極楽」と、同一でもあります。
写真は6月23日の稽古風景。牛久の二宮指導員にスマホを渡して、何気なく撮っていただきました。受けの肩付け根が、取りの中心線にきている。取りの両腕が柔らかい合谷になっている。まずまずの技ですね。

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How to use the hips and the knees:足腰を緩めて [武道:剣柔一体(気剣体)]

大東流 棒術
大東流 棒術
今日は古流研究の日。場所は千葉市武道館。月曜日午前の稽古。ほんの4名ですが、この時間なら参加できるという方々で、古武術を学ばせていただいています。
なぜなら剣術・棒術の接触技術に合気があり、その理のままに体術を行うのが大東流であります。これを大東流山本角義派では「剣柔一体」といいます。
私はこうした訓練を経て、養気錬丹の合気道を、楽心館で普及しています。
さて、写真の解説に入ります。
1.大東流山本角義派に伝わる居合・剣術・棒術には、「うねり返し」という共通の技があります。棒術(錫杖術)の技が、以下の動画の5:27の後に出ています。
2.「うねり返し」は、大上段正面切りに来る剣を、こちらの棒との接点を合気にして、切り落とす技です。
3.この記事の写真は、「うねり返し」の基礎鍛錬を、棒で掛け合っているところです。
4.注意点は、腕力で捻ったり、腰で体重を乗せて落そうとしたり。これは無駄な努力です。相手の棒を握る腕の肩肘を、抜いたり返すように導きます。この時棒と棒の交点が、合気になります。
5.中心と緩み、氣と丹田、膝と腰の使い方が大切です。

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スキージャンプ競技と剣の理 「静止姿勢」と「重心」の関係 [武道:剣柔一体(気剣体)]

ソチオリンピック近くなり、各競技の話題が、多くなりました。私たち剣の理により術の体得を目指す者として、スキージャンプに関心持ちました。日本には岡部・葛西選手など、優れたジャンパーが多く、彼らの技術論・映像は誠に良い教材です。

 

スキージャンプ競技について私は素人であることを前置きして、剣の理からみた感想を述べます。この競技の要点は

1、ジャンプ台を助走する姿勢と速度

2、踏み切り台から飛び出すタイミング

3、揚力を生む飛型・滑空

であると思います。

 

そしてこれは剣の理において、次に相当します。

1、正座なり立位の静止姿勢

2、一拍子の抜き・打ち

3、最小・最短・最弱の等速運動(剣先の描くライン)

 

 

長野オリンピック スキージャンプ競技

 

 

この動画は、原田選手が中心に描かれています。しかしことの本質は、原田選手をはじめ全ての選手が認めていることですが、2回目の一番手として飛んだ岡部選手の飛距離でした。この動画の2:06から2:24が、その部分です。

岡部選手が137m飛んだことによって、後に続くの選手の能力が、最大限引き出されたとのことです。

長野オリンピックの開かれた98年の岡部選手を特集したテレビ番組がありました。それによると98年の岡部選手は、絶不調なため、ワールドカップ転戦を断念し、帰国したそうです。そこで何をしたのか?それがたいへん興味深いものでした。

岡部選手が取り組んだのは、「ジャンプ台を助走する姿勢と速度」についてでした。そしてこれは、居合・剣術を学ぶ者にとって、「正座なり立位の静止姿勢」と「重心」の関係を考える上で、示唆を与えます。

 

参考 合気道とニュートン力学(その2)

続きを読む 「静止姿勢」と「重心」の関係


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「剣術の合谷」と「ゴルフのV」 [武道:剣柔一体(気剣体)]



楽心館で現在の最高齢は、80歳のTさんです。合気道の他の趣味は、ゴルフとカラオケ。剣を上段に構える時は、どうしてもゴルフクラブを振り上げた時の形になってしまいます。

「それでは上段の構えではなくて、冗談の構えですね?」などと、明るく稽古させていただいています。

 

Tさん:「剣術とゴルフは、共通しますよ。一つは頭を動かさないこと。もう一つはVの字に、剣もクラブも持つこと」

 

合谷
 
 
 
