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温暖化 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

一楽斎の庭に、去年と同じ芋虫がご登場。

明日葉(あしたば)を食べつくして、どこかへ移動。六匹くらいいたかな。

去年の写真は、ここ。http://www.aiki.jp/ishikawa/saijiki/saijiki-9/saijiki-9.htm
時期が遅れてのご登場は、地球温暖化のせいだろうか?日本のある温帯地域に最も影響が大きいという。推計では6度も気温上昇するという。2度までの変化が生態系の許容範囲だそうだ。

人間の生活も、腹八分目に留めたいところだ。日本人のDNA、腸の長さからすると、江戸時代中期の雑穀を主食とする食生活が、最も合っているという。雑穀を食すると良く噛む。大脳への刺激で、知能が高くなりアルツハイマーも予防できるそうだ。食物繊維は毒素も排泄し、肌のしみはとれ肌理(きめ)細やかになると言えば、女性の耳はダンボの耳になっていることだろう。

仮に私がアルツハイマーになったとする。妻の顔を見ても「アレッ!このお婆さん、だれだっけ?」と、よだれをたらして言っていることになる。それを聞いた妻は、どんな顔をしているのだろう。笑って赦してくれる可能性は、無限小。想像するだけでも、地球温暖化より怖い話だ。まっ!これは冗談でした。

とにかく雑穀を主食として、腹八分目に留めたいところだ。

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師の恩 出水節子先生 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

邦楽について
 NHKFM放送で邦楽を聞いていた時、鼓(つづみ)奏者の話が印象強かった。

 「鼓には楽譜があります。これがそれです。今からこのとおりに、打ってみます。
     (ここで演奏?があった)
こうすると、実につまらないものでしょう?」

 鼓奏者は、楽譜だけでは演奏にならないことを、示したかったのだろう。以下は私の解釈。
 左手で肩へ鼓を載せる。左指の微妙な握り加減で皮の張りを調整する。右手の微妙な打ち加減。これら微妙なは、楽譜に載らない。
 この 微妙な を表現したであろう、様々な口伝。そして何よりも大切なこと。心を技術に載せること。
 総じて、呼吸、氣、胆力としか表現の仕方がなくなるのでしょう。こうして初めて、楽譜が演奏に進化するのだと思います。

書道について
 書道にも手本がある。しかし、それを読みきれない。それを読み解いてくれる出水節子先生がなければ、どうにもならない。

 表面では一動作に見えるものであっても、三動作を使って書いている。軸と筆は立っていなければならないが、こんな場面ではこう傾斜してもよい。などなど、微妙。師はそれを実演してくださる。
 私が手本をどのようにひっくり繰り返しても、自分の力で読み切ることはできない。

 私が書いている。正面に向かい合わせで師が座っている。
私が筆を進めると、師の身体が揺れ動く、力が入るのが伝わってくる。御本人は、筆を手に書いている私に、なりきっているのだ。

 ーここで呼吸、躍動感を入れろ!ここは早く!ー
 こうして無言で、伝えてくれるのだ。伝えようとする情熱が肉迫する。指導者の惜しみない愛情、このやりとりの中にこそある。

 私が筆を置くと、師は言った。
「もうちょとね、自分の心を現すのよ…」

 何年経っても、受ける注意は同じ。こうして手本が、書に進化するのだと思います。

 ここでいう手本と書が、武においては型と技に対応する。型が技に進化する、師の導きと己の努力の合致が大切。

師のお宅で二人きりの稽古

武も書も、稽古の面白さ。
 技術を超えた、氣と胆力と動作の三位一致の世界があること。そしてそれを生身で伝えられ、またそれを伝えていく。これ、稽古の面白さ。

武も書も、師のある有り難さ。
 この師の代理は、この師しかない。自分の持てる力と、師の持てる知見との距離が、あまりに遠いから。
 縁あって出会う。努力あって出会いの意味を深める。

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ネットでリセット 3 第2の理由(欲望・疲労) [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

 現代人が生命に対するリアル感を喪失している第2の理由、考えてみました。この話題に関係なく、根源的な問題かもしれません。そもそも大人は、スイッチをリセットすると破壊された自然が回復するとでも思っているのではないか?

第2の理由。現代人は、自然から与えられたものをはるかに超えた人工環境で、消費生活に幸福感を持っている。欲望は際限なく広がり、大半の人が妄想に浸っていることにさえ気づかない現状がある。例えば二酸化炭素排出による自然破壊で、地球環境が待ったなしの状態であることは、さまざまな統計や予想で数値的には知っている。氷河もツンドラの森林もサンゴ礁も、消失するというのです。ではどれだけの大人が、生活の中で行動を起こせているだろうか?地球環境もどこかでリセットできるような、あるいは思考を先送りしているようなことはないだろうか。

 稽古が始まる前、私は道場の神棚に祈る。「先祖代々、ありがとうございます」。ただそれだけだ。願い事はしない。先祖代々から与えられたもの、それを使い切って生きるだけであって、それ以上のことを願う必要はない。ではもし仮に、与えられた以上のものを求めると人間はどんな悪循環に陥るか、農業を例に考えてみよう。

