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春の光 [素心]

光が注ぎ来る。
東京武道館第一武道場。

本来はここに神棚があるべきである。憲法の政教分離の解釈により、公共施設で神道行事・神棚を置くことについて、さまざまな判例が出されている事情がある。
場所によってはここに、国旗日の丸を掲示している場合も多い。しかし国旗の掲示さえも国家主義的であるという思想の人々・マスコミもあり、ここ1980年代末に建設された東京武道館には国旗さえもない。
外交・経済的関係のみならず、このような施設の事情においても、わが国の戦後は終わっていないことを思い知るのである。
国家主義万能の復活はあってはならないが、米国史観・中国史観を、余りにも過大にわが国の文化教育活動の中に影響させることは必要ないと、私は個人的に思っている。

勿論、稽古が始まろうとするこの写真の一瞬に、そんなことは考えていない。

かつてこんな質問を受けたことがある。子供ではなく、一人前の大人が真摯な態度で聞いてくださった。
「なぜ道場の出入りで礼をしたり、稽古の始めと終わりに正面に礼をするのですか?」というものであった。
私も勿論、真摯に答えた。

本来はここ正面に神棚があってしかるべきものです。神棚といっても宗教行事として固定した考え方をする必要はありません。神棚には灯明(光)と塩と水。これは地球上のすべての生命にとって必要不可欠なものです。ですから地球上の生命尊重主義くらいに、考えましょう。
そして三種の神器、古代において、鏡、玉、剣の三種の組み合わせは天皇家だけに特有のものではなく、一般に支配者の象徴であったと考えられ、「国を平和に統治する」意味に考えましょう。
勿論ご自身に信仰があれば、自分の信じるものを思い浮かべればよいし、頭(こうべ)を垂れる礼を拒否したければ、それも自由です。しかし自分の信じる信仰以外を否定する宗教的理性で、数限りない殺戮が繰り返されたことは反省するべきだと思います。
国家神道と神道的習俗とは区別して考えて、後者に対して三権は寛容であるほうが自然です。

これから道場の照明が点灯されようとしている。
そしていつも一番に来るN君はいつもの挨拶、「こんちくわ!」と入ってくる。(コンニチハとチクワの造語)
ここでの稽古も17年間続けさせていただいている。こうした子供一人一人、その背景にあるご家族、一般クラスに参加される皆様。このいただいた縁に、まずもって私は頭を垂れるとともに、生命の尊重と国の平和な統治を願うのである。

この日の朝、Hさんから電話が来た。
「また今日から、お願いいたします」と言う。彼は一年以上、会の活動から距離をおいていたのだった。
私の合気道の単純さゆえの難解さに、意欲を失っていたのだと思われる。

Hさんは私を見ると、律儀に頭を垂れる礼をしてくださった。
私は「やっー、少しもお変わりありませんね!」と、お迎えさせていただいた。

私の心に春の光がさした一瞬でもあった。


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コメント 2

でこママ

この武道館を設計されたのは、とても有名な建築家との事。
その方も、先生と同じ感覚をお持ちなのでしょうか?
一枚目の写真を見ると「三種の神器」を、容易に想像できますもの。
by でこママ (2008-02-18 12:32) 

楽心館と楽氣の代表

やあー、ママさん

作ったのはこの人http://www.geidai.ac.jp/staff/fa059j.html
ですよ。

私は昨日から風邪気味。
by 楽心館と楽氣の代表 (2008-02-19 00:09) 

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