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玄関 4 子供の日 [千葉県千葉市合気道本部道場hombudojo]

 5月5日、千葉本部の稽古は休みの予定だった。ところが「やっぱりやろう!」と思い立った。何故かというと、子供の日は合気道楽心館の創立記念日となっていた、そのことが大きい。記録上は平成5年5月5日に、創立したことにしている。現実はもう数年前から、この名前で稽古していたが、どうしても子供の日に志を立てたかった。理由は説明するまでもないこと。
 休んでいる気がしないので、皆さんに「稽古することになりましたから、来られたらどうぞ」と声をかけた。すると、朝稽古・夜稽古、ほとんどの方が参加してくださった。
 理由を知らない皆さんが、淡々と集まり、淡々と稽古する。自分一人このことの有難さを、噛み締めた。楽しかったことから辛かったことの引き算をして、何が残るのか。無事是名馬といえるように、歩みたいものだ。
 実はもう一つ多きな理由がある。中級者向けテキスト「真理平凡」を書き終えた。日付を平成19年5月5日とした。


 玄関では、息子の手作りの鯉が4匹泳いでいる。いったいどこへ行くのやら?玄関を出て、ずっと遠くへ行ってもいいのだよ。広い世界を見て、大きく育て。
 世界の子供たちに充分な食料・必要な物・愛情・才能を伸ばす機会が、あまねく与えられるよう祈ります。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


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でこママ

千代田線日比谷駅から数寄屋橋付近へ向かう地下道の壁が
展示用に使われています。

現在、そこには多くの写真が展示されています。
テーマは「分かち合い」(だったと思います)

ついつい、足を止め、見入ってしまいます。

一楽斎様の「世界の子供たちに・・・」と、いう思いが胸を打つ
写真ばかりです。

大きく派手な事は力の有る人達に任せ、ちっちゃい事で協力したいと
思います。

自分の生活でイッパイなんですもの・・・。
by でこママ (2007-05-09 12:15) 

家康

「堪忍は無事長久の基、怒は敵と思え」家康でございます。

特急サンダーバード50号 レイプ事件に関して徒然なるままに書かせて頂きます。5年ほど前に、フランスでも同様の事件があり、個人主義の行き過ぎた結果とかなんとかで、国家レベルの大問題になっていたことを聞いた記憶があります。 また、先日、一楽斎先生に最近、アメリカでも同様の事件があったと聞きました。ただ、残念ながら、日本でこの問題が国家レベルの大問題になっているとは聞いてません。
とするなら、今の日本は、少なくともフランスより悪い意味の個人主義が行き過ぎてしまった国なのかもしれません。もしかすると、欧米には良い意味でも悪い意味でも宗教によるモラルに関する教えがあるので、日本よりも行動が律せられたり、国家レベルの問題として認識 されやすいのかもしれません。ある有名な先生が「日本は無思想なことが思想だ」と何かの本に書いていました。無思想であることとは、現実しか見ないということだそうです。これが良い方向に行くと、上から決められた規律に忠実に従い、極めて礼節を重んじる国民性になりますが、
悪い方向に行くと何も行動を律するものにない動物と変わらない国民性とも言えるのかもしれません。今は悪い方向に行っているだけなのかもしれません。無思想で現実しか見ないので、基本的に色々な意味での強さをひたすら求める国民性とも言えるのだと思います。
だから、戦後に奇跡の復興を遂げられたのかもしれません。
しかし、強いことと善いことは別だと思います。もう少し分析すると、強いことには、限られた人間にしか恩恵を与えない悪い強さと、万人に恩恵を与える善い強さという2つに分けられるのかもしれません。
関連する話として、イギリスで、紳士の条件として、正直という徳が求められた経緯を聞いたことがあります。「国が起って最初は、詐欺師の類いが跋扈していたけど、限られた人間にしか恩恵が与えられないので、時間が経つと自然発生的に万人に恩恵を与える正直ものが成功していたことから、正直が徳になった」とのことです。決して、観念論で正直が徳になったのではなく、純粋に実学として徳になったそうです。

今のマスプロ教育には、純粋な実学として、この善いことは何かを考える機会が根本的にかけているような気がします。戦前の誤った修身/道徳教育への反動 から、欧米のキリスト教などの宗教にかわる善い行動規範形成学習の機会が、今の日本には根本的に欠落していて、復興する気配もあまり感じません。

個人主義でも、善いこととは何かという芯があれば、このような事件は起らなかったのだろうと思います。論理には起点が必要で、起点を決めるのは、論理ではなく、人生観や感情や性格です。
人生観や感情や性格は、頭よりも、ボディーコミュニケーション/身体言語で身体で感じて覚える側面が強いような気がします。武術は、ある程度、熟達してくると皆、坊さんのような事を言い始めると聞いたことがあります。これは、人生観や感情や性格を善いものへ修めていく効果が武術にあることを間接的に示しているのかもしれません。

気がつくと、いつも似たような結論になっていているので、この辺りで止めます。

ただ、以上の理由から、大人だけでなく、できるだけ多くの次世代を担う子供達に武術に親しんでもらえればと思う今日この頃でございます。
by 家康 (2007-05-10 07:48) 

楽心館と楽氣の代表

でこママさん・家康さん、書き込みをありがとうございます。

一部分が濁ったからといって、海全体が濁って生命力がない、そんなことはありません。
日本について今回、私は一つ指摘をしました。が、日本は社会科学的にみて自由で公正、格差や差別の小さい国であることに変わりません。人口構成や財政赤字は大問題ですが、良いところはまだまだたくさんあります。

複眼あるいは三つの視座で、考えたいところです。
by 楽心館と楽氣の代表 (2007-05-13 22:19) 

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