The World Heritage Nijo-jo Castle in Kyoto 二条城:京都感想 一周年 [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生
お疲れさまです。京都サンガです。
昨日は、ありがとうございました。
感想を送らせて頂きます。
去年の4月から遠路、京都にお越し頂き、不定期ながらですが、月に1回のペースで稽古をつけて頂きまして早一年が経ちました。
1年でどれだけのものが身についたかと考えますと、なかなか胸をはって報告出来るものはありませんが、ボチボチではあっても続けていくことに意味があるかなと思い、今後とも稽古をお願い致したいと思っています。
さて、稽古開始1年をむかえました3月31日の稽古は、旧武徳殿の北側にある京都武道センター主競技場の半面をお借りしました。桜咲く旧武徳殿は神々しくもあり、こうした日に古の武人は、何を思ったのでしょう。そのようなことを石川先生と話しながら、会場へ向かいました。
今回の稽古は久し振りのマンツーマンの贅沢な稽古でした。
まずは、剣術から。
素振りから見て頂きましたが、やはり先生の木刀に当てる事は勿論、かわすことも出来ませんでした。
どうしても右半身がでしゃばるようです。
先日のNHKスペシャルを見て思いましたが、やはり60兆個の細胞をコントロールするのは難しいんだなと思いました。
剣術基本技の三つを見て頂いたあと、新しく二種類の技を教えて頂きました。
真行草の草の段階なのでしょうか、もう速すぎて木刀を振り回すばかりで、体の感覚はまったく見られませんでした。
続いて、体術に入っていきました。
稽古をはじめて1年が経っている人間にも関わらず、丁寧に手解きから教えて頂きました。
まだまだ固くて、腕にしか意識がいきませんが、何をどうしようとしているのか、ほんの少しですがぼんやり見えたような気がしました。
そのまま座しての技の稽古に入りました。
こちらも一年経ちましたが苦手意識が全く無くなりません。
怖さと段取りばかりに意識がいきまして、体術の中に剣の理合を見出すには、まだまだ時間がかかりそうです。
稽古後、武道センター前のお店で昼食を御馳走になりました。二条城までお送りし、再会を約束しての別れとなりました。
先生の優しさにお応えする為にも、もっと自主稽古しないと、と改めて思いました。
本当に不出来な弟子ですが、今後ともよろしくお願いしたいと思います。
失礼致します。
The World Heritage Nijo-jo Castle in Kyoto
大手門を内側から
Training in Butokuden Kyoto - 京都 武徳殿の稽古 [武道:京都 合気道と剣術]
3月7日午前 京都武徳殿にて稽古ありました。
有給休暇をとってご参加のお二人、御疲れ様でした。
7回目 京都稽古の感想 写真は旧武徳殿と京都武道センター [武道:京都 合気道と剣術]
aikijpRT @RakushinkanOrJp: 「12月10日(火) 京都武道センター 体験講座あります。 時間は9:00-12:00」
他に江東区・成田市でも、体験講座あります。 http://t.co/5PtNlkeKuW11/14 09:34京都7回目の稽古会は、旧大日本武徳会 武徳殿の裏側にある、京都武道センター 補助競技場で行われました。
旧 武徳殿
京都武道センター 補助競技場
石川先生感想を送らせて頂きます。
今年最後の稽古は、京都武道センターで行うことになりました。
一年の最後にこのような場所で稽古をつけて頂けますこと喜んでいたのですが、もう惨憺たる感じでした。
今日は、以前石川先生の元で長年稽古されて、今大阪に転勤されています方が稽古に参加して下さいました。僕のあまりの出来なさ加減に、「御仕事のお休みを取って下さったのに稽古にならなかったのではないか」と、申し訳ない気持ちで一杯になりました。
稽古後、毎年参拝している奈良県天河神社にお参りに行ったのですが、拝殿の前で一人佇みながら今日の稽古を思い出し、自分の弱さにホトホト嫌気がさして悔し泣きをしてしまいました。
泣くくらいなら、もっと自主稽古しよし、と言った感じですが。