上の写真の私の体と剣を持つ両腕を天井から見ると、Vの字になっています。これを日本では合谷といいます。英語でいうVも、valley(峡谷)からきているので、同じ意味です。

 

私:「冗談だなんて、たいへん失礼しました!」

確かにその点は、共通にして最重要です。Vの字とは、剣術でいう三つの合谷(ごうこく)の握りのこと。「頭を動かすな」とは、剣術の口伝ではないですか!中心(不動の頭)と合谷なくして、気剣体一致は、ありません。

 

今日は、Tさん小学生の時の疎開の話になりました。品川区から宮城県刈田温泉に、行ったそうです。私は「ご両親と別れる時は、哀しかったでしょう?」

Tさん:「皆たいへんな時だったから、なんとも思いません」(笑い)。

私:「10万人以上の犠牲者を出した1945年3月10日の東京大空襲の知らせを受けた時は、心配されたでしょう?」。

Tさん:「皆たいへんな時だったから、なんとも思いません」(笑い)。

私:「刈田温泉、その後、訪ねましたか?」。

Tさん:「いいえ、辛い思い出ばかりだから、一度も行きません!」。

 

最後に本当に御気持ちを、吐露されたのだと、思いました。

 

 


絵物語・学童疎開〜うちに帰りたい!〜


全国学童疎開連絡協議会



タグ:合谷

日本剣道形で、スポーツと武道、合気を考えます  [武道:剣柔一体(気剣体)]

「スポーツと武道」、入り口は

入り口は違うものです。しかし、奥に入れば「やり直し出来ない 」真剣さは、同じだと思います。

*スポーツとは

ラテン語のdeportarel  portは「港」の意味。deは英語のfromのような意味だそうです。deportを日本語にすれば、「港を出る」。転じて「日常を離れる」ほどの解釈が可能でしょうか。portareは「荷を担う」の意味。deportareは、「荷を担わない、働かない」ほどの意味だそうです。

これが古いフランス語でdesport。

そして今日、sport。

語源に忠実に言えば、「気晴らし」・「気分転換」が、スポーツの入り口であるといって良いと思います。

ですからその入り口は広く、「誰でも陽気に楽しく」。

 

*武道とは、矛と止の会意文字

「矛」とは、武器のシンボル、転じて危険な場所へ武器を持っている様子。

「止」とは、足・かかとの象形文字で、転じて踏み込むこと。武とは、危険な場所へ勇気を持って踏み込む行為を意味します。

それを人間形成の道として昇華したものが、「武道」・「武術」だと思います。

ですからその入り口は狭く、「その必要を自覚した人が、必死に耐えてやるもの」。

私たち楽心館では、入門の問合せがあると、説明文の中に次の文章を入れています。入門書にも同様の誓約を、明記しています。

*危険負担について
武道経験のあるなしに関わらず、入門によって危険負担の承認が発生します。
健康教室とは異なって、格技を掛けたり掛けられたりする場です。
毎年度ごとに年会費のをお納めいただくことで、スーポーツ安全保険(傷害保険・損害保険)ご加入に、お申し込みいただきます。
ただ軽くお体を動かしたい、そういう動機でしたら、何か他の軽い体操やスポーツをお選びになった方がよろしいいかと存じます。
あくまで武道を修錬する場であることを、ご承知おきください。
もちろんお子様や初心者は、それにあった軽い動作や姿勢から稽古に入ります。
知識経験のない初心者であっても、丁寧にご指導させていただきたく存じます。

 

*かつては日本でも、武術を踏まえた上での武道であったはずです。

以前、私が見聞した話です。ある稽古先は、隣が少年剣道でした。その剣道会は、竹刀競技をする前に、日本剣道形・切り返し稽古を、行っていました。青少年の稽古とはいえ、私は指導方針のしっかりしたことに、感心していました。指導者は、40歳代の男性、二人でした。

ある日のことです。70歳後半から80歳を過ぎたと思われる背の曲がった老人が、たまたま体育館を利用しました。そこで剣道をやっているのを見かけ、日本剣道形を行っているのを見て、懐かしかった様子です。戦前は帝国剣道形と呼ばれたものだ。「拝見させてください」と正座して見学を始めました。

