TPPと医療を考える場合、問題なのは米国の要求というよりも、すでに日本の財界が規制緩和や効率的な医療制度の名のもとに、株式会社の医療参入などを求めていることである。TPP参加はまさに医療分野を「営利」追求のフィールドにしようという流れを加速させるものだろう。 しかし、医療とは何か? 営利だけを追求するなら、人口過疎の農村部で医療が成立しないことになる。TPP問題は社会が人々の健康をどう支え...
道とは [素心]
- aikijp「人は人 我は我なり 我が行く道を 我は行くなり」と申します。結局、我・自分がどうなのか?ということで、ございましょう?自分がなければ、道も何も、あったものではないです。@sherlo_bot 一緒に解き明かしましょう!!03/16 23:56
- aikijp「無事これ名馬」ということの意味深さ。高い才能を発揮する以前に、「無事」であることの難しさです。それは、人間としての基本作法と心のありようです。
目標はまだ長い道なので、それは「未知」でもあり、「充ち」でもあり。そこまで行ってみなければ、分からないってことです。03/16 13:58
道とは
昔の中国では、 「天命これ性といい、性に従う、これ道という」と。
人それぞれに、天に与えられた本性・特性がある。男であれば男性、女であれば女性。
それに従って、為すべき事を為せと。
日本では、「ひ(霊)、と(留まる)」と。
「ひ」とは、火・日・霊のこと。「と」とは、留まる・止まる。
天から「ひ」が降りてきて、肉体に「と」まって、「ひと(人)」となる。男であれば「ひこ」(彦)、女であれば「ひめ」(姫)となる。与えられた「ひ」にに従って、為すべきことを為せと。
楽心館では、「氣と丹田」と。
天地人に氣が通って、それが貫いて、柔らかく受け留める場所が丹田。
あるがままに
天地人 半身の一致 真っ直ぐに 入り身転換 体の変更。
龍:This year is dragon.Please feel rising power. [素心]
Akemashite omedetou gozaimasu! Happy New Year!
The Chinese sexagenary cycle (Chinese: 六十花甲; pinyin: liùshí huājiǎ), also known as the Stems-and-Branches (Chinese: 干支; pinyin: gānzhī), is a cycle of sixty terms used for recording days or years. by MediaWiki
This year is dragon.
Wonderful calligraphy writer is Nobuo Hayashi 林 信夫(林 玄妙)
習う 学びのプロセス 克己とは [素心]
ならいとは
一よりはじめて
十を知り
十より戻りて
もとのその一
どういうことだろう?もとのその一とは。
初歩の一手、基本があるとする。
その基本の変化で、様々の技法が生まれることを習う。
そして技法と身体使いの無駄をそぎ落として、元の一手に戻る。
だから「もとのその一」とは、別次元・別の場所なのであって、「もとのその位置」ではない、らしい。
だから
うたた登れば、うたた高し
見える景色も感慨も、違うものなのだろう。
しかし大切なのは、ここ。
相手に合わせて、何処へでも降りられる、ということ。
その自由さがなければ、なんぼのことか。
難しい話は横に置いておいて、最近発見した話です。
成田女性クラスに、60歳近いご婦人が、参加されています。この方がある日、しきりに、
「うれしい。これが出来たから、うれしいの!」
と、繰り返し仰せになりました。
それはなんだと、思いますか?
