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見ざる聞かざる言わざる、の大切さ [素心]

一般に「見ざる聞かざる言わざる」とは、とかく人間は自分にとって都合の悪いことや相手の欠点を、見たり聞いたり言ったりしがちだが、それらはしないほうがよいという戒め、とされています。

 

見ざる言わざる聞かざる

 

 

それに対して日光東照宮の「見猿・言わ猿・聞か猿」(写真では左から順番に)では、目・口・耳をふさぐ猿は幼年期の猿で、子供のころは悪い事を見たり・言ったり・聞いたりしないで、素直なままに育ちなさい。という教育論の意味が込められてる、とされます。

前者は消極的解釈で、後者は積極的解釈とも取れます。芸道を歩むうえでは、後者の意味で考えたいです。

今日、「剣道・空手・少林寺」と経験した方の入門ありました。骨太で、腕力のある方です。当身など基本動作を確認する稽古で、この方の抱える問題は明確になりました。

中国武術でいう「蓄勁」レベルでしょうか。欠点として力の蓄えと準備が、見て取れる。ボクシングでいうテレホンパンチです。

数年後に成長を確認できるかどうかは、彼自身が一時期、過去の経験に「見猿・言わ猿・聞か猿」、素直になり切れるかどうかにかかってきます。

別の例で、他流派の大学合気道部出身の方が、訪ねてくることがあります。もちろん有段者ですが、私の指摘は「捻ってる、加速だね、持ち上げちゃうね」そのどれかにすぎません。不親切なつもりはないのですが、ほかに言いようがないのです。その時はなるほど納得の表情でも、心の中では反感を持つのでしょう、縁の繋がることは、ほとんどありません。

それでもMさんは違いました。「今までしてきたことは無駄ではないですから、黒帯締めてきていいですよ」。それでもMさんは、「最初からやり直したいです」と、白帯で通い続けました。平成22年2月入門です。

私からの繰り返しの指摘も、自省されて、Mさんはこの度、楽心館の初段となりました。初学者が素直になることは難しい、さらに難しいのは経験者が素直になることです。Mさんは立派でした。

たとえある時期素直に精進しても、忘れたように傲慢さが出る、それが人間です。そんな例もたくさん見てきました。悲しい思い出です。

では、そういう自分は何様なのか。今日も考えます。


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