仕太刀が小手打ち、打ち太刀が「摺り上げ小手」の形をしばらく見ていると、老人はスクッと立ち上がりました。

老人「私ら戦前は、こうして教わったんです。斬るんです。斬るのが技なんです!」。そして「ちょっと貸してください」と、木刀を取り、形を始めようとしました。

私は隣で合気道の指導をしていたのですが、老人はハキハキ通る声で仰せになるので、何かが起きる予感しまして、注視しました。

老人は「小手を切るんです!こう切るんです。私ら、こう教わったんです」。そう強調しながら、摺り上げ小手を、行いました。

その技は、二点で、四十台指導者の技と異なっていました。

一、 指導者の技は、仕掛けの小手打ちを楕円を描くように摺り上げ、小手を打ちにいくもの。

老人の技は、正眼から直線に仕掛けの小手打ちを摺り上げにいき、直線に小手を切りにいくので、剣先が三角に移動するもの。最小最短柔らかく、結果として最速の武術的動さ。

一、指導者の稽古の関心は、いかに摺り上げるかで終わっている。

老人の技は、摺り上げは一過程に過ぎず、切ることにいかに身を入れるかが技であると強調されていること。

老人は、術ある剣道です。若い指導者の技は、いかに切るかの大切さが薄かったのかなとさえ、感じられます。 老人の指摘に対して、返す言葉がないように指導者は黙るばかりでした。(指導者の立場に立ってみれば、それは分かっているけれども、現代の子供の指導には必要ない?ということかもしれません)

老人は剣道家でも何でもありません。少年時代、剣道に親しんだ。だけどその時代は、術をして剣を学んだのです。競技として剣道をしている指導者と、こうした差が生ずるとも考えられます。

たとえ剣道でも、競技に留まっていれば、スポーツでありゲーム、とい批判も出かねません。

やがて老人は「良い勉強させていただきました。ありがとうございました」と、礼を言って去りました。

 

*合気と剣は

もちろん大半の剣道家は、斬る刀法・身法・心法を一致させるべく、精進なさっている。私達もこれを機会に、「合気は剣の理合」と語りながら、剣知らずに陥っていないか、猛省したい。

武田惣角先生は一刀流をやっていたから、一刀流をやれば良いのではない。植芝盛平先生は諸流学んだ中で真陰流をやったことがあるから、真陰流をやればよいというでもない。

身を入れて合気になる接触感覚がなければ、何をやっても駄目だ。それがあれば、何流をやっていても有益です。

 

 演武中、心気入って小太刀へし折れるが、落ち着いた対応も立派


タグ:日本剣道形
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剣の理・小手の合気・体の合気は一貫している [武道:剣柔一体(気剣体)]



タグ:合気

剣柔一体:おかげさまで、やっと基本動作~剣術~体術と流れがつかめてきました [武道:剣柔一体(気剣体)]

石川先生、こんばんは

しとしとと雨が降る中、先週の(お化け)一件もあり、どんよりと気が重く始まったお稽古ですが、今日は大丈夫でした!

4月から始めた親子ふたりのお稽古、おかげさまで、やっと基本動作~剣術~体術と流れがつかめてきました
私自身の成果はさておき、賢の青帯の技も細かい所は石川先生に手直しをお願いするとして、大分形になってきたので、9月の審査会に行けたら、と思っています

 

賢ちゃん体の変更.jpg
 
 
 
Tさん、こんばんわ、石川です。
 
「 基本動作~剣術~体術の流れがつかめた」とは、凄いですね!
刀法の背景にある身体法。体術の背景にある身体法。
その両方が、基本動作や基本技技の稽古で、一体となった。
ということですね。
 
それが剣柔一体の合気の道統を継承する、我々の稽古法です。
 
7月末の兵庫訪問が、益々楽しみです。

タグ:道統
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経験や専門知識が、固定観念になると、新しいチャレンジや許容する余裕がない。航海の長い船は、貝殻が船底に付き、速度が遅くなる。船の貝殻はドックで落とせるが、心の固定観念はどうだろう?剣術で例えると? [武道:剣柔一体(気剣体)]

