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カメラつき携帯電話の写真集を作りました [花守として]

承久の乱により、隠岐へ配流になった後鳥羽天皇は、隠岐の島の崎港に御到着されました。この時、荒れ狂う海に向かってお詠みになったと伝えられる有名な御製が

「われこそは 新島守よ 隠岐の海の 荒き波風 こころして吹け」です。

怨念の歌とも、悔悟の念の歌とも、隠岐の主としての風格の歌とも。言われます。承久3(1221)年、後鳥羽上皇の船は出雲国大浜湊(現在の美保関)を順風で御出発し、隠岐国海士郡苅田の郷に向かいましたが、隠岐の島近くになると波風が荒くなり、おおしけ(大時化)となりました。その時化も次第におさまり、船をすすめていくと、一点の灯りが見え、その灯りをたよりにたどり着いた場所が崎だと言われています。一家離散それぞれに流刑。眼前の隠岐は、断崖絶壁に囲まれている。その自分を、「今到着する新しき島守」としていて、心境を図り知ることは出来ません。天皇から一島守への切り替えかもしれません。

「荒き波風 こころして吹け」とは、何のことでしょう。後鳥羽天皇は家族を失い、地位・名誉を失い。全てを失ったようでいて、誰にも奪うことの出来ないものを、持っていました。それは歌人としての芸能と誇りだと思います。人間は素に成った時、何も残らないのが普通の人です。「ところが自分は違うぞ、荒き波風 こころして吹け」と、そんな意味ではないかと、私は芸能を学ぶものとして感じました。いや、そう言える様な身にもなりたいものです。

守は守でも、私はただの花守です。武道をやっているという自分とは、別人の花守でありたいと思います。しかし「事を錬るは、事を省くの、簡なるに如かず」。無駄を省くことの大切さは、共通の基盤になってしまいますね。

写真集(ここをクリックすると、OCNフォトフレンドの一楽斎の写心館へ入れます):http://photofriend.jp/photo/list/54609/

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