木刀を帯刀姿勢で礼をする。
剣を正眼に構える。
納刀動作で剣を帯刀する、礼をする。一連の礼法動作。
そのことです。
礼義がどうのこうのという、高尚な話ではありません。ただその木刀を扱う動作さえ分からなかった。それがやっと自分の自由に、動けるようになった。それが嬉しいと言うのです。
もう40歳代の私だったら、このような場面を顧みなかったかもしれない。稽古は技量を高める場であり、御稽古人様にもそれを求め、専心していた。
でもね
孔子の「吾、15にして学に志し、30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(耳にしたがう)、70にして心の欲するところに従って矩(のり)をこえず」
技芸の学びのプロセス、命の学びプロセス両輪で流れてゆく。
それは理想。
哀しいかな、技芸の学びより、命の時の方が早く転げて行く。 50を過ぎれば先が見え、折れることも降りることも、自由になるから不思議だ。
どんなことでも良い。
出来なかったことが、出来るようになる。
これこそ克己。
才能の伸長、自己の再発見、感動があります。
Daito Ryu Photo Today: 武道の師弟とは [素心]
袖触り合うも、他生の縁。(そでふりあうもたしょうのえん)
仏教説話の一つとして知られたもので、「道で見知らぬ人と袖がちょっと触れ合うようなささいなできごとでも、それは単なる偶然ではなくてすべて前世からの因縁によるもの。だから、どんなささやかな出会いもたいせつにせよということ」。
この因縁が、肝心である。
釈迦の教説の根本を一言でいうと「因縁」となる。
- これありてこれあり
- これ生じるがゆえにこれ生じ
- これなければこれなく
- これ滅すればこれ滅す
という存在理論だそうだ。(ウイキペディアより)
「これありて」とは何か?
我々にしてみれば、「自分を精一杯高め、悔いなく生きよう!」、志という因がある。
「これあり」とは何か?
そして武道を選ぶ、それによって共に学ぶ人が収斂するという縁がある。
私の存在、学させていただく人の存在、お伝えさせていただく人の存在。
そして忘れてはならない心は何か?
仁義礼智真とも、何とも言おうが
「学させていただく」、「お伝えさせていただく」の感謝と礼。二つの心を、忘れてはならない。
武道の子弟の因縁とは、そんなことだと思います。
教える側の感謝と礼
私は
稽古場へ一番最初へ赴く。
自ら先に挨拶をする。
何処であっても、それを毎日繰り返して幾十年。
お稽古人様を、お客様扱いするというのではない。指導者といえども、礼と感謝は、なければならない。
これを古来、
師とならば 弟子を立てるを 旨とせよ
己が強さを 示すべからず
師匠であれば、技術で卓越しているのは当然の事。かといってお稽古人様は、その技術のみに、付いてくるのでもない。
「弟子を立てる」とは、仁徳なり、感謝と礼ではないだろうか。
学ぶ側の感謝と礼
写真は、今年の長尾一刀斎全祐先生のご指導。
「おっ!(合気上げが)かかってる。たいしたもんだ!」と、声をかけながら。
「ありがたい」と、素直に喜ぶも大切。
「いやまだまだ」と、それを真に受けてならないも大切。
励ましながらも、さらに精進しろよと、戒められてるのが事実だ。
分際に見合った精進を、なさねばならない。それが世阿弥の仰せになった「時々の初心」ではないかと思う。
以上、言われたらお終いの、当り前の話でした。
ガンバレー!浅田真央さんを日本中が応援してます。【全日本フィギュア】浅田が優勝、「今回も一番近くにいるような気がした。何も報告しなくても、分かってくれている」 [素心]
- aikijp母の亡骸に「真央だよ!」 悲しみ越えて全日本出場へ 2011.12.13 12:07 http://t.co/k2SW1ZST 日の丸を背負って、舞台に立つ方のご苦労を、お察し申し上げます。慎んでお母様のご冥福を、お祈り申し上げます。12/13 12:46
浅田真央 最愛の母が遺した“別れの言葉”
女性自身 12月13日(火)0時29分配信
「母・匡子さんは、亡くなる直前に病床から2人の娘たちへ『あなたたち姉妹には2人で生きていけるレールは敷きました。もう私はいつ亡くなっても大丈夫』と話していたそうです」(スケート関係者)
