武道道場の障害者への対応 [素心]
何が障害か
生れながら心身に障害を持つ、これは人生のスタート地点から本人に責任のない負担なので、こんなにお気の毒なことはありません。しかし障害自体を、他人が「気の毒」・「不幸だ」とか。ステレオタイプの同情は、いかがなものでしょうか。
障害をさらに不幸にするのは、自ら作る心の妨げ(限界)や社会の妨げ(偏見)だと思います。こうしたことは多くの方に語りつくされていると思いますが、稽古の中で体験したことを、紹介します。そして楽心館の活動を、考え直したいと思います。
障害を持つ方の受け入れ
私は、場末の町道場経営者にすぎません。そんな私にとって、「この仕事を、このやり方で行ってきて、本当に良かった」と、自己満足する時があります。障害を持つ皆様を見下げた言い方と感じる方がありましたら、お許し下さい。そんなつもりはありません。
自己満足の時、それは社会的弱者や何等か障害を持つ方が入門して、平等に稽古を楽しんでくださることです。
かといって積極的に募集しませんし、特別な知識・技術を持ちません。「普通に扱うことしかできませんが、それでよろしければどうぞ。参加する場を提供する」だけです。そんな楽心館をお選びいただいたことに、満足を覚えます。
身体障害
聴覚障害を持つ方、参加しています。Aさんとします。Aさんは、特殊器具を装着すれば、普通に聞こえるそうです。確かに言語能力に、困難さを感じます。しかしそのほかの能力において、身体バランス感覚・感性の鋭さ・人間好きなところなど、常人を超えています。
何をおいてもAさんの素晴らしいことは、自分を障害者と思っていないだろうことです。そこで私の結論は、「Aさんは身体障害者ですが、健常者として生きていく能力・魅力に満ちている」。本人が障害者と思っていないのに、彼の本質は障害者でありません。
心の妨げ
「心の妨げ」とは心障害ではなく、ここでは「心の限界を狭く持っている」ほどの意味で使います。
ある教室にBさんあります。彼は人並み以上に立派な体格で、健康そのものです。しかし積極性に欠け、潜在能力が高いのにもったいないと、私は感じていました。
ある日のBさん、右手の中指の靱帯を痛めたと言って、「今日は見学します」と申し出ました。私は「できることだけ選んで、参加したらいいですよ」と話しました。それでもBさんは、眼を据えて「今日は見学します」と、答えました。私は感じるものがあり、「分かりました。それなら、こちらへどうぞ、見ていてください」と、丸椅子を出しました。
稽古が始まって30分間、彼の望むようにさせました。自ら参加する気配はありません。黙って座っているだけです。私は再度、Bさんに「出来ることだけ、やってみませんか?」と、声掛けました。しかし彼の表情は変わりません。そこで私はAさんのことを話し始めました。
「楽心館には、様々な障害を持つ方が参加しています。Aさんは、聴覚障害者です。しかし彼自身は、自分を障害者と思っていないので、聴覚障害を理由に、稽古をえり好みすることはありません。皆さんと同じことを、やろうとするのです。
Bさんは今日、指に怪我をしています。普段使える指が使えないため、今日は本当に不便を感じていることでしょう。しかし、本当に何もできないですか?片手でも何でも、できることをすれば良いと思います」。
このように全体に話しかけた後、Bさんを見つめました。Bさんはスクッと立ち上がり、「やってみる!」と言いました。残りの稽古時間、全てに参加しました。
Bさんは、自分で作った心の妨げによって不自由になっていましたが、それを突き破って自分の可能性を試してくれました。こうした経験を稽古場で繰り返すことで、自ら主体的な人として成長することは、楽心館の「楽しき心」で表現したいものです。
たとえ健常者であっても心に妨げを抱えた方にとって、道場に参加される障害者の存在は、学びの模範ともなります。
社会・家族の妨げ
社会・家族の妨げについては、差別と逆差別があると思います。
*差別
差別については語るまでもありません。社会の偏見や、教育・福祉の受け入れの未整備と思います。外部に迷惑かけないよう、私の母を例に話します。
母は昭和10年生まれ、足が不自由でした。不自由であること、さらに当時の受け入れ態勢のなさや偏見もあってでしょう。満足な通学もできなかったそうです。基本は、社会ずれしていない純真さを持つ方でした。一方では、社会に対して閉ざした心といいましょうか、頑なな劣等感を持ちました。
社会の受け入れが不十分な時代に生きたとはいえ、もう少し心開いて生きてほしかったと感じる一方、頑なな母の心の陰に、寄り添えきれなかった自分を責めています。
母は70歳を過ぎたころ、老人性鬱と痴呆が進むとともに、歩行困難になりました。晩年の約7年を特別養護老人ホームでお世話になり79歳で亡くなりました。その母に、私が忘れられない表情があります。