生活の中で、自分が固定観念を持ってる、そのことさえ気付かずにいることは多い。そしてそれは稽古の中にこそ、多い。

それゆへ、

事を錬るは 事を省くの 簡なるに如かず

という。

固定観念を省くことこそ、無駄を捨てることこそ、錬る稽古の本質であるという。剣術でも柔術でもいえますが、剣術を例に考えましょう。

例えば「Sさん、大上段正面打ち、くださーい!」と、打ってこさせる。

そこでSさん、本人は「之が正面打ち」と、打ってくる。

ところがそれは、私にとって正面打ちではない。

なぜならSさんの視覚・身体感覚に、「ズレ」この場でいう固定観念のようなものがあって、微妙に外れているのです。それがやや右の場合もあれば、左の場合もある。

Sさんの思っている自身の中心・相手の中心・お互いを結ぶ中心線は、本来の場所と別の場所にある。

そのことに気づかない限り、何回やってもいつまでも、間違う。

こうした誤差は、もちろん柔術でも修正できる。しかしなんといっても剣術が、微妙かつ精緻に、正すことができる。

それゆえに

柔剣一体とは言わずに、剣柔一体と言うのであろう。

中心を取れる

お互いを結ぶ中心線を、直線に等速で、

一致・一拍子で

それで別世界、呼吸の世界へ入る。もったいないことだ。

もっと深い意味がありますが、今日は簡単な例に、止めておきます。


タグ:固定観念

古武道:第7回 柔剣雷心会演武会 「瞬雷剣美」 のお知らせです [武道:剣柔一体(気剣体)]

荒川区を拠点とする 永野 勝 先生が主宰される柔剣雷心会 演武会が行われます。

私も何回か参加させていただき、たいへん有意義な学びを得ました。この機会にぜひとも多くの方々に、ご高覧賜わりたく存じます。

今年のテーマは 「瞬雷剣美」

柔剣雷心会演武.jpg

日時:平成23年11月19日 開場午後6時・開演午後6時半~午後8時終了予定

入場料:500円

会場:ムーブ町屋3F (東京都荒川区荒川7-50-9) 千代田線町屋駅0番出口1分

内容:「武術と舞踊・鼓・太鼓・尺八のコラボレーション」。武道・武術の経験のない方も、お楽しみいただけます。

私が参加させていただいたのは、母の病気が進む前の頃の事です。その後、永野先生もますます進化され、「場の力に和合した体楽」の境地に至ったのではないかと想像します。

ご本人は「武術の本来の動きでどう魅せるか。 演奏家やダンサーの動きにどう刺激をもらうかと研究中です。」と、仰せになっています。

楽しんでくださーィ!


タグ:古武道 演武
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力抜きといっても、いろいろなので?小手返しに見えるけど、軸抜き。様々な状態から弱腰に崩す。 [武道:剣柔一体(気剣体)]

  • aikijpaikijp力抜きといっても、いろいろなので?小手返しに見えるけど、軸抜き。様々な状態から同様に崩す。
    http://ow.ly/68Gqc
    08/21 23:31

  • aikijpaikijp我々は韓流ドラマ・Kポップはお断り!国旗日の丸を侮辱するな!フジテレビは放送免許を返上しろ!フジテレビ抗議デモ 8・21 その2 | bit.ly/nUxbYb08/21 22:59
  • aikijpaikijpコイツらには投票しない事ですよ! 人権擁護法案推進議員一覧 bit.ly/aFnzPs。人権擁護法案の正体 bit.ly/ct7fvh。08/21 22:59

 


2011山中湖 刀法・身法・心法三つの一致。これ略して剣柔一体。 [武道:剣柔一体(気剣体)]

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一枚目 大上段正面切りの受け方。

山本君が「相手の中心線を取って、交点に身を入れろ!自然と三角形ができて、自然に勝って受ける事ができる」と。

説明しているのかな?今となっては分からないのだ。

二枚目 主将の窪田君。たまたま眼を瞑っていたのか?

剣では眼を瞑る癖があるのかな?今となっては分からないのだ。

「男は目に糸を引け」。心の色を見せてはならないけれど、瞑ったら駄目だよー

三枚目 袈裟切りの受け方。

位置関係の「氣剣体」(きけんたい)一致。中心線と交点に入る事は、大上段と同じ。

失敗すれば、「危険たい!」(きけんたい)。顔切られるぞー!