12月9日、浅田真央(21)の最愛の母・匡子さん(享年48)が肝硬変のため急逝した。グランプリ・ファイナルのためカナダ入りしていた浅田は、母が危篤だという知らせを受け、急遽帰国。母の最期を覚悟していたのだろうか、動揺する様子は微塵もなかったという。そこには、最愛の母が遺した“別れの言葉”があった――。
幼いころからスパルタ式で浅田を特訓してきた匡子さん。彼女にとって、娘がフィギュアで活躍することが一番の喜びだった。そんななか、浅田が小学生のころ、匡子さんの入院と大会のスケジュールが重なったことがあったという。浅田家の知人はこう振り返る。
「『大会を休んで一緒に病院に行く!』と訴えた真央ちゃんに、匡子さんはものすごい形相で『病院には来ちゃダメ!ママがいちばん嬉しいことは、真央が大会で優勝することなの!』と怒ったそうです」
今シーズン、母親の闘病という他言できない葛藤と心労に負けず奮起した浅田。“病気のママに笑顔を取り戻してほしい”と必死に掴み取ったグランプリ・ファイナル出場だったのだ。
「突然のお母さんとのお別れに、真央ちゃんもショックだと思います。でも、『ソチ五輪で金メダルを取るまで泣いちゃダメ』という匡子さんの言葉をそっと胸にしまっているんでしょうね」(浅田家の知人)浅田、母への思い語らず、「いつも通り」の演技を 全日本選手権
2011.12.22 21:30 [浅田真央]「今できる精いっぱいの演技をしたい」。マイクを手に、姿勢良く立った浅田の表情は笑顔だった。母親の匡子さんの死去から初めて公に姿を見せた記者会見。鈴木明ら注目選手の取材終了後、特別に設けられた異例の会見場で、21歳は悲壮感を見せずに気丈ふるまった。
12日に執り行われた匡子さんの葬儀後、佐藤信夫コーチに電話をかけた。 「心の準備ができてから頑張りたい。全日本に向けて頑張ります」。翌13日にはリンクに戻って練習を再開した。
グランプリ(GP)ファイナル出場のため渡航したカナダ・ケベックで聞いた母の容体急変。欠場を決めて帰国した成田空港で父、敏治さんからのメールで訃報を知った。母が永眠する地元の名古屋に戻るまで、佐藤コーチは「ずっと涙が出ていたように思う」と振り返る。
全日本選手権までに残された時間的な余裕はなかった。それでも、浅田は「欠場しようとは思っていなかった」と出場への意欲を失わなかった。匡子さんの死去後に「自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやることが、お母さんの喜んでくれることだと思う」と出したコメントから、母への思いが背中を押したと想像できる。
前日練習を終えて「日に日に良くなっている」と状態の良さも強調した浅田。母への思いを語ることなく強調したのは「いつも通り」。一番大切に考えているという言葉通りの演技を、天国の母に届ける。(田中充)
【全日本フィギュア】浅田が優勝、村上は3位2011.12.25 19:49 [フィギュアスケート]フィギュアスケートの全日本選手権最終日は25日、大阪なみはやドームで世界選手権(来年3月・ニース=フランス)代表最終選考会を兼ねて行われ、女子フリーで好演技のショートプログラム(SP)2位の浅田真央(中京大)が逆転で184.07をマークし優勝。SP3位の鈴木明子(邦和スポーツランド)が179.27で2位に入った。SP首位の17歳、村上佳菜子(愛知・中京大中京高)はジャンプなどを失敗し、3位だった。
アイスダンスはブリナ・オーイ(米国)水谷太洋(長野市協会)組が合計114.21点で初優勝した。
浅田一問一答「(母は)一番近くにいるような気がした」
2011.12.25 22:55 [浅田真央]優勝した浅田は演技から約2時間半後、記者会見し亡くなった母について聞かれると、目を潤ませる場面もあった。
-今の気持ちは。
「優勝で締めくくることができて、今はすごくうれしい。(母も)喜んでいると思う。演技中も伸びやかに、笑顔を忘れないようにした」
-これまでの優勝との違いは。
「いつもと違う状況の中で、しっかりといつも通りに演技ができた。SPは普通の状態ではなかった。どうなるのかなという気持ちだった」
-調整の難しさは。
