教諭として思う [武道:東京都羽村市五ノ神会館合気道]
今年2月から羽村五ノ神会館にて学ばせていただいている、稲葉と申します。
武道は全くの初心者、柔道着の帯の結び方から教えていただきました。合気道を始めた動機は単純に自分の健康を取り戻したかったからです。
私は小学校で教師をしています。日頃子どもと接している中で、情緒の安定と姿勢や生活習慣が密接にかかわり合っていることを感じていました。教育書などを読みながら「いかに子どもに姿勢の大切さを指導していくか」を考えていた際、実は教師である自分の姿勢がとても悪く、不健康であること気づきました。不規則な生活がつづき、食生活の乱れも目立つ中、何とか健康な体を取り戻したい、自分を向上させたいと考え、武道を始めることを決心しました。
「争わない」「勝ち負けはない」合気道に興味を持ち(注)、自宅から通えるいくつかの道場をインターネットで検索しました。ちょうど羽村の五ノ神会館で稽古が行われていることを知り、見学をさせていただきました。武道の稽古と言えば「一、二、三…」と声をそろえて突きや素振りをしているイメージを持っていましたが、厳粛な空気の中にも冗談が混じる温かい雰囲気で稽古が進められていました。
ご縁があり入会させていただくことになり、いざ稽古に参加してみると… センスのなさに自分でもびっくりしました。(笑)
先生の真似さえできない。おっしゃっていることは何となく分かっても、とにかくできない。成功する感覚がわからない。(要求されている身体の使い方が、どのようなメカニズムで技がかかっているのか、其の感覚が分からない意)
以前、自分が体育の授業で器械運動を指導した際、子どもに「先生の言ってることはわかってるの!でもできないの!」と言われた感覚がまさにぴったり!(笑)
そんな劣等生の自分ですが、できないときに「できなくてとうぜん、一回聞いてできたら黒帯ですよ。」(実際は何回聞いてもできないのですが…)と声をかけてもらい、気持ちがとても落ち着いたことを覚えています。この一声を聞いた時の安心感。自分の授業中の声のかけ方を改めて考えるきっかけとなりました。なぜ私がこのような記述をするのか、他の合気道を稽古している方には、ご理解いただけないと思います。指導者が技を示し、「はい、どうぞ」と其の指示に随って繰り返し技を模倣する、そのような稽古方法を楽心館では行わないのです。剣と体術に普遍的な足腰丹田の使い方、合気道の合気といわれる技法の基礎を、指導者が一人一人を手にとって、感覚を伝えます。そして生徒は其の感覚を基に、自分の身体をどう使ったら再現性があるのか検証するのです。それが楽心館の稽古なのです。
仕事の都合などもあり、なかなか毎回の稽古に通うことはできていませんが、一週間に一度、正座をして心を静める、体の中心線を意識してみる、そのような時間が自分の中でとても大切な時間となっています。今後も精進したいと思います。
(注)護身・武道ですから必ず勝ちがあり、それが一つの目的です。ここでいう「争わない」とは、合気という技法の武技は、力の相対的対立がないところに真の技の掛があるという意味です。
写真は稽古を行っている五ノ神会館の和室です。私と平先生が受けです。
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