経験や専門知識が、固定観念になると、新しいチャレンジや許容する余裕がない。航海の長い船は、貝殻が船底に付き、速度が遅くなる。船の貝殻はドックで落とせるが、心の固定観念はどうだろう?剣術で例えると? [武道:剣柔一体(気剣体)]
生活の中で、自分が固定観念を持ってる、そのことさえ気付かずにいることは多い。そしてそれは稽古の中にこそ、多い。
それゆへ、
事を錬るは 事を省くの 簡なるに如かず
という。
固定観念を省くことこそ、無駄を捨てることこそ、錬る稽古の本質であるという。剣術でも柔術でもいえますが、剣術を例に考えましょう。
例えば「Sさん、大上段正面打ち、くださーい!」と、打ってこさせる。
そこでSさん、本人は「之が正面打ち」と、打ってくる。
ところがそれは、私にとって正面打ちではない。
なぜならSさんの視覚・身体感覚に、「ズレ」この場でいう固定観念のようなものがあって、微妙に外れているのです。それがやや右の場合もあれば、左の場合もある。
Sさんの思っている自身の中心・相手の中心・お互いを結ぶ中心線は、本来の場所と別の場所にある。
そのことに気づかない限り、何回やってもいつまでも、間違う。
こうした誤差は、もちろん柔術でも修正できる。しかしなんといっても剣術が、微妙かつ精緻に、正すことができる。
それゆえに
柔剣一体とは言わずに、剣柔一体と言うのであろう。
中心を取れる
お互いを結ぶ中心線を、直線に等速で、
一致・一拍子で
それで別世界、呼吸の世界へ入る。もったいないことだ。
もっと深い意味がありますが、今日は簡単な例に、止めておきます。
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