「試合が近づくにつれ、毎日練習で忙しく、ご飯も食べて(母の死去を)考える時間がなかった。気持ちをしっかり持てた」
-母への報告は。
「今回も一番近くにいるような気がした。何も報告しなくても、分かってくれている」
真央、恩師も驚く精神力 満知子コーチ「あの子は強い。“お母さんが降りてきた”と言っていた」
2011.12.26 06:25 [浅田真央]フィギュアスケート全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム)母との悲しい別れを乗り越えて優勝した浅田真央(21)=中京大。会見では「気持ちはやはりちょっと違っていた」と振り返り、2年ぶり5度目の日本一に感慨深げだった。また、佐藤信夫コーチ(69)ら真央をよく知る関係者は精神的な強さをたたえ、さらなる成長に期待した。(サンケイスポーツ)
浅田真央が師事してきた恩師たちも、強靭(きょうじん)な精神力で優勝した21歳の女王にエールを送った。
現在、二人三脚で歩む佐藤信夫コーチ(69)は「今まで経験したことのない中での試合。重圧もあり、気の許せない状態だったと思う」。大会へ向けて最も気を配ったのは疲労の蓄積だった。「あの手この手で練習を中断する方向に持っていった。これまで毎日コツコツと努力を積み重ねていたから、体は動くと思っていました」と信頼の言葉を並べた。
一方、昨季序盤に指導し、鈴木明子のコーチでもある長久保裕氏(65)は「肉親を亡くしてすぐにあれだけの演技ができる。素晴らしい。やはり世界選手権を2度制しただけはある」と精神力の強さに感服。「明子もそうだが、練習を3日休むと戻すのに4日はかかる。そう簡単なことじゃないよ。ただ、今回は時間がなかったが、世界選手権までは時間がある。その分、いろいろと考え過ぎないことが大切だと思う」と今後を気遣った。
ジュニア時代のコーチで、現在は村上佳菜子を指導する山田満知子コーチ(68)は「あの子は強いですよ。(きょうも)“お母さんが降りてきた、これで喜んでいると思う”と言っていた。幼いころからそうだった。頑張るでしょう、これからも」と、かつての教え子を優しい目でみつめていた。
勤労感謝の日に、時間を守るとは?考えました。無駄、非効率を確保するということでもあると思います。 [素心]
楽心館本部道場を開けるのは、稽古開始30分前と心がけている。支部道場へ行く時も、それは同じ。
途中予測しない事情で、交通が不便になることも、当然ある。
早く行けば、朝掃除をしているご近所の方と、 「おはようございます」 。
ご婦人 「朝、早いですね」 。
私 「はい、朝稽古なんです。宜しくお願いします」 。
早く行けば、自治会の自警団の方が、横断歩道を見守っている。
私 「ご苦労様です」 。
老人 「ありがとうございます」 。
そんな交流する、余裕も生まれる。
道場へ入れば、神棚に参拝。
「先祖代々、ありがとうございます。今日も道場の無事、よろしくお願いします」 。
道場と更衣室の窓を開放、空気を入れ替える。
玄関と周囲の道路の掃き掃除。
そして稽古着へ着替えれば、やっと約15分前。
そろそろ御稽古人様が、ご到着。
「一週間早いですね。今週は良いことありましたか?」 挨拶をする。
これで御稽古人様が、 どんな生活ぶりだったか、どんな心身の状態で稽古に来たか、ほとんど把握できる。
稽古開始数分前には整列。
「今日は何を稽古したいですか?」 、それぞれの獲得目標を会話する。
あたりまえだけど、
稽古開始時間に開始し、終了時間に終わる。
無駄で非効率と思える部分に、重要な段取りがあって、大方の仕事主要な部分は終わっている。
信頼を得るという、人間の基礎のことだ。
人の道を語るのであれば、ほとんどこの部分で、終わっているともいえる。
それが仕事の工夫でもある。
技の稽古は、出来て当たり前。
「日々是好日」って [素心]
「日々是好日」って、どういう意味?読んだとおりのものだけど、禅語とすると、難しい説明があります。
「相対的な価値観を超越し、宇宙と一体となって悠々と生きる事が人間としての真実の生き方であるという境地に達すれば、日々すべからく好い日である」
では、「日々是好日」って、数字で表すとどうなるの?
