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師の恩 長尾全祐先生 [古武道:無限神刀流居合術・会津小野派一刀流剣術]

 ツバメといえば、思い出すことがある。ある真剣術(注1)の技について。

 結果からいえば、それは一般に言う「燕返し」。やればやるほど、是はもしかして「燕返し」ではないか?そう確信を持ってから、私は師に問いかけた。

 「是は燕返しではありませんか?」と私。

 「そうか?そうだな」と長尾先生。実はこうしたことは、他にいくつもある。

 最初にこの技を見せていただいてから、数年経っている。技の名称はまったく別のもので、説明もない。ただやって見せてくださるだけ。こちらが気づいてそのレベルになるまで、話はない。「だったら最初から、言ってくださればいいのに」と、そう思ったら道理が分かっていないことになる。
 仮に技の稽古を、知識と理屈から入ったとする。すると相当早い段階で「分かった気になる」へ陥る。その結果、工夫する手間と汗を惜しみ、技を再発見する感動を失う。ひとたび感動を経験すると、発見した技に思い入れが深まりさらに精進する。
 師からすれば、「こいつは信用のおける人間か?」、篩(ふる)いにかける必要もあっただろう。山本角義先生の代では、入門して3年は柔術体術(注2)、合氣の手(注3)は教えなかったという。

 漢方に絶食という治療法がある。奪うことで生命・治癒力を呼び覚ますというもの。近年、熱が出たときは、解熱させるより熱を出させきったほうがよい場合があることが、強調されてもいる。
 何がよい教え方か学び方か。ケース・バイ・ケースであろう。一方、昔ながらのやり方や子弟の関係を、「古いやり方だとか、人権尊重に反するように片付けること」は、「文化を理解しない人・稽古の楽しさを知らない人」の言い分ではないかと思う。生身の人間とのやり取りで醸成し、深める。この大切さ。天地の恩があって、師の恩は、親の恩と並び時に勝ることもある。(親から学んだとは異なる経験や見方を学ぶことがある、ほどの意味)
 もちろんこれをもって、不合理な行いを正当化することがあってはならないと思う。会社でこんなことを実践したら、「お前、何様!人の育て方を知らない」となるであろう。今の時代、普遍性がないことは確かだ。

注1:山本角義は惣角先生から受け継いだ居合・剣術・斬法を、当初、「大東流真剣術」と称した。後に時宗・佐川先生の来訪、「印と羽織紐などを返し、支部になれ」と告げられた。山本角義は、「冗談じゃない!明日の朝稽古があるから、俺の技を見てから帰れ!」と答えた。
 この件以降、「大東流真剣術」を改め、「無限神刀流居合術」と称することとした。

注2:この場合、担ぎ技・関節技などの合氣柔術のこと。

注3:注1のところで、「俺の技を見てから帰れ!」の部分。翌朝、時宗・佐川先生は稽古を見に来た。ここで見せたのが、合氣の手・力抜きの技・崩しの術。二人は何もいわず黙って帰ったという。今となっては伝聞に過ぎない話。今日、時宗先生の側では、印や羽織紐は「盗まれた」と発言されている。私は真偽を判断する立場ではない。経緯だけを記述させていただいた。誤解のない様にお願いしたい。
 佐川先生が山本先生をどう見ていたかは、吉丸氏の著述に散見される。

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