#aiki #合気 とは [合気道 練習]
aikijp合気に形なし 捕りは居合腰、不利な状況設定 受けは強く中心取って立位 捕りは木刀の接触を曖昧にして、瞬時に崩す 曖昧に形なく合気あり 形なしとは、型稽古の大事を否定せず。書道は楷行草と稽古して、形ない草あるのは、楷行のお陰様。… https://t.co/CWSehmgVHG05/23 13:09 aikijp合気に形なしとは? 色 心意気を見せず 重さ固さなし 加速、圧変化なし 持ち上げ下げ、引き捻りなし 尚且つ一つに纏めて、一致 上体のA→B 足構えC→D このAとCの開始が同時 BとDの終了がと同時 この全てACBD一つに纏め… https://t.co/VGqoKuWIS805/23 13:24
座技呼吸法・両手取り呼吸法 [合気道 練習]
aikijp両手取りから 合気道では呼吸法 大東流では合気上げ という鍛錬法を二つの意味で行う。 一、強さの養成 丹田力.中心力でもある。 これだけでは武術にならないので、次こそ大切です。 https://t.co/YMljZ6uxzK03/02 11:23 aikijpニ、不争の養成 合気といわれ所で、ぶつかりや気配を消す工夫です。 これには丹田力、中心力の体得が前提になります。 一とニを不可分として、稽古します。 従って両手取りは、護身術の実用性と別に、身体作りと理法の理解。後者の比重が高く… https://t.co/tYH10NAGHw03/02 11:32
お父さん、お母さんに、お子様に。親子円満 #合気道 は、珠玉の思い出となりましょう [合気道 練習]
aikijpお父さん、お母さんが、娘さんと稽古する写真です。 私も唯一無二の息子と稽古を楽しんだ日々、懐かしく思い出します。可愛らしい我が子との思い出、人生の宝です。 これからも皆様へ、こうした貴重な時間をお過ごしいただけるよう、配慮して参り… https://t.co/uTgYfbqYOg10/19 12:55
合気とは:心身の色気配を消して空になる→相手は抗う機会損失→争わずして勝ちを得ます [合気道 練習]
aikijp合気はナマケモノになる稽古です。 ただの怠け者ではなく、ジャングルにいる猿のナマケモノです。鳥などを手で捕獲します。ゆっくり柔らかく直線に手を伸ばすと、鳥は違和感を感じてないので、逃げられません。これは柔の力抜きの手と、同じ原理で… https://t.co/ZEtu1YGceL08/22 15:35 aikijp楽心館は瞬時等速等圧運動といって、ナマケモノ手の動きを、良い喩えにしています。 心身の色気配を消して空になる→相手は抗う機会損失→争わずして勝ちを得ます。 これは、楽心館の求める不動不争の合気です。楽しみながら習得して、惟神。高い… https://t.co/aAMiGq7v3I08/22 15:45
挨拶 礼に始まり、礼に終わる [合気道 練習]
aikijpお手紙と折り紙、いただきました。4歳のお嬢様です。 次の土曜日に お互いに礼!(稽古の終了時に、掛ける号令の事) やらせてください。 そんな内容です。一生懸命書いてくれました。 元気良く号令係をして、きちんと挨拶する事が、強い… https://t.co/gXLTwj3hHB12/17 09:15 aikijp大人では気付かない事が、お子様の動機付けになっていたのです。この場合、号令です。 しかし、逆も又、真なり。なんでも無いが、とんでもない、動機無くさせる。どれだけあったでしょうか?もう言葉が出ません。 これからも、特別注意事項です!… https://t.co/OTZBMBek5X12/17 09:26
稽古初めは、正座と、立ち座り [合気道 練習]
aikijpケンちゃん5歳を紹介します。稽古歴1年です。 ママ!ママ!と泣いて、参加しない時期もありました。それも乗り越え、正座が立派になりました。さして指導しませんが、真似しているうちに、形になります。真似ぶ→学ぶ、です。 全ての基本なので… https://t.co/5lOKcGgFUj10/10 07:40
遠山の目付と遠慮 [合気道 練習]
目付の大事
なぜ、目付が大事なのでしょう。
それは護身として「狭義の武道」のみならず、護心・護国として家庭や国を護る「広義の武道」に通じるからだと思います。ここでは、遠山の目付と遠慮について考えます