あれはまだ自宅で過ごせた最後の時期です。デイケアサービスを受けて、帰って来た時のことです。送迎車から降りて、歩行器に身体をもたせ掛けて玄関に入ってきました。その時の母の輝いた表情です。久しぶりに見た、本当にうれしそうな表情。あの表情の母が、本来の姿であったはずです。
社会にも家族の側にも、受け入れ態勢の未整備・偏見・差別はあったのです。それがなければ、どれだけ本来の姿で生きられたことでしょう。家族として、忸怩たる思いです。
*逆差別
周囲の受け入れ態勢・理解は、大切です。かといって、障害者や困難な問題を抱える方を、分不相応な受入れ方によって起きる軋轢は、避けるべきです。
入門に際して、「斯く斯く云云の事情があるので、特別の計らいを」と、求めてくる方があります。私は「配慮はしたいと思いますが、基本的に普通に皆さんと同じ扱いしか、できません」と正直に申し上げるようにしています。
我々は、町道場にすぎません。「武を形にする形式的陶冶」、「知的・道徳的・美的に育む実質的陶冶」の両輪を期する、これが目的です。それ以外は目的外です。
暴力に対しては、司法力が必要なのであって、警察や児童相談所に類似した働きはできません。
障害や貧困に対しては、行政的な保護が必要なのであって、福祉事務所に類似した働きはできません。
心身の治療を求めるのであれば、専門的な医師・療法士の元で、指導を受けるべきです。
まずは「稽古を通しての人格陶冶」、この持ち分を超える扱いは、本人の為にも道場の為にもよくないことです。
以前、楽心館で、実際にあったことです。ある問題を背負う方を受け入れた。指導員は、適切に指導できないまま、特別扱いをした。結果、その教室に不満が蓄積し、他のお稽古人様が全員退会しました。
指導員は、弱者に寄り添っているつもりだったのでしょう。しかし、分不相応な受入れ方によって、誰の為にもならなかったのです。これが逆差別の招いた結果です。
受け入れ態勢・能力がないところへ、同情だけで受け入れ、それは逆差別、偽善を招く可能性あります。
私の失敗
私の辛い思い出を、紹介します。
昔、ある障害を持つ幼児I君を預かりました。知的発達が遅れていました。最初は遊びの延長で、かまいません。
I君は、奇声を上げて走り回る。すると他の子もつられて、「ワッー!」と走り回る。それを見て私は、「こら、こら!」と追いかけ座らせる。
I君、気分が高まると噛みつく、叩く。「I君、ためだめ、叩いちゃ」。保護者様には「申し訳ありません」。稽古を見学に来た方の目には、ここは合気道を稽古するところではなく、気勢を上げて走り回るところと映ったことでしょう。「これではね?」と、呆れ顔で帰って行かれました。悪戦苦闘の日々が一年以上続きました。
しかし、自分と他の皆さんは心身を高める目的で参加していること。危険な武技を稽古するので、していいこと悪いことのハードルが高いこと。どこかの時点で、理解していただかなければなりません。
I君は、小学校入学の時期を迎えました。これから学校生活に入る準備、どれだけできたでしょうか?稽古の場でも、健常児同様に、けじめをつけさせることにしました。してはいけないことをした時には、他の子と同じように叱る。それでも止めない時は、お尻を叩く。
私はめったに叩くことありませんので、心を鬼して叩きました。「こらっ!だめでしょう!」と。叩かれた意味を理解できない時のI君は、泣くこともありました。こうした日々が、しばらく続きました。
ある日、子供クラスの終わった後、「先生、この子を抱いてやってください!」と、I君のお母さんが連れてきました。お母さんを見ると、すでに涙顔になっています。私は全ての意向を理解して、我が子を抱きしめると同じようにI君をギュッと抱きしめました。心の中で「ごめんね。力になれなくて、これから頑張るんだよ。さようなら!」と。
こうしてI君のお母さんは、稽古の継続を断念されました。
終りに
I君の例だけでは、ありません。私にはたくさん、不十分な対応がありました。残念と言わざるを得ません。しかし良い結果を出せた例も、たくさんあります。
できる範囲のことを精一杯行って、「なるべきようになる」のを、待つだけのことです。
先ほどI君の入門情報を確認してきました。「彼の学齢からすると、こんな生活をしているはずだが、どうしているだろう?」と、考えていました。
私にはできませんでしたが、是非ともI君には、良き教育者と出会って、「自分を障害者と思っていないので、自分の本質は障害者でありません」と言える境地に至っていただきたい。そう切実に願っています。
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