そんな中でも、稽古を思い返しますと、収穫はあったように思います。
今まで何度も御注意を頂いていました、全身が同時に、なおかつ等速に動くということ、今まで出来ていないことはわかっていたのですが、今回初めて、出来ていないことが実感として感じることが出来ました。
手の方が速かったり、遅かったり、ようやく自覚出来ることが出来ました。
この文章を書きながら、あまりのレベルの低さに情けなくなってきましたが、亀以下の歩みでも勉強させて頂きたいという思いが強くなりました。
来年も先生にご負担ばかりおかけすることになるかも知れませんが、よろしくお願いいたします。
明日、仕事がお昼からになりましたので、急きょ予定を変更して、京都に帰らず伊勢神宮にやって来ました。
明日、朝一番に下宮、内宮をお参りして、京都に帰ろうと思います。
4月から稽古をつけて頂き、どれだけのものが吸収出来たかわかりませんが、また来年もよろしくお願いいたします。
寒さが本番を迎えますので、お身体にはくれぐれも御注意下さい。
ではでは失礼致します。
京都サンガでした。
京都6回目感想 世阿弥「秘すれば花なり」 妙心寺写真紹介です。 [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生
お疲れ様です。
昨日、9月13日も、ありがとうございました。
妙心寺の方には上手く行けましたでしょうか。
ご案内出来ずに申し訳御座いませんでした。
昨日の稽古の感想を送らせて頂きます。
「秘すれば花なり」
今回も、居合、剣術、体術と、盛り沢山の稽古をありがとうございました。
今回の稽古のでキーワードになったのが、「秘すれば花なり」でした。
素振りの稽古の際に、全ての情報が体の動きとして現れている、とご注意を頂きました。
丹田のゆるみや、胸の開きをイメージするのは良いが、それが表に出てしまったら何の意味もない。
当然のことがわかっていませんでした。
勿論、まだまだそこまで自身の体を細かく見て、コントロールすることは出来ていないのですが。
動作を「消す」ことの重要性、その難しさを感じました。
この「消す」という行為に、能を大成した世阿弥の言葉、「秘すれば花なり」という言葉が出て来ました。
みせよう、みせよう、としたものにはある種のいやらしさを覚えますが、ただそこにありのままに佇んでいるものには、何の違和感も感じない。
武術の目指すところも、何か共通したものを感じました。
斬ろうとか、押そうとか、ほどこうとか、指令を出してから体が反応するのでは無く、始まりと終わりが一つの「一」の動き。
まだまだ浅い理解ですが、そう考えて昨日の稽古を見直しますと、正座一つとっても、先生と動きが違うことに気付きました。
僕の正座は明らかに「座ろう」としているのですが、先生の正座は「スッと」落ちるような感じを覚えました。
この動きの差が、素振りの際にも、相手に知らせる動きとして体に出て来てしまっているのではないかと思いました。
いろいろな技の手順を覚えることもさることながら、中心軸のブレや無駄な初動にも日常生活の中で注意していきたいと思いました。
来月は仕事の都合で稽古をお願い出来ませんが、また11月よろしくお願いいたします。
また台風が近づいているようですの
で、大雨や強風にはお気をつけ下さい。
ではでは失礼いたします。
京都サンガでした。
石川です。
京都サンガさん、お稽古御疲れ様でした。妙心寺へは、市バスの利用が便利ですね。
稽古感想:剣柔一体やら、丹田の緩みやら、何一つ自得出来ず、覚えられてないことが情けない限りです。 [武道:京都 合気道と剣術]
石川です。
お疲れ様です。
京都五回目の稽古へ、大阪から参加されたKさんから。御感想頂きましたので、掲載させて頂きます。
以下、 大阪kさんの御感想です。
剣道、居合道、杖道と少しはかじったことのある私ですが、初めて武術というものを体験させていただきました。
力ではない術、相手に抗わない合気というものを体感させていただいて、ただ、ただ不思議、途方にくれる始末でした。
手だけではなく木刀を使っても同じように体まで崩される。
「剣柔一体」という同じひとつ術?、原理?、極意?