この写真の形では、やや怪しい。

四・五枚目 袈裟切りの切り方。

動作における「氣剣体」(きけんたい)一致。

これは高度!

この写真の形では、だいぶ怪しい!

剣の理が、柔の理であってはじめて、力抜きの入り口へ。

これが剣柔一体。


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半身の一致 [武道:剣柔一体(気剣体)]

  • aikijpaikijpダルビッシュ投手の今期フォーム、基本通りの良さ。剣術の八操の構えの理想と同じ。肩がギリギリまで開かないため、1、相手に威圧感を与える。2、いつ飛んでくるか見えない。(野球ではボール、剣術では剣) 今日の文京稽古で、説明に使いました。06/18 23:44

「ぶつかる」と「つながる」の差をつぶやく [武道:剣柔一体(気剣体)]

中学3年の御子さん、試験休み一度して、参加してのこと。ぼそりと

「やっぱ!休むと駄目だな!」

 とつぶやくのが聞こえた。この子も、大したものだな。幼児から稽古しているが、何を稽古するか、着眼点が高い。言った本人は、この本音から出た言葉を、つぶやいたことさえ記憶しないだろう。私は自然に出たさりげなさが、嬉しかったのだ。

力技なのか、合気なのか、その差は?

「ぶつかる」と「つながる」の差でもある。彼は一度の稽古の休みで、その微妙な「つながり感覚」が狂っていることを自覚してあの言葉をつぶやいたのだ。

「接点感覚」と「身の入れ方」だぞ。正しい刀法を会得して、それを身法とする。そこに剣柔一体がある。そして力抜きの崩しの術がある。

いいぞ!中学生!この子は、ものになる!

 


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木刀供養 [武道:剣柔一体(気剣体)]

ここ数年使った木刀の劣化が激しい。剣先三寸から下が、えぐれてしまった。お稽古相手にささくれが刺さって、怪我をさせる可能性もある。長く稽古を手伝ってくれた木刀に感謝しつつ、供養する時が来たようだ。

木刀.JPG

天命これ性と謂い、性に従うこれ道という。木刀は木刀の性に従う、これが木刀に対する供養というものだろう。

剣先四寸あたりで切り落とし、小学生が使う木刀として再利用するのが、第二の木刀人生となります。この日は他にもう一本、本部道場のものを切り落としました。

さすがに鋸を入れる時は、往時を惜しむ。手に馴染んだ感触が、懐かしい。どうかこれからは子供の鍛錬のために、働いてください。そう願いつつ、ざっくり斬り進めたのでした。

(写真は自宅玄関にて)

 

 

 


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剣柔居一体 [武道:剣柔一体(気剣体)]

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膝行。「しっこう」と読む。合気は、会津の殿中武術に起源を求める説に符合して、どの会派でも必ず行われる基本動作である。それだけにこの動作を比較すると、そこの指導者がどのような考えで全体の修錬を行っているか、垣間見ることが出来る。

私の考えでは膝行において、頭がぶれたり、肩と骨盤を結ぶ線が捻れてはならない。理由は簡単、「膝行は 立てば歩ける そのままに」。膝行と歩行、矛盾があってはならない。「しっこう」という武術的用語があったところへ「膝行」と当て字をしたのであって、元来は「漆膠」であったと考えるからである。

 宮本武蔵の兵法三十五箇条の二十八番目は「しつこうのつきと云事」とある。「漆膠のつきとは、敵の身際へよりての事也。足腰顔迄も、透(すき)なく能(よく)つきて、漆膠にて物を付るにたとへたり。身につかぬ所あれば、敵色々わざをする事在り。敵に付く拍子、枕のおさへにして、静成る心なるべし」。

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 私が学ばせていただいている会津伝小野派一刀流では、斬り落とした後、敵の切り返しを殺すために漆膠して中心を取りに行く動作がある。そしてこれは、居合「横雲」の二太刀目の動作でもある。こうして今更に、なるほど武術は「剣柔居一体なのだ」と、思う次第である。

