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挨拶:型の大切さ [素心]

躾も武道の稽古も、型から入る。これは型式のこと。

当会では型と形は区別し、形は型より上位に。形を身形(みなり)の形とし、型に身体使いの伴ったものを、形と考えるからです。

今日は、ごく初歩の型の大切さを考えます。
A君は小学3年生、姉弟で稽古しています。喧嘩しては不機嫌なことが多く、誉めそやしながら参加してもうすぐ一年です。当会では、子供の最初の審査で、立ち方・座り方・正坐礼を身につけます。


この段階では、動作の意味や精神はともかくも、型として学びます。子供からすれば、決められた通り行えば、先生が「きれいだな!」・「上手だね!」・「きもちいいね!」と、褒めてくれるからやるのであって、それが嬉しくて身につけるのです。

この段階では、相手を敬うこと・正中線・腰の緩み・脱力した腕・中心が空かないこと、など理解の外です。


ところがこの型式を「元気で美しく挨拶しましょう!」と一年も繰り返すと、身形が伴って、型式が形式に進化します。そして精神の成長が、芽生えるものです。


A君の後輩として、僧侶の父さんと小学1年生の息子さんが、入門しました。そして二か月経った頃です。A君と僧侶が、向かい合って正坐礼をしました。するとA君は僧侶を指さし、「それは土下座のやり方だ!」とはっきりした声を出しました。僧侶が「いったいなんのことだろう?」と目を白黒していると、A君は「こういう風に手を三角形にして」と、正坐礼の模範をやって見せました。僧侶も立派な方で、A君の注意に従って挨拶をやり直しました。するとその型が、また悪かったのです。A君は先ほどより大きな声で、僧侶を指さし「それは土下座のやり方だ!」と発声しました。A君は再度模範を示しまして、僧侶はそれに従いました。


私はA君の純真無垢な態度。粛々とA君の注意を聞き入れる僧侶。深く感じ入るものがありました。そして型の大切さ、間違って伝えてはならないと、再認識する体験でした。


A君には挨拶のみならず武道の型も、楽しみながら習得していただきたいです。

型として習得する。

形として習得する。型を、技術と身体使いの必然の結果として習得する。

型より入って形より出る。技術と身体使いを錬って消します。

動く禅になる。無駄を省いて、不心・不動体・不動剣の稽古をします。

忘れる。技?武?あれっ?なんだっけ?と忘れます。

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