SSブログ

玄関 6 せい花 [世阿弥]

 写真はスズラン、家の北側に毎年5月に咲く。それを生けたもの。

 商業写真家なら、こんな写真は撮らないと思う。なぜなら下から二つの花が、すでにしおれ始めている。
 つい昨日生けた時には、みんな清々しく咲いていたのに。今日の姿は、痛ましくはかない。これでは、カレンダーのような商品にならない。

 ところが世阿弥が見たならば、これこそ最高の境地、「せい花」ではないかと思う。せい花とは誠花。かつて、もし私達夫婦が女の子を授かったなら、「せいか」と命名したいと思っていた。
 この主旨は、今が盛りの稟として咲く花の美しさのことではない。

 「散る故によりて、咲く頃あれば、珍しきなり」。とは世阿弥の言葉。しおれもする。散りもする。それ故に咲く頃あれば、花は珍しきなり。散るも咲くも不二、一如。と言っているのだ。

 さらに世阿弥は言う。
「善悪不二、邪正一如」

 無常こそ常住、世は無常であることのみが、不変の真理。一場面のみを指して、人は正義だ、悪だと争いがち。無常にして全体の流れがどこへ向かうのか、それが大切。
 芸を極め、栄華と奈落を体験した世阿弥こその言葉だと思う。

 今日、イスラム教徒とキリスト教ユダヤ教徒の殺し合いが、益々エスカレートしている。自身が権謀術数の渦中にあった世阿弥が見たなら、どう思うだろう。「どちらにも正義はない。東洋的無常観からみれば、これはやりすぎだ」といいたいところだろう。が、それはできない。
 なぜならタイ国南部で、仏教徒とイスラム教徒の殺し合いが、激しくなっている。もっと拡散するのではないかと危惧する。イスラム過激派の自爆テロの起こりは、テルアビブ空港連合赤軍の銃乱射と自爆。日本人がもたらした災いでもある。

 全ての宗教と民族の起源は、不二一如一致と説いても届くまい。
 
 宗教に関係なく人は生きているかぎり、飯を食わねばならない。仏教徒も家族を殺害されれば、銃を持つ。貧困をどうにかしないことには。
 豊さと自治と民主主義の三位一体を、与えることが必要だと思う。一国経済に軍需産業の占める割合が高すぎるアメリカとロシア中国に対し、善悪不二邪正一如と言うつもりもない。世界のどこかで定期的に戦争があることで、景気拡大する仕組みになっている。個々の国民を責められないが、経済全体の流れが不健全。
 経世済民の意味を経済として、和製漢字を作った我が国の思想は健全。この理想的あり方を、忘れてはならないと思う。

 書生的な正論、行司ぶった態度をとることは容易でもある。風姿花伝や五輪の書は、すばらしい伝書。されど伝書。現実の世阿弥や宮本武蔵は、リアルな権謀術数に生きたはず。現状、中国・北朝鮮・ロシアが我が国へ核ミサイルを向けている。日米安全保障条約を基本に、我が国の外交力を高めていくのが基本と思われる。そのための法体系、産業構造をどうすべきか?国民のリアルな選択が待たれている。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

筆まめな花守 [家族]

 一楽斎の庭、5月を表示しました。花の好きな方は、ご覧ください。http://aiki.jp/ishikawa/saijiki-ichiran.htm
PHS付属デジタルカメラを使うようにしてから、作業が簡単になりました。写真の質は、少し落ちたかもしれません。

 楽心館ホームページhttp://aiki.jp/も、新しい記事を加えて作り直しています。来月には表示できると思います。


タグ:花守
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

玄関 6 折り鶴 [武道:東京都国立市谷保合気道国立市民体育館]

