【木鶏】(もっけい)荘子達生 木製のにわとり。強さを外に表さない最強の闘鶏をたとえる。 [合気道とは Q and A 質問と回答]
Hさんより、稽古の感想をお寄せいただきました。
先日もご指導頂き有難うございました。
先週に引き続き木鶏の話をされていて初動を悟られないようにすることが大切だということがよくわかりました。容易にできることではありませんが。
本当に強い者は木鶏のように泰然と構えている。良いお話ですね。先生のお話の中には自然な形で禅語が使われていて、勉強になります。
崩しの技法の説明も理論的でわかりやすく、先生は本当に頭脳明晰です。
頭の悪い私でも、出来る、出来ないは別としてなるほどと思います。
毎日のことですからお疲れの日もあると思います。
長い歳月、持続しておられる先生の強靭な精神力、憧れます。
そして強い志しを持ち、全国各地を飛び回り、武道の普及に務めていらっしゃる姿は本当にかっこいいです。
お身体あってのこと。
くれぐれもご自愛ください。
石川です。
感想と励ましを、有り難うございました。
◇双葉山と木鶏 昭和14年 1月15日、
69連勝という大記録を打ち立てていた大横綱双葉山が、
安藝ノ海に敗れました。
連勝が止まったこの日、双葉山が行った、ただ一つ普段と変わったこと。それは、電報を打つことでした。宛先は、双葉山の親友中谷・竹葉両氏という。二人は、かつて双葉山が師事した陽明学者の安岡正篤氏の門下であった。その文面は、 「イマダ モッケイタリエズ フタバ」(未だ木鶏たり得ず 双葉)以来、木鶏は広まりました。これは「木鶏に似たり」とも言います。真に強い闘鶏はまるで木で作られた鶏のようだと言うこと。木で作られた鶏には敵意が有りません。敵意がないものに対してこれに反抗する敵もまた無い。言い換えれば、敵は反応するきっかけを失います。私はこの意味で、木鶏を話に出したのです。禅語だとか悟りの心境のような高い意味で、使ったのではありません。姿勢・立ち方の心境説明です。ですから他に、案山子のようにと表現しても、植芝開祖のように「天地和合」と表現しても、良いのかもしれません。僭越なので、断言はしませんが。木鶏なり案山子のように、天地人に軸を通して立つ。そこから一挙動で動作を完結する。それゆえに相手は反応出来ず、そこに和合とも呼吸力ともいえる世界が、あろうかと思います。植芝開祖は、「合気に形なし」とも、仰せになりました。真っ直ぐに立つ、それ以外に形や気配があっては、求める合気は、ありませんね。「氣と丹田」、中心と緩みへ、進みたいです。注1.頭脳明晰とありました。しかし、頭脳は痴呆気味です。2.全国各地とありました。しかし、東京と千葉を行ったり来たりが、95%です。残念!
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