一刻者 いっこもん 対 一徹者 [素心]
「お前は一刻者だな!」。
父と言い争い、私が自説を固持した時のこと。
父は父で、非を認めようとしなかった。
その時、一刻者、という言葉を使った。
九州では「いっこもん」というそうですが、静岡県出身の父は「いっこくもの!」と言いました。
そう言う父も一徹者です。
いったい、なんでもめたのか?
たぶん、父の兄への対応に、私が抗議したことだったような気がする。
無知・無学は大事 [素心]
aikijp死地に活路あり、生地に負けあり。これは日常、テイクリスクとも使われる。 無知の知、無学と思うから、新しい学びを求める。知ってると思う人は、学ぼうとしない。 兎も角、未だに得心せず。小手返しや肘抑えの基本さえ、研究中。よく言えば、未だ伸び余地あり。 七十歳迄に、まとめたい。08/06 11:58
良師は3年かかって探せ、というが? [素心]
aikijp型稽古に四種類あると思います。 1型崩れ 見取り稽古できない。先入観で判断。掴み方、間合い、姿勢。目的と手段の理解不足。型もおかしい、技も掛からない。 2型通り 良くコピーしている。体型と気質に合った足幅、腰高、落とす方向、タイミ… https://t.co/Jv6NE9eDLd06/04 10:01 aikijp3型破り下 工夫と練り、出来る。しかし古伝型通りの大切さ、掴んでないので、自分の遣り方を通してしまう。その為、古伝型は失われてしまう。 4型破り上 自分の工夫は横に置いて、古伝型通りを伝えられる。自分に出来ないことは、出来る師範を… https://t.co/D3UnB78zpb06/04 10:10 aikijpどんな稽古すべきか? 2と4の師範や仲間と稽古し、1と3は避けることが理想。 しかしそれは難しいので、「3年稽古するより、3年かけて師匠を探せ」と格言あります。古来、一発で出会うこと無いので、縁なくしては無理な話。 百聞→一見→一触に如かず。出来るだけ見て触るしか無い。06/04 11:23 aikijp合気に形なし、といえども、型の重要性を否定しない。 私は、弓術家阿波建造先生に惹かれ、この世界にいる。ただ何事も無く立ち、無心に矢を射る。そこに的中の必然性ある。 なぜなら型と技を消しているのであって、型と技が無いのではない。 合… https://t.co/9bsjIFJEvZ06/04 11:45
タグ:型稽古 良師は3年かかって探せ
朋あり遠方より来る また楽しからずや [素心]
aikijp和気 道場に 満ちる 本部朝稽古終え、更衣室に待機していた。 緊張から解き離れたように、人々の談笑が響いてきた。技?日常?内容は判別しないが、楽しそうな雰囲気が心地良い。 友あり遠方より来るまた楽しからずや 孤高と孤独は別といえど… https://t.co/AgLp0xVSMW05/21 10:12 aikijp振り返って、様々な危機ありました。 首都高速での追突事故を受けたこと。 稽古の方向性に苦悩したこと。 東日本大震災。 現今のコロナ禍。 自分一人の努力では、どうにもならない場面は多い。 天地の恩 師の縁 家族の支え お稽古人様… https://t.co/jKdEPi06uG05/21 10:21
#卒業 [素心]
aikijp年度末の今週、道場に別れを告げる人々ありました。転勤や進学の為です。 長年のご参加に感謝申し上げると共に、益々のご活躍を祈ります。 これからも多くの困難に、立ち向かうと思います。その時々に道場の学びが、ほんの0.1%でも役立てば、… https://t.co/7NX0QDe2zX03/27 11:44
2021/01/01 謹賀新年 [素心]
aikijp謹賀新年 旧年の還暦祝いに、有段者会より宮本武蔵自画像と稽古着を、ご恵贈いただきました。改めてお礼申し上げます。 侍は仮想敵と自他相対。 人は宇宙意識と自他不二。 両面大切に生きたいと思います。 本年も宜しくお願い申し上げます。 https://t.co/zqWItRgiU901/01 12:22
死んでから 仏の前に 立った時 [素心]
櫛田君の死
死んでから 仏の前に 立った時
なぜ理不尽な 死を迎えたか?
櫛田君の問いに、仏は何と答えるのでしょうか?