どうしても、筋力に頼ってしまう自分、何も出来ませんでした。
特に「丹田」胸の弛み…胸を弛めるという事が言葉では理解しても身体ではわかりませんでした。
居合、剣術、体術といくつもやっていたたぎましたが何一つ自得出来ず、覚えられてないことが情けない限りです。
少しでも出来るようになりたいと思ってますので、毎回は無理かも知れませんがまたお願いしたいと思っております。
貴重な体験、本当にありがとうございました。
☆大阪K☆
大阪Kさん、またいらしてくださいね?
京都 五回目 稽古感想 [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生
お疲れ様です。
今日8月30日も、ありがとうございました。
大阪から参加したKさんも、何が何かわからない間に終わったようですが、楽しんで下さったようです。
今日の感想ですが、「感想」と題してメールを送らせて頂くのが心苦しい状態です。
夕方に帰宅して、先程まで今日の稽古風景を見返していたのですが、完全に稽古不足でした。
狭い空間を想定しての抜刀の稽古で、体の使い方が少し変わったのではないかと思っていましたが、さっぱりでした。
むしろ自分の体にばかり意識がいって、相手との関係が全くつかめなくなっていました。
では自分の体がよく見えていたかというと、全くそのような事もありませんでした。
そこに、先生からのご注意で、完全にパニック状態のまま、稽古が進んでいきました。
もう少し自主稽古のやり方を考えないと、3歩進んで3歩下がっている状態では、遠路お越し頂いている先生に余りにも失礼だと痛感しました。
今回は、僕の先輩であるKさんも稽古に参加して下さったのですが、先に稽古している人間がこのザマだと、示しがつかないと思いました。
次回、9月13日金曜日の稽古には、少しでも進んだところを見て頂きたいと思います。
まだまだ残暑が厳しいので、お身体にはくれぐれもご注意下さい。
また台風が近づいていますので、大雨にもご注意下さい。
今日も暑い中、ありがとうございました。
失礼いたします。
京都サンガでした。
京都サンガさんへ
石川です。
稽古の進歩を実感できなかったとのこと。残念でした。
捲土重来とは大げさですが、日ごろの積み重ね次第ですね。稽古の質がある段階を超えると、明らかな成果が出てくるものですよ。
*写真は長谷川家住宅
京都稽古感想:いまだ木鶏たりえず [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生
おはようございます。
昨日は暑い中、遠路ありがとうございました。
今回から京都市内の体育館を借りて、4回目の稽古をつけて頂くことにしました。
抽選の関係で毎回場所が変わる可能性があり、遠路お越し頂く先生に御迷惑をおかけするのが心苦しいですが、この猛暑の中、空調の効いた体育館を一面利用して出来る稽古は、大変有り難いものでした。
さて、今回の稽古は居合から見て頂きました。
仕事の都合で先月は先生と稽古出来ませんでしたが、毎朝少しの時間でしたが、仕事先で自習稽古をしていました。
その自習稽古の中で、壁に柄頭を当てた状態での抜刀の稽古をしていました。
自分の中で、こんな感じ
ではないか、という感覚を掴んだのですが、抜刀が加速している、等速でない、と一蹴(苦笑)。
続いて、壁に面した状態で、三種類の抜刀と納刀を教えて頂きましたが、いずれも、柄頭がコツコツ壁に当たる始末でした。
その後、一本目を教えて頂きました。
居合に限らず、形稽古の全ての動きに理由があることを、改めて痛感させて頂きました。
と同時に、今まで流派は違えど、居合を通して一体何を稽古してきたのだろう、と情けない気持ちになりました。
「舞う」と「踊る」の差につての御話
http://ichirakusai.blog.so-net.ne.jp/2011-03-11-1
たいへん参考になりました。
続いて、剣術。
素振りから見て頂きました。
この素振りも、先月自主稽古で毎朝試行錯誤していましたので、先生の木剣に当たらずとも、何かしらのお褒めの御言葉を頂けるのではないか、という淡い期待を持っていたのですが、ケチョンケチョンの惨憺たる結果でした。
木鶏の例えを出して頂き、話にならない程度であることを、これまた痛感させて頂きました。
