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平常心是道とは(びょうじょうしんこれどう) 自分が自分のままに、生きている。しかしその自分は、小我に在らず、大我でありたい。 [素心]
ある保護者様より、やや大きな手術を受けるとの相談を、一年前より受けていました。
「その日は稽古があるので、普段とおりに行かせます。宜しくお願いします」。
との話でした。今日の金曜日が、ちょうどその日。
お子様は普段通りに参加し、稽古に集中している様子でした。稽古を終えて御互いが正座した時、
私 :「今日、御母さんの手術でしたね。今日は病院へ行っていたの?」
少年:「いいえ、勉強をしていました。お父さんが行っています」
私 :「じゃ、明日、御見舞いに行くんだね?」
少年:「日曜日に行きます。土曜日は土曜日のやることがあるので」
そんな会話がありました。
帰り道に運転をしていると、不覚にも感情が込み上げてしまいました。親の子への想い・子の親への想いを察すると、泣けてしまうのです。
御母さんは、自分のことで子に心配を掛けるのは申し訳ない。またどんな時も、自分のやるべきことを自覚し、日々平凡な歩みを、大切にしてもらいたいと願っている。
息子さんは、大好きなお母さんお傍に、こんな時こそ一日中、付いていたい。勉強をしていても、稽古をしていても、去来するのは手術の結果やその後の様子。何も知らないまま今日を過ごす寂しさ。
平常心是道という。是は人間の情感を打ち消して、淡々と目の前のことに集中し、成し遂げる大切さを説いたものなのだろうか?
そんなはずはない。
情感は情感のままに、在るがままの真実の自分がそこに在る。その自分が自分の情感になりきって、自分のやるべきことに取り組むのではないだろうか。
自分が自分のままに、生きている。しかしその自分は、小我に在らず、大我でありたい。
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