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歳月人を待たず [素心]

歳月人を待たず 

早いもので、もう3月です。月日の流れのはやいことを、「光陰矢の如し」といいます。他にどんな言葉を、ご存知ですか?

そう質問すると、5年生の女子が答えてくれました。

歳月人を待たず です」と。

元の意味は

陶潜の『雑詩』に

(http://tao.hix05.com/zatshushi/zatsu01.saigetu.html より引用開始)

  人生無根蔕  人生 根蔕なく
  飄如陌上塵  飄として陌上の塵の如し
  分散逐風轉  分散し風を逐って轉じ
  此已非常身  此れ已に常の身に非ず
  落地爲兄弟  地に落ちては兄弟と爲る
  何必骨肉親  何ぞ必ずしも骨肉の親のみならんや
  得歡當作樂  歡を得なば當に樂しみを作すべし
  斗酒聚比鄰  斗酒 比鄰を聚めよ
  盛年不重來  盛年 重ねては來たらず
  一日難再晨  一日 再びは晨なりがたし
  及時當勉勵  時に及んで當に勉勵すべし
  歳月不待人  歳月 人を待たず

人間の生には(植物のような)しっかりとした拠り所がなく、ひらひらと舞い散るさまは路上の塵のようだ、ばらばらになって風に吹かれて飛び散り、もとの通りに居続けることはない

この世に生まれたからにはみな兄弟だ、骨肉の間柄だけではない、歓楽の機会があればすべからく楽しもう、酒があれば近所の連中を集めようではないか、

盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ


人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名なものだ、特に最後の四句は人口に膾炙してきた、だが、意味を取り違え、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、解釈されることが多かった。人生のはかなさを説き、時に及んで行楽すべしとうたうこの詩は、陶淵明の詩の中でも有名なものだ、特に最後の四句は人口に膾炙してきた、だが、意味を取り違え、歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべしというふうに、解釈されることが多かった。

それは勉励を、普通に言う勉強と受け止めたことの結果だろうが、ここでいう勉励とは行楽に精を出すことをいうのである、
(引用終り)

中国での元の意味は

日本人であれば「歳月は人を待たないから、寸刻を惜しんで勉強すべし」と思います。

が、それは意味を取り違えであって、中国での元の意味は

「歓楽の機会があればすべからく楽しもう、酒があれば近所の連中を集めようではないか、 盛りの年は二度とはない、今日という日は再びは来ない、時に及んでまさに行楽を楽しもう、歳月は人を待ってはくれないのだ」というのです。

私の感想

私は、生老病死苦と結び付けて考えます。

生:目標を持って努力する。たとえ結果を出せても、時の流れを走りながら追いかけています。自分の立ち位置を見失って、「俺、何やっているのだろう?」と、呆然とすることもあります。

老:自分の目標・家族の平和を得たとする。若い頃と比べれば、気力体力の限界に至り、時の流れを歩きながら追いかけています。走って追いかけている時には見えなかった景色を、楽しめることもあります。それでも走っていた頃の活力を失うことは、本当に寂しいものです。

病:過去の蓄積を取り崩して、日々を過ごします。時の流れを、杖ついて追いかけられるものではありません。取り残されることに諦められるかが、問題です。

死:塞ぐ。棺の蓋を。そして何が残るか、自分にはわかりません。自分は空に帰し、時間の流れに、合流できるでしょうか?

人生随所に学びありといえども、歳月の流れに追いつけるものではありません。

それが私の「歳月人を待たず」です。


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