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朝(あした)に道を聞かば 夕べに死すとも可なり  論語 [素心]

   昨日、枝に咲いていた花。DSC00343.JPG

 

 

 

 

 

 

 

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   それが今日には、石の上に落ちて雨に濡れている

 

 

 

 

 

 

 

 

   さながら、「咲く花の目的は達した。至って死すのみ」と伝わってくる。はたして人として、同じことが言えるかというと、まだまだ精進しなければならない。ガーデニングで癒やしを得るという。むしろ、凛とした学びを得ることの方が、多いような気がする。花の覚悟は潔い。

   論語の顔淵編に、「朝(あした)に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」とある。孔子は西周の氏族制封建社会の時代を理想として、「君は君たるべく、臣は臣たるべく、父は父たるべく、子は子たるべし。」とそれぞれに為すべきことを為して成り立つ社会、その理想を道と称している。そのような社会が成り立っていることを朝に知ったら、夕べには満足して死ねると言うのだ。(別解釈もある)

   私には花や孔子の潔さはない。朝目覚めると、今日は何処へ行って誰と会うか、思い浮かべる。そして何と何をしてと、段取りを思い浮かべる。一気呵成に3、4箇所の合気道教室を廻って、帰るだけ。朝イメージしたことを、夕べに終わらせる。剣の一振りの作業と同じことを、一日単位で終わらせる。ただそれだけを勤めとしている。

   一日を一刀として、そこにしみじみとした楽しさもある。一刀即万刀という剣の理が、生活では何か、求めているところだ。もちろん万人が一日を一刀として成立つ社会が理想などとは、思っていない。個人的好みとして、私はそこに道があるように思っているだけだ。

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