「111」と書いて、「いいひ」と読むんだって。11月1日のこと。
自分にとって好日とは、なんだろう。
稽古の場で、徳性を磨く何かが、あった日。
技芸を磨いているんだよ。だけどそれは、求道の手段。仁徳を、お稽古人様と共有し、共感した時。
是好日。
2011年11月1日 一般社団法人 楽心館 設立しまして再スタートいたしました。「日々是好日」であるべく初心に立ち返り、精進いたします。
今後とも、宜しくお願いたします。
うまのはなむけ 昇段審査 [素心]
「はなむけ」を調べると、
元来は「うまのはなむけ」(むまのはなむけ)のような使い方をし、遠方に旅たつ際に道中の安全を祈願し、馬の鼻先を行き先の方向へ向けた習慣のこと。送別や選別での使用であったそうです。それが現在では、旅立ちや門出の挨拶となりました。
K君は高校3年生、長く稽古している。来春介護施設へ就職予定です。何とか黒帯にして送り出したい、そのように担当の指導員と話し合ってきた。ところが変な癖があって、小手の合気 片手取り転換動作が掛からない。残念ながら二ヶ月前は「初段のレベルにはまだ」ということで、再度挑戦してもらうことになった。
そして再挑戦で10月23日に、私の稽古へ参加してくれた。
どれどれ?と、彼の手首を握ると。
残念!
左手はやや直っているものの、右腕のひねり癖がそのまま!
彼は右腕を剣に見立てて、私の左半身に縦軸を通してもらいたいのだが。彼は身体をひねって、彼の右肘は外へ向いてしまった。
担当のT指導員を呼ぶ。「どうなってんの?」。
担当:「ハッハッハッ(笑い)!昨日は出来たんですけど?」。
私:「そうか?まあ、いいや?」。
私はK君に「私も母が特別用語老人施設にお世話になってて、いかに介護の仕事が重労働で慈しみの仕事であるか、しっていますよ。 腰を痛めないように、気をつけて。3年の実務経験を経て、資格を取るんだね。辛抱して!」
「これまで良く稽古してくれました。来年4月から稽古できなるそうですが、それまでしっかり精進してください!黒帯は私が贈りますよ」。
嬉しくも 贈るが送る 寂しいな
今日の重大ニュースは
【TPP―医療(1)】財界の狙いは医療ビジネス拡大――アメリカ資本の参入で皆保険制度、解体の危険 日本文化厚生農業協同組合連合会・代表理事理事長 武藤喜久雄 | 特集 | JAcom 農業協同組合新聞
http://www.jacom.or.jp/tokusyu/2011/tokusyu110607-13726.php
新たなスタートラインに立ちたく存じます。立つは、「断つ」に通じると、感じた次第です。今後とも、よろしくお願いします。 [素心]
- aikijp@ama1 本日付で所轄税務署へ、個人事業(わが道場こと楽心館)の、廃業届提出。振り返ると感慨深く、非常に寂しいです。今月の残された数日でリセットし、11月1日に、新たなスタートラインに立ちたく存じます。立つは、「断つ」に通じると、感じた次第です。今後とも、よろしくお願いします。10/19 12:16
石川 智広先生
お世話になっております。
本日千葉中央公証役場にて、無事定款認証が済みました。
あとは、11月1日になるのを待ち、千葉地方法務局に申請に
行くだけです。(申請後1週間ほどで登記完了見込みです)
そして会社成立日は11月1日となります。
お疲れ様でした。いよいよですね!