その後、刀を合わす稽古では、若干ではありますが、接点と中心を感じることが出
来ました。
ですが、続いての打ち込みでは、スピードについていけず、力で刀を振るだけで、中心や体を入れることは微塵も感じることが出来ませんでした。
最後は、体術。
これも自主稽古で淡い期待を持っていたのですが、全く話になりませんでした。
特に、両手持たれた状態から引く動きが全く駄目でした。
前腕を合わせて前進する動きも、全く動けませんでした。
前回の稽古で三角形の位置関係が少し見えた感じがしていたのですが、どうも解釈を間違えていたようで、更に頭が混乱しました。
唯一の収穫は、相手の腕の取り方一つで、自分の体が上腕筋や肩だけを使った動きになることが実感出来たことくらいでしょうか。
今回は自分なりに色々持ち込んで稽古に臨みましたが、そのどれもが浅すぎたことを痛感させて頂き、程よく凹みました。
「つもり」がいかに駄目なことかも再認識させて頂きました。
言うまでもありませんが、たかだか三回の稽古で何か掴めたら、誰も苦労はしないですね(苦笑)。
自分に言い訳せずに、もっと精進させて頂きます。
これから暑さが本番を迎えます。
お身体にはくれぐれも御自愛下さい。
次回、まだまだ残暑の厳しい中になると思いますが、よろしくお願いいたします。
失礼致します。
追伸
5回目の稽古 8月30日、体育館の予約取れました。
場所は、下京地域体育館です。
前回まで稽古していました地下柔道場のある建物の3階です。
まだまだ暑い最中だと思いますが、よろしくお願いいたします。
http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai2/e/debd260a8b28b8f00cc079b0cbb41339
京都サンガでした。
京都サンガさんへ
石川です。
木鶏への道、それは宗教的霊性ヘ至る道でもあります。無駄の削ぎ落としには、三段階あります。
第一段階 身体的「蓄」の削ぎ落とし。動く瞬間の筋肉・エネルギーの「蓄え」。これをなくしたまま素になって動く。
第二段階 心理的「明暗」の削ぎ落とし。心意氣の変化が「明暗」となります。これをなくしたまま素になって動く。
第三段階 身体的「蓄」・心理的「明暗」。心身二元論ではなく、全体が素になって動く。これは自らを見つめる禅的瞑想であり、宗教的霊性です。この感覚で日常を生きれば、「心ここにあらず」は、少なくなると思います。
「素になって動く」が「素直に生きる」です。
そして、稽古の削ぎ落としは、日常の心の素直さと生活の豊かさへ、通じなければいけないと思います。
*写真は竜安寺
京都稽古感想:今回の稽古の中で、「三角形」の持つ意味のさわりを、少し感じることが出来たと思います。 [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生
稽古の感想を、送らせて頂きます。
31日、京都での三回目の稽古、ありがとうございました。
今回の稽古は、本当に体は正直だなと、痛感させて頂けた稽古でした。
5月26日にチャレンジしました100kmマラソンの稽古と準備で、気持ちがそちらの方に傾き、前回の稽古前ほど自主稽古が出来ていませんでした。
色んな言い訳をつくって怠けてしまう、自分の弱さが出てしまいました。
それが原因だと思うのですが、自身の感覚と致しましては、前回より相手との位置関係の感覚を忘れている部分が多くあったように感じました。
最初に教えて頂きました基礎稽古は、これらの稽古が要だと思いました。
地味で、一見何をしているんだろうと思う稽古ですが、これらの稽古の積み重
ねが、唯一無二の近道なんだろうなと、全ての道に共通するものを感じる事が出来ました。
続いて剣術を教えて頂きましたが、前回まで外で稽古していた時と違い、稽古に集中出来たと感じました。
本来はどのような状況であっても、相手と剣と自分に集中出来ないといけないと思うのですが、やはり屋外で稽古していますと、色んな情報が入ってきてしまい、気持ちがそっちに向かう事が多々あったように思います。
このあたりも、稽古でもっと集中出来るように頑張っていきたいと思います。
体術の方は・・・(苦笑。