合気修錬に通じる野球の話 [合気道 練習]
aikijp日本ハム大谷翔平 日本最速162キロはなぜ打たれてしまうのか #ldnews https://t.co/Qrq2B8ZH7h05/16 17:40 aikijp明治後期に日本の何気ない日常の様子を撮影した貴重なモノクロ写真集 https://t.co/BQFJET0TZU @dailynewsagencyさんから05/16 20:04
惟神の道(かんながらのみち)と稽古 [合気道 練習]
惟神の道
合気道は、惟神の道(かんながらのみち)として、稽古したいものです。
思想として「神の意志のままに神と共にある」ことは、高い理想です。日々の稽古の身体使いとして惟神の道は、どのように理解し、実践したらよいでしょう。
稽古の成果は、三本の矢 [合気道 練習]
ずっと続ける
途中でやめたら意味がない
奥深い道だから
詩文のような美しい言葉を語ってくれたのは、6年生のK子さん、稽古歴三年、11月21日のことです。
K子さんの変化から、稽古の在り方を考えます。青少年の稽古の成果は、三本の矢が必要と考えます。
合気道とは 循環と中心軸 [合気道 練習]
心意気と「三つの先」 [合気道 練習]
心意気(こころいき)とは、今日、「物事に積極的に取り組もうとする気構え。意気込み。」として使われます。これは武道から現代人の会話に引き継がれた言葉の一つと、考えます。
手抜き とは 居合と現代的意味 [合気道 練習]
手抜きとは、昔も今も、踏むべき手順を省略して、行うべき事を行わないことです。
居合での使い方も、ほぼ同じですが?
中将さんは、居合をはじめて約半年経過。抜き付けが、「手抜き」だとしても、仕方ない時期です。昨日はからかい半分で、こんな会話がありました。
私:「中将さん、抜き付けが、手抜きになっていますよ?
仕事でも、手抜きしてんだろうから、仕方ないよね?」
中将さん:「(笑い) ハイそうです。そういう意味なんですよね。(基本をすっぽかしていました)」
もちろん信頼関係の中で通じる、明るい談笑です。
抜きつけの「手抜き」の正反対は何か?というと。
「右手を使わずに、左半身と足腰で抜く」とでも、言えましょう。
中将さんはこの基本をすっぽかし、右手で処理している瞬間に、この談笑となったのでした。
今日の話は、居合腰・撞木足・一文字腰、三つの足構えの残っている古流を学ばせていただいている方々なら、通じる話だと思います。
写真は、カルガリーでの指導風景です。
正座 [合気道 練習]
楽心館子供クラスの様子です。教室によって
1、時間ぎりぎりまで、遊んでいるところ。
2、稽古開始まで自主的に、受け身・膝行などを行っているところ。
3、正座して、待っているところ。
いろいろです。 今日は三番目の話です。
10分前には、来た子達が正座していました。私は、
「まだ時間があるから、楽にしていて良いよ」。
そう言ったまま保護者様と話し込んでいました。稽古開始5分前に振り返ると、
さっきの子供達は正座したまま、後から来た子達も、並んで正座していました。
「おいおい、こっちが楽に出来ないじゃないか?」と、私はぼやきました。
そして保護者様は、言いました。
「家に居る時も、坐る時は、普通に正座していますよ。うちの子は」と。
軸を立てて、重心をきめて正座することが、気持ち良いいこと。
これを覚えてしまうと、普通に正座しますね。
私は最近、膝が痛いので、崩すことが多いけど。
正座は気持ち良いです。
型と技 [合気道 練習]
初対面の方を、本部道場で審査させていただく機会がありました。その時の感想を、彼に話しました。所属長の元に、指導を受けてきたからです。
「そこまで習得するのは、たいへんだったでしょう?まして今、初めて来た場所で、初めて会う人たちの前での審査は、お疲れさまでした。
今日あらためて認識しておくべきことは、型と技は同じことをしていながらも、別物であるということ。
型を入口として、技化するために、型稽古をすること。
技化するためには、緩急を崩さずに呼吸あるいは拍子を、入れていくこと。
そのためには、何を見るか、が大切です。
もう一度、手順を見ることは差し置いて、足構え・体軸の使い方・重心の位置と変化、などを見直してください。