以上ご報告申し上げます。
吉川市行政書士 山本 修史 受信日:2011/10/20 13:33:14
争わずして勝は、勝の上なり。間と中心の大切さ。 [素心]
老子(ろうし)に曰く、
「上善は水の如し、水は善(よ)く万物を利(り)して争わず、衆人の悪(にく)む所に居(お)る」
「上善如水、水善利万物而不争、居衆人之所悪」
理想的な生き方をしようと思うなら、水のあり方に学べ。水は万物に恩恵を与えながら、自分は人のいやがる低い所に流れていく。
孫子(そんし)に曰く、
「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。
戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり」
「争うことは、やたらとすべきではない。しかし、争えば必ず勝たなければならない。そしてできれば、相手を傷つけず、争わないで勝ちたい。」これが戦略の原則である。
イソップ物語に曰く、
「北風が吹き付けると、旅人はますます固く外套を着込む。太陽が暖かく照らすと、旅人は自ら好んで外套を脱ぐ。」
武道の教えに曰く、
「一歩踏み込め」
間と中心を取って一歩踏み込めば、相手は自ずとそれを嫌って、自ら好んで退く。
今日一日を、生きる意味が違うから、見える世界が違うのだろう? [素心]
- aikijpMy dojo is come back to the condition before the huge quake.Thanks Junseiryu.RT @junseiryu: great quality #Aikido & #DaitoRyuAikiJujutsu09/12 13:58
- aikijpいよいよ明日「女性のための合気道・護身術 江東区アリオ北砂 体験講習会」 現在7名のお申込みいただきました。まだ間に合いますよー! http://ow.ly/6rue909/12 13:53
江東区での「女性のための合気道・護身術 江東区アリオ北砂 体験講習会」を終えて、帰りました。帰る途上、ずっと気持ちが重かったので、その理由を述べたいと思います。
7名の方が参加され、私と佐久山が指導させていただきました。内容は、立ち方・足構え・受身・半身の大切さ・手解き・一教などです。
講習の終わりに、参加者に感想や質問を、述べていただきました。それぞれに、「楽しかった」趣旨の話を、してくださいました。年齢層は、中学生から88歳までです。
88歳の方は、「これまで何十年も、やってみたいと思っていましたが、機会がありませんでした。今日は本当に良かったです」と、仰せになりました。当然ながら、このお言葉が一番、重たかった。人生経験に応じて、語彙や表現の重みの差があるのは当然として、それでもこの差は何なのだろう。
そう考え続けて、帰って来ました。
言葉の重さ・伝わり方の深さは、その方の今日一日を生きる意味の深さと、正比例の相関関係なのだろう。と考えました。
そしてそれは、感謝の深さそのもの。それを根底に持つ言葉なり所作なりは、伝わるものが違うのでしょうね。
まだまだ、本当に、見えない世界が広がっています。
我々は刀礼をする時、国の伝統を護り伝える自覚を、反省したい。 [素心]
剣を扱う際、開始時と終了時の二回、刀礼を行う。
なぜか?
