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心頭滅却すれば、火もまた涼し そして 伝統の灯 [素心]

【東日本大震災】
「6メートルの津波が来ます」 最後まで放送の南三陸町職員の死を悼む

2011.5.3 00:02 (1/2ページ)

 津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた=3月26日、宮城県南三陸町

 「早く高台に避難してください」-。津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた後、行方不明になっていた女性の遺体が発見された。津波で甚大な被害を受けた宮城県南三陸町職員、遠藤未希さん(24)。命を救われた町民や避難住民は、最後まで職務を全うした未希さんの死を悼んだ。

 未希さんは3月11日、町内の防災対策庁舎で津波到達の直前まで防災無線で、「6メートルの津波が来ます。早く高台に避難してください」と呼び掛け、自らは津波にのみ込まれて行方不明となっていた。

 母親の美恵子さん(53)によると、未希さんとみられる遺体は4月23日、捜索隊が志津川湾で発見した。昨年7月に結婚した夫(24)がプレゼントしたミサンガが左足首に巻かれ、右肩にあざがあったことなどを夫が遺体の写真で確認。警察が2日、DNA鑑定で最終的に未希さんと断定した。

 美恵子さんは津波で被災した自宅を片づけながら、「元気な姿で家に帰ってくることはあきらめていました。せめて遺骨をきれいな自宅に迎えたいと思って…」と、涙をこらえながら話した。遺体は町内に安置され、家族が遺体を引き取って火葬する予定。

 未希さんは、昨年4月に危機管理課に配属。夫と石巻市内に住み、南三陸町役場まで通っていた。

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南三陸町庁舎.jpg

 津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた=3月26日、宮城県南三陸町

 町立名足保育園の主任保育士、後藤せい子さん(57)は「約20年前、未希さんが通っていた保育園に勤務していたが、目のクリクリッとしたかわいらしい女の子の印象。役場でも誰にでも明るく気さくに接する、いい娘さんでした。(9月に)結婚式を控えていたのに残念。最後まで自分の職務を全うしようとしたのでしょう」と目を潤ませた。

 未希さんの自宅近くに住む漁業、高橋照男さん(75)は「防災無線を聞いて、すぐ高台に逃げました。職務上の責任を感じ、最後までマイクを握っていたのでしょうが、残念。役場でも対応がやさしく、いい娘さんでした」と話していた。

 津波にのまれた3階建ての防災対策庁舎は現在、骨組みだけが残っている。庁舎に残った約30人の職員のうち、助かったのは10人だけだ。

 佐藤仁町長はほかの職員を気遣い、「今回の震災ではたくさんの町民が亡くなっており、個別的なことについてはコメントは差し控えたい」とした。(石崎慶一)

心頭滅却すれば、火もまた涼し

人はいざともなると、すさまじく偉大な働きをするものです。

武道の教えでも

「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」

とか

「切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 一歩踏み込め あとは極楽」

といったりします。

遠藤未希さんの想いは、どこへ飛んでゆくのでしょう。

もちろん残った人の心へ留めます。

人は「ひと」。「ひ」と「と」。

「ひ」とは、「火」であり「灯」。伝統の灯です。

「と」とは、「留めた」です。

想いを受け留めてこそ、我々は人として、生きて行きます。

 

遠藤 未希さんのご冥福を、お祈り申し上げます。


タグ:伝統
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