「体罰は暴力か?」を、考えます [合気道とは Q and A 質問と回答]
aikijp体罰厳禁に苦悩する教員たち “武装解除”だけ求められ…(産経新聞) - Y!ニュース http://t.co/VeU6lWIkod08/05 08:58
体罰厳禁に苦悩する教員たち “武装解除”だけ求められ…
産経新聞 8月5日(火)8時30分配信
体育の時間。体操着の着方を注意した20代の男性教諭に、中学2年の男子生徒はカッとなって教諭の胸ぐらをつかんだ。教諭が生徒の体をつかんで押さえ込もうとした瞬間、生徒は大声で叫んだ。「体罰や! みんな見たか! じゃあ俺もやってええんや!」。生徒は教諭に殴りかかった。
今年1月、西日本の公立中学校で起きた暴行事件である。教育困難校であるこの学校の男性教諭(45)は「頭を小突いただけで体罰、手を引っ張っただけで体罰。学校は“体罰被害”の訴えが横行していて、生徒指導が難しくなっている」と嘆息する。
原因は平成24年12月、大阪市立桜宮高校のバスケットボール部員が顧問の教諭から激しい体罰を受け自殺した事件だ。そもそも体罰は法で禁止されているが、これを機に教師の間で体罰禁止を過度に意識する風潮が強まり、問題行動を起こす生徒たちがそれを“悪用”する構図ができあがった。
結局、殴られた教諭は被害届を出し、生徒は傷害容疑で逮捕された。
■警察通報で恨みも
文部科学省の調査によると、24年度の国公私立校の校内暴力は、小学生が前年比896件増の7542件、中学生は883件減ったものの3万4528件。このうち小中合わせて1647件で教師が病院で治療を受けるけがをしている。
「次の事件を起こさせないためにも、教師を守るためにも、今は警察に被害届を出すしか方法がないんです」。高知県の公立中学校の男性教諭(44)は苦渋の思いを吐露する。
学校教育法では、校内暴力などに対し、教育委員会が加害生徒の出席停止を命じることができると規定している。だが命令にあたっては、保護者への意見聴取や、出席停止期間中は家庭訪問して学習支援などを行う必要がある。教諭は「学校にはそんな人手もないし、出席停止を命じても、また事件を起こすから無意味」と断じる。実際、出席停止の適用は少なく、24年度は全国でわずか25件だ。
約20年前には、多くの教員が体罰禁止を承知の上で、時には手を上げる指導をしていた。「昔は“愛のムチ”が親や地域にも理解される社会環境だったが、今は厳禁。現場の教員は、いわば『武装解除』だけを求められ、最前線に立たされている。暴力の連鎖を止めるためにも『見せしめ』として警察に届けるしかないんです」
岐阜県内の公立中学校で生徒指導担当を務めてきた男性校長(54)は「警察沙汰にさせないため、教員には生徒に殴らせない指導を心がけさせている」と話す。
校長には苦い経験がある。担任時代、問題を起こす生徒を粘り強く指導していたが、顔面を殴られて限界を感じ、警察に通報。家庭裁判所の決定は不処分だったが、生徒は卒業後、学校のガラスを毎朝、割り続けた。「子供は『教員に警察へ売られた』と思うので、警察への通報は恨みしか残らない」
■体罰ではなく暴力
一方、明らかに行き過ぎた体罰により、子供がけがをするケースが後を絶たないことも事実だ。
7月31日、私立豊田大谷高校(愛知県)の野球部監督(33)が、1年生部員に対する傷害容疑で逮捕された。同校は夏の甲子園に2回出場経験のある名門だが、愛知県警によれば、この監督は昨年7月、練習中に疲れて座り込んだ1年生部員を殴ったり蹴ったりし、肋(ろっ)骨(こつ)骨折の重傷を負わせたという。
東京都内の元中学校長(69)がこう嘆く。
「以前は体罰をする側の教師に余裕があり、手を上げるにしても、けがをさせないよう加減していたが、最近は教師に余裕がなく、キレて何度も殴るようなケースが目立つ。そうなると体罰ではなく、暴力だ」
指導力のあるベテラン教員が大量退職していく今、学校現場はより厳しい時代を迎えている。
■「懲戒」との区別徹底、文科省が通知
大阪市立桜宮高の体罰問題を受け、文部科学省では学校現場での体罰厳禁を徹底するよう、繰り返し指導している。昨年3月には、学校教育法で禁止されている「体罰」と、生徒指導上認められている「懲戒」との区別を明確に示す通知を全国に出した。体罰行為として、子供を一切教室から出さず、トイレにも行かせないことなどを例示する一方、放課後の居残りや練習に遅刻した生徒を試合に出さないことは、懲戒に当たると規定している。
だが、学校現場からは「放課後の居残りぐらいで問題行動を起こす生徒の態度は改まらない」との声が根強い。