 玄関に、小さな白鳥のオルゴールがある。その上に、さらに小さな折り鶴がある。今日はこの話です。

  ある道場では、隣接して師範室がある。私はここで更衣をする。稽古が終わってシャツを手に取った時、何かが飛んだ。畳の上を探すと、この折り鶴を見つけた。
  私の着替えの上に、誰かがそっと置いたであろうことが想像された。私は壊れないように封筒に入れて、持ち帰った。そして玄関に飾らせていただいた。いったい誰が何を意図して、贈ってくださったのだろう。

  誰が。子供か大人か。男性か女性か。稽古中か席を外した時、そっと侵入して置いたのだろう。いたずら心もあって、ドキドキしただろうな?きっと、笑みを浮かべていたことだろう。それとも緊張しただろうか。

  何を意図して。私が折り鶴を見つけないように、この小ささにしたのだろう。両翼幅が約3.5 cm。これは何cm四方の紙で、作るのかな。丁寧な作業でないと、とても作れない。

  私は、小ささゆえに伝わる世界があることを認めたい。鈴木大拙は禅思想の普及者。ある大学で講演を依頼された時のこと。大講堂で大聴衆を前に、教える者と学ぶ者との比率が一対一を超えれば越えるほど質が低下する、と話し出した。ここは日本有数のマンモス大学であった。その場の聴衆の一人であった大学教授から、聞いた話。

  私は31才の手前で道場を始めた時、次のような考え方をした。何かを伝えるためなら、小さければ小さいほどよい。ビジネスなら、大きければ大きいほどよい。
 今思えば、二者択一的二元対立に陥っていた。しかし、今言ってももう遅い。当時、小さければ小さいほどよい、そう決めてしまったのだ。一対一は無理としても、一対六なら成り立つかな?結果、最初の5年間、自転車操業、火の車となった。

  写真は国立子供クラスの稽古風景、有段者一人に会員6人までと決めている。20年間この閑散とした状態だ。楽心館はどこも、これからも、ずっとこんな感じ。

  さて、世にも不思議な逆説があることを、ご存知ですか。「大は小を兼ねず、小は大を兼ねる」というものだ。昨日の日本経済新聞の記事にあった。概略、本田技研工業はオートバイクから始まって、軽自動車、普通乗用車、ビジネスジェット飛行機へと業容を変えた。ところがトヨタ自動車は軽自動車を作れない。ロッキードなど飛行機メーカーが乗用車を作れない。そんなことだった。

 ということは、小から始まった楽心館は、大を兼ねるだろうか。まっ、主宰者がそんなことに関心がないので、どうでもよいこと。しかしこの折鶴の作者、仮にKさんとしよう。貴方はこんなに小さい折鶴を正確に作れるのです。発展的に何か大きなことが出来る?かもしれませんよ。

  まっ、いいかっ!貴方は私の健康を祈って、贈ってくださったのでしょう?本当にありがとう。玄関を通るたびに癒されていますよ。そして貴方もどうぞ、お気持ちお健やかにお過ごしください。 

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(1)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

山笑う季節 [千葉県千葉市合気道本部道場hombudojo]

 写真は本部台所の湯呑茶碗。
休憩時間の時に、皆さんの喉を潤すために働いている。何年も使っていると、不思議と愛しい存在になるものだ。黙って多くの人々の様子を、見てきたことになる。私の苦楽も知っている。

 今の季節、受験や留学で遠ざかっていた方々が、帰って来てくれた。それぞれに人間的に成長した姿となって。迎えるこちらとしては、そんな姿を拝見すると二重に嬉しい。

 そしてその逆もある。別れといえば昔より、この人の世の常なるを。送るこちらとしては、言葉にならない。悲しむなかれわが友よ、旅の衣をととのえよ。

 山笑う 歳月人を 隔てけり   鈴木真砂女
 

追伸(5月25日)
 私は俳句の詠み方も、鈴木真砂女についても、詳細を知らない。鈴木真砂女については、恋に生きた人と言われている。最初のご主人が失踪。義兄と再婚して、外房の老舗旅館を経営。50歳で別離。不倫。資料を探すとそのようなことが出てくる。今回引用した句について、感じたところを書いてみたい。