注)漆はアスファルトと共に、石器時代より接着剤として使われていた。割れた器や物を、膠着させるために漆を使うことが、 生活の中で行われていた。それが武術の中でも、相手と接着するように中心に入り身になることを、「漆膠」(しっこう)と呼ぶようになったと思われます。


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大東流と合気道 [武道:剣柔一体(気剣体)]

武術と武道、様々な定義はあるだろう。結果と過程から考えてみる。

武術は結果が全てであって、勝が得られなければ過程の大半が無価値になる世界。

武道は勝ちにゆくが、その過程が様式と精神において美しくなければならない。その美しさは結果が出た後も、生き方全般も、求められる。それを礼儀正しくという場合が多い。

しかしこのような修辞的な区別には無理があり、重要なことではない。
武術が全てであった時代でも、仏教や論語を深く学んだ方々はあった。今日の武道と称する世界にあっても、名利を求める人は多い。
だから修辞的区別に捕らわれることは、現実世界に目を瞑るに等しい。

さて話題が大東流と合気道の定義となれば、どうだろう。術と道の定義に止まらず、武田惣角先生と植芝盛平先生の個性に対するより好き嫌いの感情が入って、大東流好きの合気道嫌い、合気道好きの大東流嫌いは多い。両方を学ばせていただいている私はかねてより、保存、活用、創造と分けて考えればよいと思っている。

では私は、大東流「家」なのか?合気道「家」なのか?
今の私には、どうでもよいこと。武の旅の、どこに居るかの問題に過ぎない。たとえば船に乗るとしよう。川の流れに乗っている。河口に浮かんでいる。海を航海している。いろいろだ。

合気道という川から船に乗る人がある。大東流という川から船に乗る人がある。中には河口まで来れない人がある。海を航海できる人もある。
川の流れはそれぞれに違うが、海に流れ込めば一つの世界。

「武は一つ」。そういう言葉を聞いたことがある。一つとは何だろうか?合気という船旅が、河口に至って見えるもの。剣の理合い、手の技法と崩しの術。これを大東流山本角義派では剣柔一体といい、合気道では△○□という。

武の船旅が海へ出れば、術と道も。心と身体も。意と形も一つ。

武の旅は 一致の一で 心楽氣和

合気道楽心館 http://www.aiki.jp/
動画ブログ:剣柔一体 http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3
メールアドレス:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


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玄関 5 本部道場 [武道:剣柔一体(気剣体)]

 写真は本部道場の事務所入り口。つくばいを置いて、和風にしてあります。

 実は5年ほど前に、自分で作りました。この玄関に立つと、当時の作っていた自分、今見ている自分。この対比に感慨深いです。
 石が紫外線に焼け、雨にさらされ、風合いが生じています。時の経過を越えて、私も稽古の在り方も、年齢なりに風合いが出来て?どうかな。

 あの頃、私は形ばかりの稽古をしていることに、行き詰まっていました。というか、出来ない自分に耐えられなくなっていた。
呼吸?
合気下げ?
△○□?
剣柔一体?
名前ばかりの氣と丹田?
和合、繋がる?
身体を使えていない自分が、そこにありました。

 そんな時期のこと、出水先生(免状作成http://blog.so-net.ne.jp/ichirakusai/archive/c10913)との会話に、ヒントを得たのです。出水先生が昔、墨絵を大平華泉先生に習っていた時のこと。意臨形臨背臨。そう学んだというのです。(意心形心のP48)
 背によって意と形が繋がるということ。簡単にいうと、形の表にのみならず、形の裏をしっかり描いてはじめて、意を表現出来る、そんなことだと理解しています。

 剣柔一体、剣と柔を繋ぐものは何か?合氣とは小野派一刀流剣術の理合いのこと。その合氣による体術が、合気道なり合気柔術であるという。
 これらを繋ぐ形の裏を描こうと、取り組み始めたのが40才の頃です。(身体では内側、氣と丹田の錬りのこと)

 まず自分の身体を整える前に、生活の場を調える。そう思って東側には煉瓦を敷いて、入口にはこの写真の空間を作ったのでした。
 学んで己の無学を知る。いつまでも、新しい課題が尽きません。でもそろそろ、このスペースを片付けるかな?自転車を置くスペースも増えるしねえ。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
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かれいのかれいど [武道:剣柔一体(気剣体)]