新しい発見と工夫が、あるはずです。そしてそれは、型より入って型より出でる、でもあります」。
合気道とは?夫婦和合にも似た? [合気道 練習]
楽心館本部道場は、修理を重ねながら、もうすぐ築40年。この度、シロアリで傷んだ床下を修繕しました。写真手前のスペースがそれです。
見わたせば 花も紅葉(もみじ)も なかりけり
浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮
出典 : 新古今和歌集 作者 : 藤原定家
この道場へ通う皆さんには、ぜひこの歌を暗誦してください。
夜の稽古へ通う時は、さぞや奥さんの機嫌が悪いでしょう?
「(この一家団欒の時に、抜け出して)
いつまでそんなこと続けるのよ!早く辞めちゃいなさいよ!」
そんな風に言われたら
「見わたせば 花も紅葉(もみじ)も なかりけり 浦の苫屋(とまや)の 秋の夕暮。
あの道場は、さながら、海辺の苫葺(とまぶ)きの粗末な小屋が建っているだけの秋の夕暮れの情趣。
しかし、胸に染みてくるこの思いは、何なのだろう。
あの力抜きの崩しを、どうしてもできるようになりたいの?
僕!お願いだから、行かせて!」
そう言って、奥さんを振り切ってください!
そして道場へ来たら、
持ち上げ癖を消して、半身を結ぶ線の内側を入れ!
「先生!わかりません!片手取りは、持ち上げたくなっちゃいます!」
交点へ直線に等速運動
「先生、わかりません!剣術は、交点がずれちゃいます。合気になりません!」
捻り癖を消して、詰めると抜くを、緩んだ瞬間に
「先生、わかりません!どうしても、小手返しは、捻っちゃいます。合気になりません!」
三角作って、 詰めると抜くを、緩んだ瞬間に
「先生、わかりません!合気下げは、体重かけちゃいいます。合気になりません!」
「先生、わかりません!二教は叩いちゃいます。合気になりません!相手が痛い!って叫んでます」
残念でした!
家に帰ったら、詰めると抜くを?付かず離れず?夫婦和合に努めてください!
合気は夫婦和合にも似たものよ。
また来週、浦の苫屋へ、来たれ!
手足二八の理:上体に力感のない身体使い [合気道 練習]
- aikijp 受けで技の成否が決まる気がする。
受けた瞬間と受けた後の対応と分かれるが、例えば受け流し。
受けた後、相手の剣を退かそうと無用な力を加えると、その分方向がずれて、中心を奪われる。ずれた方向を修正する余分な手間に付け込まれる。 http://t.co/9LIK4q5xAJ03/03 23:48
「力を使わない技」と「力感のない技」
人は「力を使わない技」と、言うことがある。しかし、これは正確な表現ではないと思います。
武の技であるかには、力を発し、伝わり、作用し。このプロセスは必ずあると思います。この時、二つの方法があります。
一つは、上体の力みのままに行う場合。
一つは、上体に力感のないままに行う技。
ですから人が「力を使わない技」と言う時、正確には「上体に力感のない技」を意味していると思います。
その時説明に使うのが、手足二八の理。
上体で出していた力を、体軸と足構えに転換します。
武道とは:やわら・柔・和 [合気道 練習]
なぜ日本武術は、「やわら」と呼ばれ、「柔」とも「和」とも表現されるのだろう。「和」に至っては、合気道を学ぶ者にとっては「和合」にも通じ、理想の境地でもあります。考える価値は、あります。
「やわら」とは、
「静かに。そっと。徐々に。やおら」。
を意味します。それは当然のこと。
武術なら、「最小消費エネルギー、最小動作、最短運動で、最大の仕事量」を求めます。
それを達成するには、
相手が反応できない動きをすること。
だから
「静かに。そっと。徐々に。やおら」、なのです。言葉を変えれば、「等速直線運動」。(参考: 合気道にみるニュートン力学とその延長線上にある海と空の事故原因に関する考察 http://aiki.jp/honbu/egakusyu/news/umisora.html)
人間の赤ちゃんが、スッーと伸ばす手。カタツムリが直線に、ニューと伸ばす目(つの?)。あんな感じです。
これが怖いんです。正面からスッー、ニューと入られると、反応できない。
そこに、柔もあれば和もある。対立や力みの反対概念です。
どうしたらそれが、できるのか?