 90才で、銀座で経営した小料理店「卯波」を閉じたという。それ以前を含めて、毎年春は、多くの人々との出会いと別離を積み重ねたことだろう。その人々に対して、様々な感情や思い入れがあった。しかし過ぎた歳月の長さが、そんな思いをまっ白くさらすとともに、遠いところへ流し去ってしまったように感じる。

 その春に、わざとらしく「山笑う」という季語をあてることで、別離の寂寥感を、まろやかに包み隠しているようだ。
 
 この季語の選択に、達観した作者の心境を感じる。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

玄関 5 本部道場 [武道:剣柔一体(気剣体)]

 写真は本部道場の事務所入り口。つくばいを置いて、和風にしてあります。

 実は5年ほど前に、自分で作りました。この玄関に立つと、当時の作っていた自分、今見ている自分。この対比に感慨深いです。
 石が紫外線に焼け、雨にさらされ、風合いが生じています。時の経過を越えて、私も稽古の在り方も、年齢なりに風合いが出来て?どうかな。

 あの頃、私は形ばかりの稽古をしていることに、行き詰まっていました。というか、出来ない自分に耐えられなくなっていた。
呼吸?
合気下げ?
△○□?
剣柔一体?
名前ばかりの氣と丹田?
和合、繋がる?
身体を使えていない自分が、そこにありました。

 そんな時期のこと、出水先生(免状作成http://blog.so-net.ne.jp/ichirakusai/archive/c10913)との会話に、ヒントを得たのです。出水先生が昔、墨絵を大平華泉先生に習っていた時のこと。意臨形臨背臨。そう学んだというのです。(意心形心のP48)
 背によって意と形が繋がるということ。簡単にいうと、形の表にのみならず、形の裏をしっかり描いてはじめて、意を表現出来る、そんなことだと理解しています。

 剣柔一体、剣と柔を繋ぐものは何か?合氣とは小野派一刀流剣術の理合いのこと。その合氣による体術が、合気道なり合気柔術であるという。
 これらを繋ぐ形の裏を描こうと、取り組み始めたのが40才の頃です。(身体では内側、氣と丹田の錬りのこと)

 まず自分の身体を整える前に、生活の場を調える。そう思って東側には煉瓦を敷いて、入口にはこの写真の空間を作ったのでした。
 学んで己の無学を知る。いつまでも、新しい課題が尽きません。でもそろそろ、このスペースを片付けるかな?自転車を置くスペースも増えるしねえ。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

一般クラス [武道:東京都八王子市合気道日曜日午後クラス]

この場所で稽古をさせていただいて、今年で20年過ぎました。

なんと申し上げて、よいのやら。ただただ「精進します」の言葉しか、出せません。
できるだけ休まないように、努力いたしますので。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

玄関 4 子供の日 [千葉県千葉市合気道本部道場hombudojo]

 5月5日、千葉本部の稽古は休みの予定だった。ところが「やっぱりやろう!」と思い立った。何故かというと、子供の日は合気道楽心館の創立記念日となっていた、そのことが大きい。記録上は平成5年5月5日に、創立したことにしている。現実はもう数年前から、この名前で稽古していたが、どうしても子供の日に志を立てたかった。理由は説明するまでもないこと。
 休んでいる気がしないので、皆さんに「稽古することになりましたから、来られたらどうぞ」と声をかけた。すると、朝稽古・夜稽古、ほとんどの方が参加してくださった。
 理由を知らない皆さんが、淡々と集まり、淡々と稽古する。自分一人このことの有難さを、噛み締めた。楽しかったことから辛かったことの引き算をして、何が残るのか。無事是名馬といえるように、歩みたいものだ。
 実はもう一つ多きな理由がある。中級者向けテキスト「真理平凡」を書き終えた。日付を平成19年5月5日とした。