 仮に私が農業に従事し、光・風・水・土と自然に与えられた身の丈以上の生産性を求めるとすると、温室を作ったり、大規模に機械化した耕作をする。こうすると、たしかに付加価値をつけたり、生産性は上がる。単位面積あたりの売り上げは向上するだろう。しかし収益はどうか?設備投資に対する金利払いや燃料費が、売り上げに正比例して増える。売り上げ増加に反比例して、収益性は下がるのである。だから自然から与えられた力以上に生産性をあげればあげるほど、労働は増える一方で、利益の増加率は低減してゆく。
 そしてさらに大きな問題が起きる。金利払いや燃料費は、金銭で埋め合わせることができる。ここで何か忘れていることに気づくはずだ。疲れ果てた自分と家族の心身。これは金銭では、埋め合わせることはできないのである。

 こうした身の丈以上を求めることの悪循環は、さまざまな業種に、生活上の人間関係に当てはまると思う。子供が生命に対してリアル感覚を持たない、さらに問題なこと。それは大人世界が欲望の悪循環に陥ってることにさえ気づかない、すなわち妄想状態であることだと思う。

庭のチューリップの葉の上に、露が溜まった。生命の美しさ・弱さを思わせる。

この話題はこれで、終わりにします。

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ネットでリセット 2 個人的意見(リアルとバーチャル) [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

 柳生さんは第1の理由として、リアルな死から現代人が遠ざかった生活をしている、という。まずこれについて、個人的意見と体験を述べたい。

「個人的意見」
 柳生さんは、9・11とネズミの比較をされている。これは不適切な例えで、どこかで修正なさるべきだと思う。9・11は作り手の意志の介在が少ない、リアルタイムに進行した映像です。被害者の数も多いのに、それをネズミと比較してしまうのは、誇張が過ぎるし不道徳でもあると思う。

 ここで大切なのは、柳生さんがリアルとバーチャルの落差を伝えたかった、として理解することだと思う。

 ニューヨークテロ、二千余りの方々が犠牲になる映像はバーチャル。掌の上でだんだん弱って息を引き取るネズミはリアル。リアルのネズミの死の方が哀しみ深いと、柳生さんは仰せになる。自分とリアルな因果関係が深いと、たとえネズミであっても立ち直れないほどの痛打を受けると言っているのだ。では私の生活の身近に、どんなリアルとバーチャルの落差がみられるか、考えてみよう。

 例えば、Aがリアルな体験と想いを、100枚分電子メールでBに送ったとする。キーボードを叩く行為は手書きと比べて、勢い感情が前へ走りやすい。Aにとってはリアルな体験が、電話線(あるいはファイバー)を通って活字として表現される。Bへ届いたときには、趣旨不明なバーチャルなものに過ぎなくなっている。
 ところがCはリアルな体験と想いを、3枚分便箋に自筆で書いてBに送ったとする。 Aにとってはリアルな体験が、郵便局員の何人もの手を経てポストに届く。それを自分で歩いて取りに行き、鋏で封を切る。文字には自筆の文字の持つ呼吸と躍動がある。Bへ届いたときには、リアルなCの想いが伝わってゆく。

 ネットを使うべき時と使わないべきでない時の見極めは、大切であると思う。

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ネットでリセット [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

 俳優の柳生博さんが、4月9日NHKラジオ放送で話されていた。一部分しか聞くことはできなかったが、印象に残った部分を紹介する。
「最近、スイッチをリセットすると死んだ人間が生き返ると信じている子供が、増えている。これは現代生活が、リアルな死から遠ざかっているためではないだろうか?現実に私もテレビニュースで、9・11のニュウーヨークテロの報道を見て、哀しみを感じたかと言うとそれほどでもないような気がする。私が子供の頃かっていたネズミが、自分の掌の中で息を引き取ったときのほうが、はるかに辛かった。ネズミと一緒に自分も死にたいと、思ったのだった」。

 全体の一部分に過ぎないが、そんな話が冒頭にあったような気がする。(月曜日で、千葉市武道館へ向かう自動車運転のほんの数分のことだったので、記憶は定かではない)。
 私が興味を持ったのは前半の「リセットすると死んだ人間が生き返ると信じている」部分で、私が社会の事象を見ても、納得のいく話であった。以前では考えられないようなことが今日、さまざま起きている。

例1)自殺願望をもつ人たちが、ネットで連絡を取り合う。そして初対面の人たちが集合する。そのまま「死にましょう」と実行してしまうことが、各地で起きている。

例2)リアルな場面で人間関係が壊れてしまったとする。それをメールでリセットしようとする。真意が伝わらないやり取りで、針小棒大・本末転倒なやり取りが増幅され、子供から大人まで殺人事件が起きている。

 柳生さんは、「現代人の生活が、リアルな死から遠ざかっているためである」と、既に述べている。これはもっともなことで、多くの人によって語られている部分でもある。こうした問題は私の仕事、身体活動を通したコミュニケーションをしている者にとって、切実に感じる問題でもある。「生身の」・「一期一会で」のありかたで、一回一回の稽古での伝達だけがすべてであると思う、いや理想とするだけに、切実に感じる。ネット、それは自分の仕事の対極。それでいて自分も使い、周囲の人もこれでアプローチしてくる。
 そこで私は、第2の理由と第3の理由などを、考えることにした。