刀剣は、単なる人斬り包丁ではない。国を統一し、平和も護る権威の象徴である。
日本の歴代天皇が継承してきた三種の宝物には、
八咫鏡(やたのかがみ)・
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(「草薙剣」)のがある。草薙剣(くさなぎのつるぎ)とも称され、記紀神話では須佐之男命が出雲・簸川上(ひのかわかみ)で倒したヤマタノオロチの尾から出てきた剣である。
皇室の御先祖は、日本を平定するにあたり、戦をしただけではない。同時に農業・稲作を広め、国を豊かにしていったことが大切である。
それゆえに神道の神棚には、灯明・塩・水が供えられる。どれも稲作に不可欠のもの。太陽の光・ミネラルなどの養分・水温と水量管理によって、稲作が行われる。
そしてこの微妙な稲作文化が基盤となって、今日我が国に発達した工業生産がある。
天叢雲剣と稲作文化、今日の我が国の豊かさ、密接な関係がある。
我々は刀礼をする時、この伝統を護り伝える自覚を、反省したい。そして天皇皇后両陛下は日夜国民の幸せのために祈ってくださり、我々は心よりあり難く思うと共に尊敬申し上げなければならない。
天皇皇后両陛下はご高齢にもかかわらず大震災以降、被災地を頻繁にご訪問し被災者を励まして下さっている。天皇皇后両陛下は我々日本人の支えであります。
日本の歴史を振り返ると、皇室の権威と時の政権の権力が微妙な調整をとって、長く平和が保たれました。ロシア革命や文化大革命の権力闘争の悲惨さと比べるまでもなく、和をもって貴しとする我が国の歴史は、奇跡的でもあります。
この国、日本という国家がある。その一員として我々国民がある。
有難い事です。
2011山中湖 aikido kotegaeshi, 2kyo etc 「芸に遊ぶ」には、まだまだ。 [素心]
一枚目 小手返しの基礎、掴み手に慣れるための説明として。
二枚目 小手返しの基礎、すわり技。
三枚目 呼吸技の基礎
四枚目 二教、力技から軸抜き技へ。膝と腰が、抜けないとね。
五枚目 片手取り転換動作へ、入ろうとする瞬間。足構えも、入り身の仕方も、これでいい!良くやっている!
私は「芸に遊ぶ」に、未だ至らず。こうした合宿に参加して、もう25年が過ぎましたが。
芸とは、元々は草木を植えるの意味でした。草木に関することであり、草かんむりがつけられ、本来の草木を植える意味の漢字が、今の常用漢字では省かれてしまった字です。また、芸は技という意味でも使う。
学芸とは、草木を植えることその技を学ぶことであり、芸に遊ぶとは孔子が好きな言葉でもあり、孔子は芸に遊ぶを人生の至境としていました。孔子の提示した君子像は、「道に志す」「徳に拠る」「仁に依る」につづいて「芸に遊ぶ」をあげました。
孔子の「志於道 拠於徳 依於仁 遊於芸」の一節です。
孔子曰く、正しい道を志し、徳を根拠とし、仁に依って芸(教養)のなかに遊べと。
ここで孔子の言う芸とは教養であり、学問と礼儀作法、武芸も含まれていました。
そして人への愛情、仁を大切にしつつ、そういった教養(芸)のなかに遊んで、人格の幅を広げよと。
芸事を習うということは、人として大事なものをたくさん学ぶ場でもあります。人としてとは
1、歴史・伝統の過去から未来への流れの中で、学ぶ。これは護神に通じます。
2、国家の国民として学ぶ。市民という場合、国家の対立概念なので、区別して使います。これは護国に通じます。
3、親兄弟と師匠から学ぶ。先輩後輩の中で学ぶ。これは護心に通じます。
4、身を守る術を学ぶ。これは護身に通じます。
技巧の目標は高く、人として学ぶ世界は広いものです。
こうして考えれば
修身(しゅうしん)斉家治国平天下(せいかちこくへいてんか)注)《「と、変わりない。
遊芸とは、修身斉家学芸平天下なり。
注)《「礼記」大学から》天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
幸せ・仕合せ・死合せ [素心]
七夕に、星に願いを!「武道教授」と書きました。 [素心]
七夕に願いを、といえば。
修身斉家治国平天下。
天下を治めるには、まず自分の行いを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国家を治め、そして天下を平和にすべきである。
道徳は戦後のもので、それ以前は修身といった。今日は、このことは論じたくはありません。とにかくその役割の一角を、楽心館は社会の片隅で実践するのである。
今日は道場の看板書きをしました。ます新聞紙で練習。
おや!武道の武の字が、なんかへんだな?と妻が。
「いいんだよこれで、楽心館の教えだから。矛を持って一跨ぎ!矛と止(危険な場所へ踏み込む)!その会意文字が武の字。その気概があってこその平和と安全さ」と、私。
そんなことしたら小学生に「点が足らないぞー!」とつっこまれて、いちいち説明するのが
めんどいぞー!
と妻が。
なに言ってやがんだ、小学生は
めんこいぞー!