かれいのかれいど、カレーの辛い度。
カレー専門店のカレーライスがどれだけ辛いかの話、ではありません。

私の「加齢の華麗度」の話です。

華麗度、序の口
お店で何かを買う。お金を支払う。そのまま出ようとする。
店員さんがあわてて、お客さんこれ忘れていますよ!!と、商品を渡してくれた。

華麗度、大関
電車を降りて歩いている時、股関に風が通る。
おやっ!と思う、社会の窓が完全に開いている。
いつから開いていたのだろ?
あっ!ズボンをはいてからずっと、オープン ザ ウインドゥ。
こうしたことが、最近、多くなってきた。
変な誤解を受けて訴追されると、有罪率99%、我国は世界最高比率。
もしそんな時、妻は私を信じてくれるだろうか?これが問題だ。

華麗度、横綱
地下鉄に乗る、座席に着く。
電車の揺れに身を任せていると、左側から腕に何か尖った(とがった)ものが、私の左腕に当たる。なんだろうと思って、落とし目で左を伺う。あっ!
左隣には女性がいて、私に向かって彼女の右肘を尖らせている。
「キモイ!このラインより近づくな!」そんな意味なのだ。
私は眠って左によさり掛かったのではない。単なる電車の揺れに、身を任せていただけなのに。それはあんまりではないか。
しかし驚く。彼女の右肘は、正確に私の正中線を狙っている。彼女の正中線・彼女の左肘・私の正中線が、一直線。三位一体!右肘の尖がり一つで、確実に私の身体を抑えている。剣の正眼の構えで、相手の中心と結んでいるのと同じだ。

すごい、こんな場所で剣柔一体を体験するとは。恐るべし、OLの電車通勤。

注)キモイ:気持ち悪い意味の若者言葉のようです。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
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稽古始 [武道:剣柔一体(気剣体)]

 午前中は事務。午後は稽古始だ。もう、身体を動かして準備しておかないと、土曜日の文京の稽古で×だ。毎週土曜日は、9時間指導で、動かなければならない。(移動時間を除く) 息子を供に、サッカーボールを持って小学校のグランドへ。さすがに地方都市の郊外ともなると、校庭は広いな!多摩地区とも比較にならない広さだ。これをほとんど独占して使えるのだ、気分だけは豊かだぞ!

 他に野球の親子が二組。どうやらお父さんは、少年野球の指導者のようだな。系統だった指導をしている。キャッチボールで身体を暖めてから、遠投。守備。バッティング。フォームも細かに直してしている。小学4年生ほどのお子さんだ。
 私にはこうしたスポーツの能力もなければ、専門的な指導法も知らない。単に稽古の世界に身をおいた者の疑問を、述べたいと思う。

 私にはあのような野球の指導は、分からない。自分自身にも、息子にも、いや普段の稽古でも。指導は簡単なことで、終わる。たとえば今日は息子に対して、次のような言葉しか掛けない。剣柔一体、剣の扱いのままに動くだけだ。

 「軸を立てろ」(時には頭を立てろ)
 「頭と肩を上下させるな」(時には捻るな)
 「正中線(時には半身)とボールと目標に三つ。ラインと氣を通せ」

いい動きが出た時は、大声で褒めてやる。動きが崩れた時は、具体的にどこを直すか、声をかける。

 あの野球の指導者が私を見て、「理論的でないスポ根性的指導」と感想を持つ可能性がある。一般的にはそうだろう。しかし本質を掴ませる、それが大切だと思う。小手先の技術で、一時は延びるだろう。しかし個性が失われ、伸びしろもなくなる。子供に大人と同じフォームと技術、やらせる必要はないように思うのだが。

 話は江戸時代に飛ぶ。芸道の世界に「一」の大切さに気づいた方々があった。武芸はもちろん、一之太刀とも一刀流とも称し一刀斎と名乗った。一楽斎と名乗った方は、書道・茶道の世界にもあった。

 合氣も野球もサッカーも、我らのテーマは「一」でしかない。これが本質だから。息子が「もう降参です」というまで続けた。ボールを洗って、今日の初稽古を終えた。


タグ:体軸の養成
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