 玄関では、息子の手作りの鯉が4匹泳いでいる。いったいどこへ行くのやら?玄関を出て、ずっと遠くへ行ってもいいのだよ。広い世界を見て、大きく育て。
 世界の子供たちに充分な食料・必要な物・愛情・才能を伸ばす機会が、あまねく与えられるよう祈ります。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

掛川・袋井 [家族]

5月3日、父の代理で、静岡県掛川市・袋井市を訪問しました。

「五月雨の 空吹き落とせ 大井川」      松尾芭蕉に詠まれたそうですが、

「行った日は 句に反して 五月晴れ」
「五月晴れ 空吹き上げろ 大井川」      と、私が返句。初夏を思わせる暑さでした。最初の仕事を終えた後、掛川城に行きました。写真で紹介します。

城内に咲いていた花
天守閣から御殿(藩主の執務所)を俯瞰する城内の木組み、青森ヒバで再建された

その後、東海道線で二駅先の袋井市、母の実家を訪問。従兄弟が製茶工場で機械の見張りをしていました。茶の香りが皆さんに届きますように。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

特急サンダーバード50号 [素心]

 サンダーバードとは、国際救助隊が勇壮な音楽にのって大活躍する、ヒーローの舞台でした。しかし最近、心の耳を塞いでいる人、心の目も閉じている人々の舞台になってしまったようだ。

 右側から、ドンダカドンダカ!スットンスットン!(デジタル音楽器機から洩れる音)
 左側から、ピラリラピラリラ!タリラリ~ラーン!
 正面を見れば、珍妙なファッションでだらりとした姿勢、携帯ゲームに熱中だ。
 これは毎日、外に出れば経験すること。これをもって、今の人達はまったくなっていない、などと言っているのではない。自分のスタイルをもっている、そしてそれが公徳心を多少なりとも意識していればいいこと。でもね、どうだか?

 20年以上も前。ソニーの初代ウォークマンが出回った頃のこと。NHKのニュース解説で、どなたかが論評していた。電車の中でこれを使っている人を見ての感想。これからいよいよ我が国は、本格的個人主義の時代に入るのではなかろうか?そんな話でした。
 ならばそれで、何も問題はなかったのだが。違う方向に進み、危惧すべき事件が起きてしまった。

 報道によると、JR西日本の北陸本線、特急サンダーバード50号の中で女性がレイプされる事件が起きた。被害者は助けを求め、泣きも叫びもしただろう。そこに居合わせた約40人の人々が、聞こえない見えない振りをしてしまった。中には携帯デジタル音楽器機で、耳を塞いだ人もあったかもしれない。

 現状が個人主義ならばそれで、何の問題はない。これは一つの社会との関わり方のスタイル。社会的義務や公徳心を、忌避する意味ではない。
 ところがどうだろう、心の耳を塞いだ人、心の目を閉じた人が多いこと。単なる利己主義か引きこもりではないか?わがままの上に開き直っている。世にあれば権力闘争や裏返しなど、いろんなつらいことがある。そんな泥だらけの社会に入っていきたくない。また社会に不合理や悪を見ても、何も抵抗する気がない。自ら泥をかぶることの大切さ、学ぶ機会が失われているのだろう。
 何もデジタル音楽器機が、悪いのではない。実は私、父の代理で二つの用事があって、静岡へ走る新幹線の中でこの原稿を書いている(5月3日)。もし同じ場面に遭遇したら、どうだろう?

 平時は世間に媚びずに生き、淡々と文武両道に励む。社会変動と危難の時、武勇を発揮する。これが武士道でなかろうか。
 それを儒教では君子、西欧では騎士というのではないか。自分は何たるべきか、注意したい。
 一刀流極意歌に、

 斬り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 身を捨て行けば あとは極楽

 これは技であり、生き方。我が一点の素心としたいと、あらためて思う。

掛川駅の外に咲いていました。

合気道楽心館:http://aiki.jp/
動画ブログ:http://blog.goo.ne.jp/ichirakusai3?
問合せメール:ichirakusai3@mail.goo.ne.jp


nice!(0)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。