素振りの「素」や、案山子の「枯れた立ち姿勢」に、学んでくださーい!
武術・武道とは、技、受け身、礼や間合い、めつけを体得して、日本文化の神髄を身体で理解し、人格の完成を目指す道です。奥を楽しめるまでが、ながーい道です。
心楽氣和!
天地人とは [合気道 練習]
天地人とは、思想的なことは横に置いて、身体使いとして考えます。
心の中心であり、身体の中心である体中線(正中線)に、天地人に貫くように気を通す。そしてこれは上下前後左右に、ぶれない線とした時。
手足にロスなく、力を伝えることができます。
こうした目的意識を持った諸動作を、養氣錬丹と、いうことができます。
この観点に立脚すると、「剣法も柔法」も「身体使いと技の懸かり」が一致するので、これを「剣柔一体」と称します。
「舞う」と「踊る」の差をつぶやく [合気道 練習]
「舞う」とは、能や神楽を舞う、桜の花が舞う、そのような特殊な舞台設定された場での動作を表現する。
「踊る」とは、念仏踊りや盆踊りとして使われる。リズムに合わせた跳躍運動を主とした動作を表現する。
明治以前は、「舞う」と「踊る」を明確に区別して使い、舞が専門的技能を有する少数で演じられるのに対し、踊りは素人が群れをなす場合が多く、場も特殊な舞台等は必要としないという特徴がある。
ここで話は「武」に、転じる。
ある人の技をみて、「技が舞のようだ」と賞する場合がある。かたや、「技が踊りのようだ」と証する場合がある。
もちろん前者は、ある人の技を、高く評価している。後者は、ある人の技を、貶しているのである。
この場合の基準は、何であろうか?もちろん舞踊に当てはめて、舞に近いか踊に近いかを、言っているのではない。古来、武の想定場面がどこであるかを、考えなければならない。
屋外での戦いは安く、屋内での戦いは難し。
本能寺の変、寺田屋の変、吉良邸への討ち入り。城攻めはもちろんのこと、著名な戦いは屋内であることが多い。天井・鴨居・壁に囲まれて、狭い屋内で武具をどれだけ扱えるか、それが大問題であった。
屋内を想定した武術的訓練が、重要だった。
それゆえに居合腰に代表される、日本伝来の足構えと、体軸と、刀と。一致の身体使いが修錬されたのである。今日、居合道として残っているものが、その由来である。狭い空間の中で、コンパクトに身体を使い得物を使いこなす中に、技と錬りと美しさがある。
「技が舞のようだ」と賞する場合は、膝と腰と胸の柔らかさ。腰の落とし方、軸の立ち方が成り立っているということだ。
「技が踊りのようだ」と言えば、軸がぶれている、脇が空いている、飛び跳ねていることである。ようするに、最悪ということだ。
合気道は、会津藩城内の護身術である「御式打ち」に由来する。合気道は独自のものでそんなものと関係ない、と主張される方々もある。
前者に立てば、合気道は舞うがごとくで、なければならないと思う。