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一刻者 いっこもん 対 一徹者 [素心]

 「お前は一刻者だな!」。

父と言い争い、私が自説を固持した時のこと。

父は父で、非を認めようとしなかった。

その時、一刻者、という言葉を使った。

九州では「いっこもん」というそうですが、静岡県出身の父は「いっこくもの!」と言いました。

そう言う父も一徹者です。


いったい、なんでもめたのか?

たぶん、父の兄への対応に、私が抗議したことだったような気がする。

 なぜ今、昔のことを思い出しているかというと、知人の話題にアニメ「巨人の星」星一徹―星飛雄馬が上ったからだ。我々の世代は毎週の放映を、楽しみに見たものだ。父親は星一徹の姿を父親像として、子等は星飛雄馬を自分たちの未来として、想像したと思う。このアニメは、父子を野球研鑽の闘争関係とした後、最後は素の父・素の息子として受け入れ合う話でした。


思い込んだら試練の道を

行くが男のど根性 (巨人の星 主題歌の冒頭)


 時代は1966年以降の日本、昇り龍の発展期を迎えていたので、この親子関係を受け入れやすかった。

 当然のこと私の父子関係は、アメリカンホームドラマの父子関係でなく、星親子の側にあった。それが、実は、突然、話は飛び過ぎるが。幾十年過ぎて父が臨終を迎える場面になります。


 肺炎の治療で二度目の入院した父は、数日後に退院する予定だった。出稽古から帰宅すると妻が、「お父さんが弱っているように見えたから、会いに行った方がいいよ」という。いぶかしく思いながら、車で20分ほどの距離の病室へ入った。

 父は私を見ると、両手を伸ばしてきた。自然に私も両手を伸ばした。父はグッと力を入れて、体を起こした。目に光はなかったが、何か言いたそうでも声を出さなかった。親子でこうして手を握り合う経験はあっただろうか、思い出せない。いったい父はどうしたのだろう、私は戸惑った。

 父はベッドから出ようとしているのかな?「外へ出たらだめだよ。寝ていなければ、拘束されてしまうよ」と話し、父の高ぶる心をなだめた。そして横へ寝かせた。「週末には退院だから、迎えに来るよ」。そのように言って病室を離れたと思う。まさかこれが今生の別れになるとは、思っていなかった。

 「呼吸をしていないので、至急病院へいらしてください」と電話が来たのは、深夜零時頃だった。天空を見上げるように父は亡くなっていた。


 以来思い出すと、戸惑った自分を悔やんでならない。これが最期と分かっていれば何とすべきだったか、かたや父は何を言いたかったのだろう、あれこれ想像してしまう。答えがないまま、ずーっと考えることが、与えられた課題と思う。


 余談ですが、もし父が星一徹に成り切っていたら、V字サインかな?

 星飛雄馬は私立青雲高校から甲子園出場が決まった。大阪へ立つ祝賀ムードの東京駅へ、星飛雄馬はお父ちゃんが見送りに来てくれると思っていたが、その姿はなく落胆する。非情にも新幹線のドアは閉まる。ゆっくりと走り出した新幹線は徐々に加速する。東京駅ホームを離れる瞬間、ホームの端に立つ星一徹の姿。

 その時、一徹は飛雄馬に向かって「勝利のVサイン!」を示す。感動の名場面です。


 とにかく「頑張れよ!」という思いは、一徹者の父でしたから、間違いないです。


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