毎回のことですが、慣れていない恐怖感が一気に出てしまいました。
ですが、今回の稽古の中で、「三角形」の持つ意味のさわりを、少し感じることが出来たと思います。
倒れない方向にいくら力を加えても倒れない、ということなんでしょうか・・・。
体術では、まずは恐怖感を無くすことが第一かもしれないと感じました(苦笑。
遠路お越し頂いております先生のご苦労を無駄にしないよう、
もっと精進して参ります。
次の稽古のある7月12日、京都は大分蒸し暑くなっていると思いますが、よろしくお願いいたします。
失礼いたします。
京都サンガでした。
お疲れ様でした!京都サンガさん
石川です。
基礎稽古:剣の理合で稽古する。養氣錬丹。二つの目的で行ってください。
△三角形:彼と我、二つであれば対立。一つであれば和合であり合気。その形が△。
〇丸:△の変化が、技のかかりであり〇。入身、時には転換、あるいは体の変更。
□四角:技、定まって□。
合気とは△〇□。そんなイメージで、良いと思います。
京都二回目稽古の感想を、19年ぶりに再会した元会員の京都在住者からいただきました。 [武道:京都 合気道と剣術]
こんばんは。先日、19年ぶりに京都での稽古に参加させて戴いた京都忍者(仮名)です。
当日朝の申し出にも拘わらず、快諾を戴きありがとうございました。もともとご一緒に練習される予定の京都サンガさんの間に割り込んだ形になってしまい心苦しかったのですが、私自身としてはとても充実した時間を共にさせて戴き大いに満足しました。翌日の筋肉痛はその証で、その痛みもある意味心地良かったです。Nさんの稽古の真剣さには頭が下がりました。私としては足をひっぱる思いでつらかったのですが、せめてNさんの習得の進捗度を測る対象となれたようでよかったです。
当日、先生と共に稽古できたこと、本当に嬉しかったです。私の方は19年ぶりの鈍い動きにも拘わらず、真剣に教えていただき、かつて東京国立で教わった頃のことを思い出しておりました。稽古は、今習い始めている教室のものとは全く異なるハードなものだけに多くのものを教わりました。特に、其々の技について、先生の技との違いについて感じるままに表現してみる練習法は印象的で、自分なりに今後も役立つものと確信しています。二時間の稽古時間はあっという間に過ぎました。
今週は三回目の稽古とのこと、仕事の都合上、今回は参加できませんが、有意義な時間を過ごされることお祈りしております。最後にNさんの合気道を通した益々の剣術、体術の向上と先生のさらなるご発展をお祈りしております。またご一緒に稽古させて戴く機会をもてることを楽しみにしております。
今後ともご指導のほどをどうぞよろしくお願い申し上げます。
19年ぶりの再会、そして稽古へのご参加。京都忍者さん、ありがとうございました。
以前いただいたメールはこちらです。http://ichirakusai.blog.so-net.ne.jp/2012-11-29
5月2日に京都四条河原で、再会することができました。
来し方を振り替えながら、市内観光。とても楽しかったです。
貴殿とは同い年で、生きてきた時代背景は同じ。
約20年前に合気道で接点があった。直後私は、独立して楽心館を主宰することになった。
貴殿は転勤され、企業戦士として奮闘された。
私はデフレ経済下、技を磨きながら道場経営者として奮闘していた。
また今回、合気道で接点ができた。
そこへ貴殿は、ノートを持参されました。
国立時代の稽古日誌を保管なさっているとのこと、本当に驚きました。写真は当日、ノートを見せてくださった時のものです。
自分のしてきたことが、どこかにこうして残るのは、責任重大です。冷や汗ものです。
稽古は楽しんでいただいたとのことで、幸いでした。今後もよろしくお願いします。
石川
旧武徳殿の内観と全日本剣道演武大会の紹介 [武道:京都 合気道と剣術]
戦前武道組織と解散
ウィキペディア「大日本武徳会」より。
(引用開始)
1938年(昭和13年)、武道審議会の設置が帝国議会で承認され、それを受けて、翌1939年(昭和14年)12月23日、厚生大臣の諮問機関「武道振興委員会[注釈 3]」が設置、この委員会は武道を総合統制する団体の組織化や政府内部に武道関連部署の設置等を政府側に答申。
