煩悩即菩提で白秋・林住期を生きる [素心]
季節折々、人生折々
人生に望む欲望の充足と不充足、成長と衰退。季節折々の変化と同じように、人の成長と衰退あり、人生折々の役割を自覚したいものです。
「人生の四季・四住期・世阿弥の初心」を比較しながら、「武道家として、煩悩即菩提で白秋・林住期を生きる」ことを考えます。
無縄自縛 むじょうじばく [素心]
無縄自縛とは
自分の空想が固定観念となって、自分の言動を縛ることです。こうした誤りを、禅では無縄自縛といいます。武道では居着(いつく)といいます。
本来の宗教や武道は、己の無駄を省き、自由になるための教えのはずです。ところがこうした世界にこそ、無縄自縛が起きがちです。
私の身の回りの体験で、考えます。
匠の精神 [素心]
aikijp政府が「匠の精神」を重点戦略とした中国 日本の和菓子店を紹介 #ldnews https://t.co/gsIBx7hY5E05/18 22:04 aikijpRT @SatoMasahisa: 【《自衛隊》「誇りに思う!」「決して忘れない」撤収報道に被災者から感謝の声止まず】
手を振る子供に敬礼で返す自衛官、いい写真です。佐藤自身も体感したが、活力源にもなるし労苦も報われる
https://t.co/ZabILvbn8D https…05/18 22:20
継続は力なり [素心]
現在、楽心館子供クラス 小学3年の原桔梗さんが、これまでを振り返った作文(平成27年春の作)を紹介します。
「でもないたじきもありました。」(でも泣いた時期もありました)
と書いてあります。
原さん家族のあり方から、「継続は力なり」について考えます。
衆生と仏、地獄と極楽 [素心]
私の机の正面に、道元禅師の歌を、ボールペンで走り書きしてあります。
「おろかなる われは仏に ならずとも 衆生を渡す 僧の身なれば」
(道元禅師和歌集『傘松道詠』)
禅者でもない浅学な私には、正確な理解はできないことを前置きして、感じたことを書いてみます。
これから受験生活へ入る皆さんへ [素心]
稽古の終了時、私が選んだ言葉を、皆で唱和することが多いです。たとえばこんな感じです。
「今日は道元禅師 正法眼蔵のお言葉を、元気よく唱和させていただきましょう。
霧の中を行けば
覚えざるに袖濡れる(衣湿る)
良き人の中を行けば
覚えざるに良き人なるなり」
秋は、受験準備のため退会する小・中・高校生が、多くなります。見送る言葉に相応しいので、この言葉を考えます。
「争わずして勝つ」と合気道 [素心]
争わずして勝つ
老子は「天の道は、争わずして而も善く勝つ」(意味 …天の道は、争わないでいてうまく勝ちを占める)といいました。
武士道は「剣は抜かずに相手を制する」を、理想としました。
自己実現と武道 [素心]
自己実現 self-realization
自己実現とは、心理学者によると「個人が自己の内に潜在している可能性を最大限に開発し実現して生きること」だそうです。
より簡単にいえば「自己の潜在能力を開発実現すること」になります。これはこれで、良いことだと思います。しかし、西欧的な強い自我を強調され過ぎと感じます。
なぜなら他人との関わりが、説かれていないからです。
自己実現とは
自己実現とは、仏教関係者のよく使う言葉、「端楽(はたらく)」が、ぴったりします。
自分の才能を伸ばすのは当然として、それは自分の為ですか?もちろん自分も含まれますが、自分以外の何かのために働いてこそ、意味も幸福もあると思います。端楽(周囲の人を楽にして差し上げる)とは、「働く(はたらく)」の説明として引用されます。
さらに進化すると、自己が介在することそのものが無駄である、という考えもあります。自己がない世界、「自然実現・世界実現」がそれです。そうはいっても、認識する自己を高めた結果として自己を消すのですから、最初から自己を否定する教えは現実的ではありません。自己を愛し大切にすることなくして、他のみを大切にせよていうのでは、偽善を感じます。
私が武道を生業としているのは、もちろん自分の為もあります。しかし「日本の伝統文化を青少年のために」、これはもっと大切でした。
天職でラッキー! [素心]
男子の将来に就きたい職業の第一位は、スポーツ選手だそうです。その理由が、「社会の脚光を浴びる」とか「富裕になる」かどうかは知りません。
もし「心と技、自力で生きていく」ことに魅力を感じてのことならば、武道を生業とする私は、子供たちの夢を実現したといえます。
1、健康こそ人生で最大の財産です。金銭や名誉に勝ります。その健康を伝える職業こそ、私にとって天職です。
2、自ら選んだ職業で自立活動できることは、人生第二の財産です。
ゆえに、天職を自立活動する私は、さらにラッキーで楽氣ーです。
技芸で生きていく場合、どのような学び方があって何が大切かを、一般論で考えたいと思います。
人間関係力と決断力がなければ、どこで何を学んでも、活用は難しいです。
雪中送炭 援助について [素心]
雪中送炭
「雪中送炭」(せっちゅうそうたん)とは、「人が最も困っているときに援助の手を差し伸べる」という意味の成句です。私が35歳で嫁を迎えた時、祝賀の席の挨拶で使いました。
「今日を迎えられたのは、皆様に雪中送炭していただいたお陰です。これからは、私が雪中送炭できる身にならなければならない」、そのような趣旨を話しました。
あれから20年経ちましたが、いまだに間違いを繰り返してる自分について、考えたいと思います。援助をいつ始め、いつ止めるか、それは難しいです。
悔しさ 貧困 克己心 [素心]
悔しさ
先週のこと、ある子供クラスのお子さん、全員泣いて帰りました。
一年以上継続した、小学3年生までのクラスです。転換と体の変更動作を組み合わせた動きが、難しかったのでしょう。私の雰囲気の怖さと悔しさが相まって、一人が泣くと連鎖反応で、全員が泣きました。
稽古が終わりに、「皆ができることしか、やらせません。必死三昧になる中で、自分の才能を伸ばすのが武道です。この経験を学業を中心とした学校生活で活かしてください」、このような話をしました。
一刻も早く帰ろうとする子供たちの中、一人の男の子がお母さんへ「ワッ」と泣きつきました。お母さんは「いったいどうしたの?」と驚いていました。
「誰か辞めてしまうかな?」、あるいは保護者様から「稽古を改めてください!」と苦情があるだろうな。でもね、悔しさで泣くのなら、とても良いことなんだけど。
そんなことを考えて、今週の稽古日を迎えました。
無常迅速と呼吸 [素心]
無常迅速
私の人生に豊かな影響を与えてくださった方と、5月19日に面会しました。その91歳の出水先生が、別れ際に語りました。
禅語に言う「無常迅速」のことでしょうね。
「時間は、瞬く間に、過去となる。
足で地球を踏みしめていることのチャンス・有難さ。
最近そのことを、強く思うの」
武道道場の障害者への対応 [素心]
何が障害か
生れながら心身に障害を持つ、これは人生のスタート地点から本人に責任のない負担なので、こんなにお気の毒なことはありません。しかし障害自体を、他人が「気の毒」・「不幸だ」とか。ステレオタイプの同情は、いかがなものでしょうか。
障害をさらに不幸にするのは、自ら作る心の妨げ(限界)や社会の妨げ(偏見)だと思います。こうしたことは多くの方に語りつくされていると思いますが、稽古の中で体験したことを、紹介します。そして楽心館の活動を、考え直したいと思います。