SSブログ

稽古始 [武道:剣柔一体(気剣体)]

 午前中は事務。午後は稽古始だ。もう、身体を動かして準備しておかないと、土曜日の文京の稽古で×だ。毎週土曜日は、9時間指導で、動かなければならない。(移動時間を除く) 息子を供に、サッカーボールを持って小学校のグランドへ。さすがに地方都市の郊外ともなると、校庭は広いな!多摩地区とも比較にならない広さだ。これをほとんど独占して使えるのだ、気分だけは豊かだぞ!

 他に野球の親子が二組。どうやらお父さんは、少年野球の指導者のようだな。系統だった指導をしている。キャッチボールで身体を暖めてから、遠投。守備。バッティング。フォームも細かに直してしている。小学4年生ほどのお子さんだ。
 私にはこうしたスポーツの能力もなければ、専門的な指導法も知らない。単に稽古の世界に身をおいた者の疑問を、述べたいと思う。

 私にはあのような野球の指導は、分からない。自分自身にも、息子にも、いや普段の稽古でも。指導は簡単なことで、終わる。たとえば今日は息子に対して、次のような言葉しか掛けない。剣柔一体、剣の扱いのままに動くだけだ。

 「軸を立てろ」(時には頭を立てろ)
 「頭と肩を上下させるな」(時には捻るな)
 「正中線(時には半身)とボールと目標に三つ。ラインと氣を通せ」

いい動きが出た時は、大声で褒めてやる。動きが崩れた時は、具体的にどこを直すか、声をかける。

 あの野球の指導者が私を見て、「理論的でないスポ根性的指導」と感想を持つ可能性がある。一般的にはそうだろう。しかし本質を掴ませる、それが大切だと思う。小手先の技術で、一時は延びるだろう。しかし個性が失われ、伸びしろもなくなる。子供に大人と同じフォームと技術、やらせる必要はないように思うのだが。

 話は江戸時代に飛ぶ。芸道の世界に「一」の大切さに気づいた方々があった。武芸はもちろん、一之太刀とも一刀流とも称し一刀斎と名乗った。一楽斎と名乗った方は、書道・茶道の世界にもあった。

 合氣も野球もサッカーも、我らのテーマは「一」でしかない。これが本質だから。息子が「もう降参です」というまで続けた。ボールを洗って、今日の初稽古を終えた。


タグ:体軸の養成
nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アート

nice! 0

コメント 4

おきらくかん

合気道の稽古を見学しながら、先生の指導がとても勉強になります。
整体の習得コースで指導をする時、私はできるだけ何も教えないようにしています。
下手な指導、行き過ぎた指導は自分で考える力、見つける力をうばってしまいます。
何が大切なのか、ポイントになるのは本当に小さな、そしてわずかなことだけだと思います。
一挙一動のすべてがそこから発していることが自分で理解できなければ
何も身につかないと思います。
by おきらくかん (2007-01-05 12:39) 

(*^∇^)/★ぴぃー♪

息子が「もう降参です」というまで続けた。
・・・なんて、スゴク幸せなことですね~。普通大人のほうが最初にバテちゃいますからね~(笑) さすが、一楽斎さん。

一楽斎さんの ご指導、独特ですよね~。
最初、合気道というものに初めて触れ、技にただただ感動し・・・
何が何だかわからないうちに月日がたったような気がします。
そして、少し落ち着いて来た頃・・・あれ???全部に共通した大切なことを、色々な技を使う中で繰り返し教えてくださってる・・・と気付きました。

そして、褒め。一楽斎さんは、心から大きな声で褒めてくれます。
大人の私でも、嬉しくなってしまうように・・・魔法のようです(笑)
by (*^∇^)/★ぴぃー♪ (2007-01-06 21:20) 

家康

人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず。
家康でございます。記事に触発された独り言を言います。

一楽斎先生に武術の素晴らしさを教えて頂いてから、如何にすれば世間に広めることができるかを、これまで考えてきました。
スポーツ全盛の現在、武術を行っている人口はあまりに少ないと思っています。明治維新までは武術が全てで、スポーツはありませんでした。
スポーツはどれも勝ち負けという他者との優劣を争うことが基本である印象を持っています。だから判りやすく、楽しいのかもしれません。しかし、この勝ち負けにこだわる基本思想の延長に、強く優秀な人間が弱きものから奪い去ることを正当性し、弱肉強食を助長する効果もある気がしています。
語弊を覚悟していうと、荘厳な教会がキリスト布教の極めて大きな力になったように、スポーツが弱肉強食思想布教に知らず知らずのうちに加担している気がしています。考えすぎかもしれませんが。ただ、一選手に年収何億円もの金が集まることに当然となっている状況に違和感を覚えない人が多いことが一つの例ではないかと思っています。全体の総収入があまり変っていなければ、弱き人に全てのしわ寄せが来ていることが進んでいるのではないのかと危惧しています。

この風潮は今、日本中に広まっている気もしています。短期間では一部の人たちが潤うかもしれませんが、長い目でみれば国内犯罪悪化で事実上の内戦状態で大多数の人が不幸な某国のようになるような気がしています。

武術は、他者との比較にはあまり重きをおいておらず、自己の心身鍛練に重きが置かれ、競争ではなく育成に重きが置かれている気がしています。
武術を通して、競争主体ではなく育成主体の思想も育まれる気もしています。
競争思想と育成思想のバランスが、今は世界的に競争思想に傾きすぎている気がしています。

武術は自己鍛練に重きがあるので、勝負主体のスポーツより、楽しさに劣るので広まらないのかもしれません。広める努力はしてきましたが、あきまへんでした。
最近は、千里の道も一歩からと言いますように、今はご縁のある方達と稽古できるだけで幸せなのかなと思えてきました。今ある火をまず消さないことが、今できることなのかなとも思ってきています。
つまらぬ独り言です。失礼します。
by 家康 (2007-01-07 12:31) 

楽心館と楽氣の代表

おきらくかん・ぴぃー様・家康様
書き込みを有難うございます。
稽古が始まってあわただしくなりましたが、私もできるだけアクションできるようにしますね。
家康様の仰せのことはごもっともですが、私は縦の流れの中から説明してみたいと思います。結論は貴方と同じですが。
by 楽心館と楽氣の代表 (2007-01-08 07:56) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

免状作成日本的なものの伝え方 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。