1941年(昭和16年)5月には厚生省体力局武道課が新設された。同年12月22日、太平洋戦争開戦。同年12月、同じく厚生大臣諮問機関の「国民体力審議会[注釈 4]」は、新設する武道団体は政府の外郭団体として厚生省、文部省、陸軍省、海軍省、内務省の5省共管によるものとし、既存の武徳会を包含する形で新たな武道団体に改組・帰一させる旨を答申。
これを受けて1942年(昭和17年)3月21日、既存の武徳会を改組、会長に内閣総理大臣東條英機、副会長に厚生大臣小泉親彦、文部大臣橋田邦彦、陸軍大臣東條英機(会長兼任)、海軍大臣嶋田繁太郎、内務大臣湯沢三千男の各大臣と学識経験者1名をそれぞれ招き、理事長に民間人、各支部長には各地の知事をあて、本部は京都の武徳殿から東京の厚生省内に移転。こうして政府5省が共管する新たな大日本武徳会が発足し、戦争翼賛団体の性格を強めた。同年度末には、全国に支部を建設し、会員数224万人、資金量559万円という膨大な会員と莫大な資金を持つ巨大組織となっていた。
政府の外郭団体となった武徳会は、大日本学徒体育振興会、講道館、日本古武道振興会、大日本剣道会、皇武会などを包摂組織とし、統制を行った。また、剣道、柔道、銃剣道、射撃道などの各部会を設け、各武道の振興にも寄与した。
1945年(昭和20年)の日本の敗戦後、武徳会は、全国の武道組織を統制する政府の外郭団体から民間団体へと組織を改編し、人員も刷新された。また、各武道組織の統制も消滅した。しかし、設立当初から旧内務省との密接な結びつきをもっていたため、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から解散を命じられ、1946年(昭和21年)10月31日に解散した。さらに1947年(昭和22年)の公職追放では、武徳会に関わった人物も対象となり、約1300名が公職から追放された。
(引用終り)
旧武徳殿の紹介
1899年に大日本武徳会により演武場として木造で造営されました。同会解散後は進駐軍に接収されたのち、2013年現在、京都市武道センターの施設として、京都旧武徳殿は、国の重要文化財として、保存利用されています。
明治時代における木造建築、あるいは武道の歴史に関する施設としての歴史的な評価もなされており、外観の写真はよく知られています。この度5月2日、「第109回 全日本剣道演武大会」を観覧させていただく機会を得ました。各古武道流派が演武している様子を、紹介させていただきます。
演武者入場の様子
呼吸力とは:京都 二回目の稽古 感想です。 [武道:京都 合気道と剣術]
石川先生、二回目のご指導、誠にありがとうございました。
前回の稽古の後、気になっていました「呼吸」について質問させて頂きました。先生の答えに、驚きとともに、自分の推測が間違っていなかったことに嬉しさを覚えました。
「呼吸」という言葉を聞きますと、「吸って吐く」何か特別な方法があるのかと想像してしまいます。しかし、そうではなく、相手と「心意気と合わす」との意味合いと、教えて頂きました。(先生はこのような言葉を使いませんでしたが、様々な説明と修錬から、このように表現させていただきます)
まだ僕にはわかりませんが、この「心意気と合わす」のは相手だけでなく、もっと大きなものとも「心意気と合わす」のではないかと、稽古を振り返りながら思いました。「心意気」(しんいき)に、別の表現を当てると、「神域」ともなります。
大袈裟ですが、自分がこれまでやっていたことと比べると、それほどの差があるのです。
今回は途中から、先生の古くからのお知り合いが稽古に参加して下さり、僕自身、大変勉強させて頂きました。
まだまだ何もわかっていない身ですが、先生と対象になる方がいらっしゃるというのは、こんなにも有り難いことなのかと痛感しました。
中心軸からひねって体を使うのではなく、緩めて使う。
中丹田、下丹田をゆるめる。
相手とつながる。
言葉だけで、今はまだ何一つ実感出来ていません。
遅々とした歩みになると思いますが、また御教授頂けましたらと思っております。
まだまだ「わからない事が、わからない」状態ですが、何かありましたらご連絡させて頂きます。
5月になりましたが、少し寒い日があるようですので、お体にはくれぐれもご注意下さい。
余談になりますが、旧暦ではまだ弥生なんですね。