もちろん私も、何も答えることができない。
もちろん私も、何も答えることができない。
武道の道「ぶどうのみち」 [素心]
はじめに
表題を「武道の道」としました。どう読んでも良いけど、ここでは「ぶどうのみち」として、話を進めたいともいます。
「どう」は道程の「どう」。「みち」は未知の「みち」です。この二つに分けて考えます。
曹洞宗教祖である道元禅師でさえ愚かなら、愚鈍な我は何なのか? [素心]
aikijp愚かなる われは仏に ならずとも 衆生を渡す 僧の身なれば 曹堂宗宗家、永平寺建立した道元禅師。時代の叡智の頂点にあったろうに、恐るべき謙虚さてす。 愚鈍な私は、年に一つか二つ、遅々と進みます。こんなこと出来たよと、お稽古人様と分け合って、楽しんでます。01/30 16:53
臨機応変の行動力 [素心]
aikijp不動堂でピアノ練習 潮騒、コヒーの香り 何も考えずに、と言いたいが?様々な事思い出し、反省しっぱなし! 貴重な自分を見つめ直す時間です。 https://t.co/yO9kShEZWS11/14 10:00 aikijp戦国武将の習い事 武術 和歌 蹴鞠 秀吉も茶道を推奨しました。なぜ? 人間の深い教養ないと、武将同士のの交渉、交際できないし。部下の武将達が、ついてこない。 それでも秀吉も信玄も、次の世代で滅びました。 なぜ?11/14 12:52 aikijp桶狭間 情報力と 機動力 川柳に詠まれていました。 戦国武将の教養の第一は、臨機応変の行動力だと思います。戦うべき時は戦う。和睦すべき時は和睦する。 今日、武道を学びに来る方々が身につけるべき基礎教養。昔と変わりません。これが欠けると、人々は信頼してついてきません。11/14 12:59
お稽古人様の夢や楽しみ、お応えしているか?自問自答する [素心]
aikijp一日の稽古終えて帰宅すると 十分取組んだか? 進歩はあったか? 問いかける いや、無事に稽古できただけでも、感謝! 今日、心臓手術から二ヶ月ぶりに復帰した方、ありました。お頭が、すっかり白く、変わっていました。 こうした方々の… https://t.co/BVDM75vJ1410/09 16:17
タグ:楽しみ
道場とは?道元禅師 正法眼蔵から学ぶ [素心]
aikijp道場は、目的に適う環境が大切。 曹洞宗の教祖、道元禅師は、 霧の中を行けば覚えざるに袖ぬれる、良き人の中を行けば良き人に成るなり 主宰者の役割は、伸ばす枝断つ枝の剪定を、しっかりすることです。 稽古中、皆さんいい顔してるかな?と想… https://t.co/SHJYelUBwY09/06 09:32
タグ:道場とは
行雲流水 こううんりゅうすい [素心]
aikijp若い頃は表面的理解であった言葉が、老年期に入り肚にストンと落ちる。この言葉もそれですが、現実の自分がほど遠いです。還暦ですから、一稽古人としての出発点に還る準備をしています。 https://t.co/BKfUYioVnf06/16 07:33 aikijp老木を見れば森の過去が分かり、若木を見れば森の未来が分かるという。 同様に老人を見れば日本の過去が分かり、若人を見れば日本の未来を引っ張って行く方向が分かる。 老人も若人もそれぞれに、心身を錬る大切さ、自覚しよう。06/16 15:25
タグ:行雲流水
還暦が近くなりました [素心]
aikijp私も還暦が近くなりました。以前は予定を詰めて、移動する毎日でした。今は少し余裕を持たせています。 中野から小平へ移動中、こんな花の写真を撮るのも、余裕あってのことです。知足安分といいますが、物事を俯瞰できるだけの余裕や距離感は、大… https://t.co/9KbeavL4xu04/03 16:37 aikijp合気に形なし 定型も最終形もない。見方・やり方を変え、力と動作を省き、ゆっくり柔らかく小さくて軽くと、常に進化すること。 そのためには、後退も遠回りも環境変化も辞さず、元を正せば剣の理合にあり。身を入れた、くっ付いた接触技術。剣の… https://t.co/woiz7MN3ml04/03 19:14
タグ:還暦
それぞれの立場で最善を尽くし、活動が成り立ちます [素心]
aikijpRT @aikijp: 写真は本部道場 土曜日夜クラス 肩を抜いて崩そうとしているところ。手首が痛い技は、目的ではない。受験が終わった方があれば、これから就職活動が始まる方もある。置かれた環境下で、其々精一杯の関わり方をしてくれて、この場が維持される。 https://t.co…03/18 17:03 aikijpRT @aikijp: 写真右手前は、土曜日夜担当の中嶋指導員。 お陰様で、私は文京区の指導に専念することができる。 優秀な指導員・有段者こそ財産です。 今後、千葉県の僻地の活動を増やしたいので、指導員の育成を計画したい。 https://t.co/1kV0KAwfuu03/18 17:03 aikijpRT @aikijp: 写真右は、蘇我教室の担当だった佐藤指導員。 今月末に、シンガポールへ栄転される。 長年のご指導、ありがとうございました。 https://t.co/NsDr5LggRS03/18 17:03
タグ:立場
無分別智から見る、内なる敵 [素心]
お子様の無分別心に、心打たれる。こうしたことこそ、稽古指導の楽しみです。
無分別とは一般に、「思慮なく軽率なこと」を意味します。しかし仏語としては無分別智として、「対立を超越した絶対知性」を意味します。自他の区別がないとか、美醜の区別がないとかです。お子様の穢れなく・膜のない心が、ほぼそれと思います。
稽古指導の時、お子様純真無垢な心に触れたとき、この仕事をさせていただく幸せを実感します。