と私。
これから裏側を書いて、両面の看板ができます。明日には外に、吊るしますよー!
お楽しみに!
嵐の中を抜けて、真っ直ぐに進むんだ。自分だけじゃない。皆が、そうしている。 [素心]
29日朝は、台風2号の嵐。多摩地区巡回指導へ向かう。
「こんな日は、誰も来ないかもしれないけど。行って、待っていなければね」、そう妻に声をかけて、千葉を出た。
高速道路では、途中5箇所ほどで、スリップ事故でクラッシュしていた。
現地についてみると、福生も八王子も、ほとんどの方が稽古へ参加してくれた。写真は八王子。
翌30日朝は、一転、嵐の後の静けさ。
昨日、本部朝稽古を代理指導した鈴木綾馬から、「Mさんが参加されました。今日入院するとのことです」と、報告があった。
そうか、嵐の中を、来てくださったんだな。事情は全て聞いていたが。
31日朝、私は床屋へ行く。こっちの頭がボサボサでは、お見舞いに行ってどちらが入院しているのか、分かったものではない。
フラワーアレンジメントは、妻に選んでもらった。それを持って、Mさんのお見舞いへ行った。
Mさんは言った。「今回、かえって良かったですよ。根治する方法を選びました」と。
前向きな姿勢に、感服した。このような現実に対して、自然に入り身になっている。
翌1日、Mさんは左腎臓全摘出の手術を受けた。
今日は2日。彼からのメールが届くのを待っているが、まだ届かない。
祈る気持ちが、つのっていく。
我逢人(がほうじん)とは、なんでしょう? [素心]
我蓬人とは、なんでしょう?
「心と心の出逢い、物と物との出逢い、人と人との出逢い 、出逢いこそ命。
自分だけで考え、自分だけで行動してたのでは見つからない事がある。
だから、人との出逢いこそが全ての始まり。 出会いに感謝。」
こうしたことは、よく言われがちです。しかし本当でしょうか?
確かに「出会いに感謝」でしょうが、もっと別の大切な何かがあると、私は感じます。
なぜか?
1、この言葉は道元禅師の教えを伝える、重要な言葉の一つであること。
2、最初に「我」という主語が主体的に、強調されていること。
これが「出会いに感謝」程の意味ならば、「謝逢人」とでも書かれたのではないでしょうか?
我とは、平凡な人間には違いないけれども、
「真理を悟り伝える人間のこと」
だと思います。
「人との出会いで初めて、人間としていき方が決まってゆく。
我は、真理を悟り伝える人間に、ならねばならない。
我はそのために人との出会いを選び・守り・相克し合い・乗り越えてゆく。
そして平凡な人間に、なるのである。」
私は禅者でもなんでもなけれども、今朝この言葉と向き合って感じたことを、適当に書きました。ですから、軽く読み流してください。
頭隠して、尻隠さず。の反対とは?どっちも、慌てているってことだな。 [素心]
東村山クラスが、再開されるだけでも嬉しい。そこへ久しぶりの顔を見ると、さらに笑みがこぼれる。
「どうしてたの?」と当たり前の質問が、声になる。
「急ですが、今月結婚することになりました」と、にんまり答える人がありました。同席した方も「それは、おめでとうございます!」と声をかける。
私は「それじゃ!ご結婚記念に合気道審査をしましょう!今月はその予定でご精進ください!」などと言い、愉快な一日となりました。
あの激しい雨の中を、自転車で突っ走ってきた人がありました。上半身をズボンもずぶ濡れ。だけど靴下だけは乾いていて、不思議です。
彼は、スーパーなどでくれるビニール袋に足を突っ込み、そのまま靴を履いたのです。
「頭隠して、尻隠さず」とは良く聞くけど、これじゃ「足隠して、頭隠さず」だな。よほど急いで、稽古に来てくれたのかな。だけど風邪を引いたら、残念です。
皆さんも、「頭隠して、尻隠して」、あわてず出かける心がけで、お願いします。