民間の有識者でつくる「教育再生をすすめる全国連絡協議会」では、場合によっては小・中学生にも停学や退学などの懲戒処分が必要であると指摘。「10の提言」の中で、組織的なルールづくりに取り組むよう求めている。最終更新:8月5日(火)12時13分
忍者かよ?でもね、合気道家になるには? [合気道とは Q and A 質問と回答]
忍者も良いけど、合気道家も良いよ
楽心館の子供クラスで、「将来、何になりたいですか?」と質問することが多い。こちらとしては「夢・目標の大切さ」のような話をしたくて、こうした問いかけをします。
すると時々、元気いっぱいに「忍者!」と答えるお子さんあります。
私は、ズルッ!と拍子抜け。
野球選手やサッカー選手ならまだしも、同じ武道で合気道の他を挙げられると立場ないです。聞いている保護者様も、大笑いです。
合気道家になるには
今日は、忍者になりたいお子様とその保護者様向けに「合気道家になるには?」と、話します。
まず最初に申しあげたいことは、合気道家になるには?開始時点で合気道が上手であるとか、武道の修養を相当に積む必要ありません。しかし「自分は下手で足らないな」と、思い続ける必要あります。
かたや政治家のように、地盤・看板・鞄も必要ありません。
もちろんそれらが、有って妨げになりませんが、もっと大切なことがあるといえます。
合気道の木刀と素振りについて、パリジェンヌさんから質問がありました。 [合気道とは Q and A 質問と回答]
パリジェンヌです。
メールありがとうございました。
今日、地震がありましたね。石川先生は稽古中でしたか?私は4階の建物に勤務しているのですが、揺れはあまり大きくはなかったのですか、ドスンと突き上げる感じがしました。関東もいつ大きな地震がきてもおかしくないとNHKの番組で放送しているのを見て、覚悟はしているものの、いざ地震がくると少し動揺している自分がいます。
自然の猛威の前では人間は非力です。
でも、困難を乗り越えてたくましく生きていけるのも人間です。
木刀の購入に関してのアドバイス、ありがとうございました。
素振りも満足に出来ないのに、先生と同じものを使いたいなんておこがましいことはわかっています。
道具はひとつあれば十分で、いくつも欲しいわけではありません。
ただ、気に入った道具が手に馴染んでいく感触を味わいたかったのです。長い年月をかけて。
下手くそでもいいのです。いつも触ってその木の感触を味わい、木刀とひとつになっていく。それを楽しみたいのです。
でも、購入はもう少し先にすることにします。
私が木刀を打つと弾いてバウンドしてしまいます。でも先生の剣を受けるとしっかりくっついて重みがあり柔らかい力強さを感じます。
それが研究課題です。
課題は山積みですが、とりあえずバウンドしないようになることを目標にしたいと思います。
石川です。
今日の地震は、本部事務所にいました。震度3でした、こちらは。
1、「覚悟はしているものの、いざ地震がくると少し動揺している自分がいます。」
私は揺れが到達する前に、感じて備えるタイプなので、「来たな!」ぐらいに思っていました。
これは、
体すなわち人の動きをみていると、間を取られ、こちらが先を取ることが出来ないが。
心意氣(しんいき)を感じて中心に入ると、こちらが間を取り、先を取ることが出来る。
武道の理合いと似ていますね。
体(動き)をみる即ち、肉眼のこと。
心意氣をみる即ち、心眼のこと。
これだけでは、入れただけで、技は掛かりません。△〇◇の△。
合気になる必要があります。それが〇◇。
2、「先生の剣を受けるとしっかりくっついて重みがあり柔らかい力強さを感じます。」
剣の接点・交点感覚のことですね。
合気になっている、即ち、くっ付いている。
合気になっていない、即ち、叩いている(戦っている)。
合気、即ち、剣の理合であると、いわれる所以です。
合気を剣で体得する。それを体術で使う。だから合気柔術とも合気道とも、いえるのです。それは棒術で会得しても良い、剣術も流派に関係ありません。
どんな流派であっても、ピッタとくっ付いて落ちる技の掛かりを持っていれば、それは合気です。植芝開祖が「合気に形なし」と仰せになられた意味の一つだと、私は思います。
「これが植芝先生の技だ。剣だ」、「他のものを持ってきてはだめだ」と、主張される人々もいます。型の保存という意味では、たいへん有難く意味深いと思います。しかし、もし「合気に形なし」という本質が抜け落ちているのなら、残念です。
