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日本剣道形で、スポーツと武道、合気を考えます  [武道:剣柔一体(気剣体)]

「スポーツと武道」、入り口は

入り口は違うものです。しかし、奥に入れば「やり直し出来ない 」真剣さは、同じだと思います。

*スポーツとは

ラテン語のdeportarel  portは「港」の意味。deは英語のfromのような意味だそうです。deportを日本語にすれば、「港を出る」。転じて「日常を離れる」ほどの解釈が可能でしょうか。portareは「荷を担う」の意味。deportareは、「荷を担わない、働かない」ほどの意味だそうです。

これが古いフランス語でdesport。

そして今日、sport。

語源に忠実に言えば、「気晴らし」・「気分転換」が、スポーツの入り口であるといって良いと思います。

ですからその入り口は広く、「誰でも陽気に楽しく」。

 

*武道とは、矛と止の会意文字

「矛」とは、武器のシンボル、転じて危険な場所へ武器を持っている様子。

「止」とは、足・かかとの象形文字で、転じて踏み込むこと。武とは、危険な場所へ勇気を持って踏み込む行為を意味します。

それを人間形成の道として昇華したものが、「武道」・「武術」だと思います。

ですからその入り口は狭く、「その必要を自覚した人が、必死に耐えてやるもの」。

私たち楽心館では、入門の問合せがあると、説明文の中に次の文章を入れています。入門書にも同様の誓約を、明記しています。

*危険負担について
武道経験のあるなしに関わらず、入門によって危険負担の承認が発生します。
健康教室とは異なって、格技を掛けたり掛けられたりする場です。
毎年度ごとに年会費のをお納めいただくことで、スーポーツ安全保険(傷害保険・損害保険)ご加入に、お申し込みいただきます。
ただ軽くお体を動かしたい、そういう動機でしたら、何か他の軽い体操やスポーツをお選びになった方がよろしいいかと存じます。
あくまで武道を修錬する場であることを、ご承知おきください。
もちろんお子様や初心者は、それにあった軽い動作や姿勢から稽古に入ります。
知識経験のない初心者であっても、丁寧にご指導させていただきたく存じます。

 

*かつては日本でも、武術を踏まえた上での武道であったはずです。

以前、私が見聞した話です。ある稽古先は、隣が少年剣道でした。その剣道会は、竹刀競技をする前に、日本剣道形・切り返し稽古を、行っていました。青少年の稽古とはいえ、私は指導方針のしっかりしたことに、感心していました。指導者は、40歳代の男性、二人でした。

ある日のことです。70歳後半から80歳を過ぎたと思われる背の曲がった老人が、たまたま体育館を利用しました。そこで剣道をやっているのを見かけ、日本剣道形を行っているのを見て、懐かしかった様子です。戦前は帝国剣道形と呼ばれたものだ。「拝見させてください」と正座して見学を始めました。

仕太刀が小手打ち、打ち太刀が「摺り上げ小手」の形をしばらく見ていると、老人はスクッと立ち上がりました。

老人「私ら戦前は、こうして教わったんです。斬るんです。斬るのが技なんです!」。そして「ちょっと貸してください」と、木刀を取り、形を始めようとしました。

私は隣で合気道の指導をしていたのですが、老人はハキハキ通る声で仰せになるので、何かが起きる予感しまして、注視しました。

老人は「小手を切るんです!こう切るんです。私ら、こう教わったんです」。そう強調しながら、摺り上げ小手を、行いました。

その技は、二点で、四十台指導者の技と異なっていました。

一、 指導者の技は、仕掛けの小手打ちを楕円を描くように摺り上げ、小手を打ちにいくもの。

老人の技は、正眼から直線に仕掛けの小手打ちを摺り上げにいき、直線に小手を切りにいくので、剣先が三角に移動するもの。最小最短柔らかく、結果として最速の武術的動さ。

一、指導者の稽古の関心は、いかに摺り上げるかで終わっている。

老人の技は、摺り上げは一過程に過ぎず、切ることにいかに身を入れるかが技であると強調されていること。

老人は、術ある剣道です。若い指導者の技は、いかに切るかの大切さが薄かったのかなとさえ、感じられます。 老人の指摘に対して、返す言葉がないように指導者は黙るばかりでした。(指導者の立場に立ってみれば、それは分かっているけれども、現代の子供の指導には必要ない?ということかもしれません)

老人は剣道家でも何でもありません。少年時代、剣道に親しんだ。だけどその時代は、術をして剣を学んだのです。競技として剣道をしている指導者と、こうした差が生ずるとも考えられます。

たとえ剣道でも、競技に留まっていれば、スポーツでありゲーム、とい批判も出かねません。

やがて老人は「良い勉強させていただきました。ありがとうございました」と、礼を言って去りました。

 

*合気と剣は

もちろん大半の剣道家は、斬る刀法・身法・心法を一致させるべく、精進なさっている。私達もこれを機会に、「合気は剣の理合」と語りながら、剣知らずに陥っていないか、猛省したい。

武田惣角先生は一刀流をやっていたから、一刀流をやれば良いのではない。植芝盛平先生は諸流学んだ中で真陰流をやったことがあるから、真陰流をやればよいというでもない。

身を入れて合気になる接触感覚がなければ、何をやっても駄目だ。それがあれば、何流をやっていても有益です。

 

 演武中、心気入って小太刀へし折れるが、落ち着いた対応も立派


タグ:日本剣道形
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