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日本的身体使いの消失のながれ [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

さて続きです。
日本的身体使いの消失の流れについて、話題を進めたいと思います。
とりあえず三つの柱があるかと、思います。

1、富国強兵策 学校の体育も、軍体調の教練的なもの、国威発揚的なスポーツ振興に傾斜していったのだと思います。

2、侍(さむらい)層の没落。一転失業者集団です。北海道の開拓もこうした方々の就業対策の一環でした。武田惣角先生・植芝盛平先生。又私の師匠である長尾全祐先生の先祖方も、こうした歴史の中、北海道に渡り、合氣の武道も醸成されることになります。
江戸末期の人口割合について、ブログ 「いき」の研究 に問合せていますので
http://plaza.rakuten.co.jp/population/diary/200701140000/#comment(うまく表示されるかな?)
こちらをご覧ください。
以下、和田光平さんのお話です。
「私の記憶では、確か、江戸時代(末期かは未確認ですが)の武士とその家族の割合は全人口の5%くらいではなかったかと思います。そして同じくらいの割合で町人(商人)、これらよりわずかに少ない割合で、僧侶その他がいて、残りの9割弱が農民ではないでしょうか」

3、明治以降の都市化による農村人口の減少。
以下も、和田光平さんのお話です。
「 それから、明治期の都市部と農村部の人口ですが、これもいま手元には明治後期頃(参考までに大正期と昭和初期も含めて)の資料しかありませんが、それによると下記の通りです。

 総人口    市部割合 郡部割合
明治31年 45,403,041    12%  88%
  36年 48,542,736    14%  86%
  41年 51,741,853    16%  84%
大正 2年 55,131,270    16%  84%
   7年 58,087,277    19%  81%
   9年 55,963,053    18%  82%
  14年 59,736,822    22%  78%
昭和 5年 64,450,005    24%  76%

 市部は、市(東京都特別区部を含む。)の区域をすべて合わせた人口です。郡部は、町村の区域をすべて合わせた人口です。現在では、都市部や農村部の区分については、町村合併や新市の創設などにより市部地域が拡大され、市部・郡部別の地域表章が必ずしも都市的地域と農村的地域の特質を明瞭に示さなくなったため、都市的地域の特質を明らかにする統計上の地域単位として、昭和35年国勢調査から人口集中地区が設定されています。しかしそれ以前にはこの区分がありませんでしたので、明治期頃なら市部・郡部の区分によればよいでしょう。(2007.01.18 12:49:31)


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日本的なものの伝え方 続 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

さて前回取り上げた年譜は、日本という統一国家を作り上げていくのと平行して、侍文化を捨てていくプロセスでもあります。かくして男子で古来の日本髪を結うことができるのは、歌舞伎と相撲の世界の人だけになりました。警察官でさえも、帯刀できなくなりました。
日本という国家の元に、統一した官僚制度・統一した軍隊を築くこと。逼迫する財政を立て直すには、旧来の士族社会の名残を一掃する必要があったのです。
富国強兵という目標の元、学校教育も、国家主義的近代公教育制度の確立の必要に迫られました。ですから学校は、官僚と軍人を育てるための機関です。今でも使われている、ガクラン(詰襟の黒服)。このデザインの元は、ナポレオンの陸軍の服装です。日本は、ロシア・ドイツ・フランスの軍隊の様式・技術を、模範として学び取ってきました。
そこで問題は身体文化です。近代的な軍人を作ることに比例して、日本古来の身体文化を捨てる必然性も増したのです。少なくとも当時は、そう考えたのだと思います。

では又、今度(いつのことやら?)


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日本的なものの伝え方 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]

家康様がご指摘のこと
 武術(あるいはスポーツ化していない武道)を行っている人口は少なく、我国はスポーツ全盛。これは弱肉強食の風潮を助長しているともいえる。もう少し武術的な身体文化を通して、育成主体の思想を伝えたい。
 真にご立派なお考えだと、一楽斎も思います。中・高生もこのブログをお読みになっているので、少し補足しながら私の考えも述べたいと思います。

 
 国家・国際レベルでは、身体文化がスポーツ化・ビジネス化することは避けられない面があり、時には必要でもあります。
 そのような中で、日本的なよいものを伝えようと思ったら、地域レベルで縁のあった方に、信じ・育み・伝える、質の高い活動が大切です。ですから小さく始まり小さく終わることに、意味と美しさがあると信じます。この「信じ」は「神事」と思ってこそ、生涯の仕事になります。

 明治維新によって、日本的身体文化の多くが失われる運命にありました。しかし之は時代の要請でもありました。
1869年 版籍奉還(日本の明治政府により行われた中央集権化事業の1つである。諸大名か
ら天皇への領地(版図)と領民(戸籍)の返還。
1870年 庶民の帯刀禁止
1871年 廃藩置県
1872年 散発脱刀令
1876年 廃刀令

続きはまた今度


タグ:明治の体育
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