バチバチ叩いたり捻ったり、フワフワ踊ったりの技をして、「これが植芝先生の技だ」というのも自由ですが、それは個人の主張というものです。 それらは合気から離れています。
合気道の学び方:養氣錬丹で、呼吸力を理解しましょう。 [合気道とは Q and A 質問と回答]
写真は、後方回転受け身を練習中のケンちゃん。
服装からみると、この日は気温が高かったんだね。
畳を右手の平で抑えて、これから右肩が接地して後方回転に入ろうとする瞬間が、良く撮れています。
昨日、兵庫県加東市稽古、無事お稽古終了いたしました。
合気道は生涯学習なので長い目で・・・と自分に言い聞かせていますが、せっかちな性格上、すぐに結果が見えないと未熟ながら「どうしてできないのだろう」と感じ、苛立ちます。
前回ご訪問いただいた時のご指導にあった、「呼吸の蓄・案・零」。わたしよりも息子の方が上手なようです。
基本動作の正面打ち・胸突きの打ち受けの際、悩めば悩むほどどつぼにはまり、抜け出せません。
【木鶏】(もっけい)荘子達生 木製のにわとり。強さを外に表さない最強の闘鶏をたとえる。 [合気道とは Q and A 質問と回答]
Hさんより、稽古の感想をお寄せいただきました。
先日もご指導頂き有難うございました。
先週に引き続き木鶏の話をされていて初動を悟られないようにすることが大切だということがよくわかりました。容易にできることではありませんが。
本当に強い者は木鶏のように泰然と構えている。良いお話ですね。先生のお話の中には自然な形で禅語が使われていて、勉強になります。
崩しの技法の説明も理論的でわかりやすく、先生は本当に頭脳明晰です。
頭の悪い私でも、出来る、出来ないは別としてなるほどと思います。
毎日のことですからお疲れの日もあると思います。
長い歳月、持続しておられる先生の強靭な精神力、憧れます。
そして強い志しを持ち、全国各地を飛び回り、武道の普及に務めていらっしゃる姿は本当にかっこいいです。
お身体あってのこと。
くれぐれもご自愛ください。
石川です。
感想と励ましを、有り難うございました。
◇双葉山と木鶏 昭和14年 1月15日、
69連勝という大記録を打ち立てていた大横綱双葉山が、
安藝ノ海に敗れました。
連勝が止まったこの日、双葉山が行った、ただ一つ普段と変わったこと。それは、電報を打つことでした。宛先は、双葉山の親友中谷・竹葉両氏という。二人は、かつて双葉山が師事した陽明学者の安岡正篤氏の門下であった。その文面は、 「イマダ モッケイタリエズ フタバ」(未だ木鶏たり得ず 双葉)以来、木鶏は広まりました。これは「木鶏に似たり」とも言います。真に強い闘鶏はまるで木で作られた鶏のようだと言うこと。木で作られた鶏には敵意が有りません。敵意がないものに対してこれに反抗する敵もまた無い。言い換えれば、敵は反応するきっかけを失います。私はこの意味で、木鶏を話に出したのです。禅語だとか悟りの心境のような高い意味で、使ったのではありません。姿勢・立ち方の心境説明です。ですから他に、案山子のようにと表現しても、植芝開祖のように「天地和合」と表現しても、良いのかもしれません。僭越なので、断言はしませんが。木鶏なり案山子のように、天地人に軸を通して立つ。そこから一挙動で動作を完結する。それゆえに相手は反応出来ず、そこに和合とも呼吸力ともいえる世界が、あろうかと思います。植芝開祖は、「合気に形なし」とも、仰せになりました。真っ直ぐに立つ、それ以外に形や気配があっては、求める合気は、ありませんね。「氣と丹田」、中心と緩みへ、進みたいです。注1.頭脳明晰とありました。しかし、頭脳は痴呆気味です。2.全国各地とありました。しかし、東京と千葉を行ったり来たりが、95%です。残念!
稽古とは:(稽古に)なんのためにやっているか?の意味が見つからない。同じことの繰り返しで、それに喜びや楽しみを見いだせないといったところてしょうか? [合気道とは Q and A 質問と回答]
状況は把握しました。
今の稽古方針は、今後も変わることはないと思います。
同じことの繰り返しの中で、身体を錬り、才能を伸ばしたいところです。
合気道に関するQ&Aを掲載しています。 [合気道とは Q and A 質問と回答]
合気道楽心館ホームページに、合気道 Q&Aというページを設けました。
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写真は斬り落としたところ。振り終わったところで、剣と中心軸の一致しているところが大切。 氣で乗り、身で乗り、剣で乗る。