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これから受験生活へ入る皆さんへ [素心]

 稽古の終了時、私が選んだ言葉を、皆で唱和することが多いです。たとえばこんな感じです。

 「今日は道元禅師 正法眼蔵のお言葉を、元気よく唱和させていただきましょう。

霧の中を行けば

覚えざるに袖濡れる(衣湿る)

良き人の中を行けば

覚えざるに良き人なるなり」

 秋は、受験準備のため退会する小・中・高校生が、多くなります。見送る言葉に相応しいので、この言葉を考えます。

安住の地を行けば

 「良き人の中を行けば」この対極を考えると、「悪しき人の中を行けば」となります。もしこうすると、「朱に交われば赤くなる」ごとくに「悪しき人」になります。レベルが下がるということです。

 では中庸を考えると、「同属の中を行けば」となります。同属とは、価値観・教養・経済力・地位も同じということです。もしこうすると、安住の地で居心地良いかもしれません。しかし安住の地を行けば、何の成長もありません。

良き人の中を行けば

 道元禅師は、良き人の中を行けば「覚えざるに」良き人なるなり。「覚えざるに」とは、「知らず知らずのうちに」・「気づかないうちに」ほどの意味でしょう。これは理想を語っていると思われます。本当にそうでしょうか?

 自分のレベルを上げようと思って、価値観・教養・経済力・地位も上の人々と交際するということ。それは勇気も必要でしょう。自分の未熟さに葛藤を感じることもあるでしょう。受験・就職・結婚ともなると、努力も真剣さも必要でしょう。「覚えざるに」というほど、穏やかではないと思います。

 我々が芸を学ぶ時も、レベルの高い方との葛藤こそ学びであることを思うと、葛藤を経たのちにこそ「覚えざるに」といえる世界があると思います。

一所懸命から多所懸命へ

 一所懸命という言葉あります。一所懸命とは「中世、一か所の領地を命をかけて生活の頼みにすること。また、その領地。」に由来する言葉です。これが転じ「命がけで物事をすること。また、そのさま。」を意味する言葉となり、そこからさらに、言葉の持つ意味合いから「一生」が使われるようになったといわれています。

 ここで誤解しやすいのが、一所は今の時代、一つの場所や立ち位置のことではないと思います。一所とは「向上心を持ち努力し続ける姿勢」そのものだと考えたいです。なぜなら私は、一所に留まったことがないし、二足の草鞋も平気です。いうなれば多所懸命です。(ただし嫁さんは、一人だけです。)

 若い皆さんには、安住することなく、挑戦し続けてください。道を離れて森の中を散策するごとく、楽心館の稽古から離れ、良き人の中を行けば、きっと新しい世界の学びに入ります。そしてまた気が向いたら、稽古へ帰ってきてくだい。その時は、歓迎します。


タグ:安住 受験
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