術と道 [AIKIDO TECHNIQUES 合気道 技]
術と道については、すでに述べたことがある。
http://www.aiki.jp/ishikawa/message/message-jyutsutomichi.htm
武術と武道としても、大局的に区別はない。
「基本的に結果が全てであるが、誤った過程と予想外の結果が重要な場合も多々ある」、としか言いようがない。
結果が出ない時は、過程の誤りを検証する。
結果が正しく出た時も、不合理な過程がなかったか検証する。
過程が正しくとも結果が出ないこともある。ここに新発見がないか、検証する。
術と道、やる作業は同じで、比重の置き方の差に過ぎない。
世には本流だ末流だと、「武術と武道」それぞれの中で区別を付けたがるものだ。謙遜で自ら「末流です」と言うならまだしも、「あれは末流」などと言うは傲慢かもしれない。
ある場にて、立派な指導者を見かけた話をしよう。
稽古中、師範室へ戻るとタオルを持ってきた。
帰ってあるお子さんの足元を、拭き取った。
タオルをお子さんの手に持たせると、退場させた。
お子さんは静かに退場し、道場の隅へ行く。
その時やっと、私は何が起きたかを把握した。
指導者は話し始めた。
「冬場、稽古に夢中になっていて、我慢しきれずにオシッコを漏らす。そのことをバカにしてはならない。
たいして出したくもないのに、チョコチョコとトイレに行く奴よりはましだ。
但し自分から「トイレに行く」と、言えれば立派だった。
さらり言えば、稽古の始まる前にトイレに行ければ、もっと立派だった。」
やがてはお子さんは、自分のズボンに履き替えて登場。最後までやり通し、帰って行った。小学2年生程の男の子。それを見ていた私は涙腺が緩みきったまま、「みんなもっと足腰を緩めないと!駄目じゃないか!」と、声を荒げた。
この指導者の団体は、このジャンルでは支流の支流。ピョンピョン飛び跳ねることも多い格闘術。日本の伝統的身体使いからは、逸脱しているかもしれない。
しかし自分の師範を信じ、精進し、生き方に活用している。
ここに道がある。
道元禅師は「随所に主となれば立処、皆真」と喝破している。
武術の教えに「初歩の一本目、初手が極意」とある。これは技を超えて、人の道そのもののこと。
自分は稽古することで、衣食住を得ている。もしほんとうに稽古しているのなら、毎日反省の機会を得ているはずであった。
日々何かが起きる日常の中で、自分はどれ程のことが出来ているだろう。あの指導者は私より、15才は若かった。
自分は恥ずかしい。
だから武術と武道に、区別はないと思う。
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夜霧よ 今夜も ありがとう
miiyaさん niceを ありがとう
by 楽心館と楽氣の代表 (2007-10-29 22:16)