暦に季節を合わすのではなく、季節に暦を合わしていた先人達は、もっと色んなものを感じていたのかも知れませんね・・・。
では次回の5月31日、稽古を楽しみにしております。
失礼いたします。
京都サンガでした。
京都 第一回目 稽古 「呼吸とは」 [武道:京都 合気道と剣術]
4月5日が、京都の最初の稽古です。どのくらい続けられるかな?などと思いながら、京都駅を見上げます。
京都タワーの下で、今日の参加者の京都サンガさんと、会いました。不思議なもので、これが偶然、なのです。
待ち合わせの時間と場所も、決めていません。私は「着いたら電話します」とか言っておいて、電話せずにぶらぶら歩いていたのです。そこへ自転車の怪しい風体の人が通りかかり、声をかけてきました。
驚いたことに、この人が今日の参加者、京都サンガさんです。この方とは、何か縁が深いのかな、そう思わせる出来事でした。
一時間ほど駅前喫茶店で話し、会場へ移動。9時から一時間外で剣術。この時すでに、京都サンガさんは、思考が追い付かなくて頭が疲労。
10時から柔道場で、剣柔一体について。基礎の体術。これで京都サンガさんは、心身疲労。
それでは京都サンガさんの感想文を、紹介させていただきます。
お疲れ様です。
今日は遠いところありがとうございました。
全てのことが今まで見てきた世界とは全く違いまして、、、、。
頭がぐるぐるしてしまいました。
稽古場ではわかりました。やります。と言っても、家では稽古しない。
ドキッとする御言葉でした。
他ののレッスンに来て頂いている先生も、同様のことをよく仰ってました。
言葉は嘘をつけるが、体は嘘をつけないと。
今日教えて頂いたこと、ビデオを見ながら繰返し稽古させて頂きます。
道筋を教えて頂いた今、このご縁を活かせるかどうかは自分自身だと思います。
早速ですが、先日のビデオを見ていまして、1つ気になるところが出てきました。
それは、「呼吸」です。
稽古の最中はそこまでとても考えられなかったのですが、ビデオを見ていますと、何度か呼吸という言葉が出ていまして、それが気になりました。
まだまだ早いことなのかも知れませんが、来月の稽古の際に、呼吸について何かお話を伺えたら、と思いました。
これから遠いところ、色々ご負担をおかけしますが、ゆっくりした歩みでも勉強させて頂きたいと思い
ます。
何卒よろしくお願いいたします。
まだ朝晩寒い日があると思いますので、お身体にはくれぐれもご注意下さい。
ではでは失礼致します。
ありがとうございました。
師匠の何をしているかではなく、何をしようとしているかを見よ。 [武道:京都 合気道と剣術]
写真は京都です。
「古人の跡をもとめず、古人の求めたる所をもとめよ」
で、芭蕉の真髄をあらわす言葉として、知られています。
松尾芭蕉『許六離別の詞』(柴門の辞)が出典です。さらに遡れば、空海の『遍照発揮性霊集』に
「・・・書もまた古意に擬するを以て善しとなし、古迹に似るを以て巧みとなさず」
とあるそうです。
転じて武道の世界でも
「師匠の何をしているかではなく、何をしようとしているかを見よ。」
と言われるようになりました。
例えば武田惣角先生や植芝盛平先生を第一世代として、私は第四世代や第三世代。間に第一世代の雰囲気を間近に知る師範方があります。
ですから
第一世代および師範方それぞれに、「何をしているかではなく、何をしようとしているか」検証が必要になります。「何をしているか」から、どんどん引き算をして、「何をしようとしているか?その先代は何をしていたか?」と、考える必要があります。
師匠に対しては大変失礼かもしれませんが、「本当にそうやっていたのですか?あとから加えたものではないですか?」。師匠が錬って工夫したものは大切なので、だけどそれはそれとして。
そう言えるだけの太い繋がりが、大切でもあります。
かといって、型を軽視するのでもありません。これは型を追いかけることにある誤りを、指摘しているのです。型は大切だとはいえ、よくある例に、「植芝先生は新陰流を稽古したから、植芝先生の剣は新陰流にある」 のような思い込みです。
また
師匠が空手や柔道経験者なら、それに類する動作は、稽古から引き算せねばなりません。
武道は、引き算を繰り返し、少しでも本質に近づく学びです。