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歌の力:愛国行進曲・もしもし亀よ なぜポーランドは親日国か? [正しい歴史認識:国防 自衛 護国]

 


愛国行進曲("AikokuKousinkyoku"-Patriotic march)



 

第95話「ドイツ兵とポーランド孤児から尊敬された日本」

 

シベリアは長い間、ロシアからの独立活動で捕らえられたポーランド人の流刑地だった。


1919年、ポーランドはロシアからようやく独立したが、の時にはすでに十数万人のポーランド人がシベリアにいたといわれる。


その人々は、飢えと病気の中で苦しい生活を送っていた。最も苦しんだのは孤児たちであることは、言うまでもない。



しかし、1920年にはポーランドとロシアとの間に再び戦争が始まり、孤児たちを鉄道で送り返すことは不可能となった。


ポーランドは欧米諸国に援助を求めたが、ことごとく拒否された。


ビエルキエヴィッチさんは、まだ国交も無い日本へと向かい援助を要請することにした。


ビエルキエヴィッチさんから話を聞いたわずか17日後、シベリア孤児の救済が決定された。

列強各国が尻込みした大事業を、日本赤十字と日本帝国陸軍が協力して成し遂げた。
765名のポーランドの子供たちは、日本で病気治療や休養をして帰国した。

 

(藤原正彦の管見妄語176 より引用開始)

もちろんこれはポーランドで話題となり、大国ロシアを倒した勇敢であり優しい日本人に、人々は深く感謝し感動した。

そのうえ帰国した孤児で身寄りのない者のために、日本はグダニスク郊外に孤児院を建てるのに尽力した。

第二次世界大戦で彼らが地下レジスタンス運動に参加したためナチスが孤児院の強制捜査に入った時は、日本大使館から書記官が駆けつけ、日本の保護下にあることを言明し子供達に日本の歌を聞かせるように指示した。

皆が「君が代」「愛国行進曲」を大合唱したところドイツ兵は呆気にとられ引き揚げたという。

(引用終わり)


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