呼吸力 即ち 養気錬丹で無拍子の世界へ [武道:剣柔一体(気剣体)]
呼吸力とは
呼吸力とは、力と速さを消して、相手に反応させない動きのこと。それゆえ植芝盛平先生は「合気に形なし」と、表現されました。
以前も「呼吸力や中心力と表現されるものは何か」について、書いていると思います。時間が経ったので、改めて書き直してみます。少しでも理解しやすい表現になれば、幸いですが。
武道の稽古では、「型より入って、型より出る」との表現あります。習い方を、二つの階梯に分けたものです。
前段の「型より入って」は、養気錬丹整体研技ということの「整体研技」と思います。後段の「型より出る」は、養気錬丹整体研技ということの「養気錬丹」と思います。
「呼吸力や中心力と表現されるもの」、以後は呼吸力とのみ表記します。楽心館において呼吸力の養成は、「養気錬丹」そのものであり、最小の動作で最大の効果を生むための訓練です。
では具体的に何をしたら、良いのでしょう?
呼吸力の養成
では何をするのかというと、無駄を省くということです。格言に「習いとは、一より初めて十を知り、十より戻りて元のその一」とあります。「型より出る」は、「十より戻りて元のその一」と同じことです。「十より無駄を省いて元のその一」です。
では、なぜ無駄を省く必要があるのでしょう?それは型を技化するためです。
型より技、技より術
型は、訓練のための階梯。理解を深めるため、あるいは鍛錬の動作です。型のままでは無駄が多いので、それを使いやすいように省いたものが技です。柔術より合気柔術、のようなものです。
そしてさらに無駄を省いて、接触技術に進化する。合気柔術より合気術、のようなものです。この水準を、呼吸力と考えます。
三拍子とは
楽心館は、呼吸力を「等速無拍子運動」と定義して、稽古しています。
例えば、「打つ」・「突く」とか「出す」・「抜く」のような単純動作で考えます。これを型として行うと、大方の皆様は、リズムを取って運動します。仮に「出す」場合、次のような手順を作ってしまいます。
1、腰を入れる。
2、頭を突っ込む。
3、手を持ち上げる。
よほど丁寧な指導を受けないと、まじめに型稽古した人ほど、こうした三拍子運動が染みついてしまいがちです。この三拍子を一言で、動きの蓄(貯め)といいます。
動きの蓄(貯め)
蓄を取るにはどうしたらよいか?植芝盛平先生は、「若い者はしっかり力を入れた稽古をしろ」と仰せになられました。こうするしかないと思います。
ただし、この「しっかり力を入れろ」を、力んだり居着くようなこととしては無意味です。私は「受けの方に、適切に止めてもらう。止められた場合、その理由を指摘していただく」ことが大切であると考えます。
止められた原因が、腰の入れ癖・頭の突っ込み癖・手の持ち上げ癖。その指摘を受け止めつつ、修錬するのです。
こうして、三拍子を二拍子へ。二拍子を一拍子へ。無駄を省くのです。これが、動きの蓄を取る作業です。最後のに残るのは「氣と丹田」、即ち「中心と緩み」の作用だけです。
しかしこれでも、師範格には通用しないものです。一拍子まででは、まだ何か足りません。気配・心の明暗を、読まれているからです。
心の明暗
楽心館では、動きの蓄(貯め)を消し、さらに心の明暗を消したものを、無拍子と定義しています。そしてそれは、気剣体一致そのものです。
では、どうしたらよいでしょう?それは妙なもの。乙女の髪の如し、結うに結われず、言うに言われず。
どうぞ修錬なさってください。
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