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雅味:天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。 [素心]

天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。

天命を性と謂う。性に率うを道と謂う。道を脩むるを教と謂う。

人間性の正しき発露のままに生きるを、人の道。いかに人の道を修めるか、それを教えという。

 

年度末は、転勤や進学などで、やむなく退会される方々との別れの季節。今年も約10名の方々が、離れていく。

最後の稽古に何か言おうと思うと、いつもこの言葉で出てくる。昨日も、7年近く蘇我で稽古した子供たち三人が、中学へ進学するので、本部道場へ稽古に来た。

 

 

一般社団法人 楽心館 本部道場

 

 

私が「中学へ入ったら、何部に入るの?」と聞くと。

それぞれ「俺、卓球部」。「私はバスケ」。「私はテニス部です」。三人三様の答え。

面白いな!これまで長く同じ稽古をしていて、それぞれ違う道で、才能を伸ばそうとしている。 昔、聞いた「雅味」の話を思い出した。

 

作動の道具である茶杓を、松竹梅で、三本作る。

一回のお点前で、 袱紗で茶杓を拭く動作は、数回に過ぎない。

茶杓を何十年か、使う。

結果、同じ茶杓であっても、松竹梅それぞれ別の味わいが、にじみ出てくる。

それは、雅味というものである。

 

この三人の長い人生にとって、合気道に通った7年間は、ほんの小さな経験に過ぎないし、それで良いと思う。

それでも。

希望に満ちた目で、それぞれの進む道を語ってくれた。

私にとって、袱紗で茶杓を拭く動作の継続によって得た雅味に、似たものかもしれません。

 

スピーチ、スタート

先祖代々、そして両親の身体を通じて、私たちは永遠に一度きりの人生を得ました。

世界に一人きりの自分であり、これは宝です。世界中探しても、自分と同じ人は存在しません。

 

それでも自分を傷つけたり、自殺する人があります。それはその人が、周囲から愛を受けていないために、自分を受け入れられないからです。

「なぜ自分は生まれてきて、存在するのだろう?自分が嫌でしょうがない」 そう思うのです。

今日来た三人は、そんなこと思いますか?思いませんね

それは貴方が、愛されているからです。それだけでも愛を分け与えていく、使命・役割があります。

 

「天命これ性といい」とは、先祖代々から命を与えられ、人間性として、それぞれの個性として、素晴らしい能力を与えられているということです。

「性に従う」とは、それぞれの個性・特性を生かして、社会に還元していくことです。そこに素晴らしい「人の道」があるのです。

 

まずは自分の個性を発見し、それを活かす道にかけなさい!それが職業です。

 

それでは、解散!

 

スピーチ終了。


無事これ名馬:稽古始めに、「無事の大事とは」 [素心]

週は行く先々が、稽古始めでした。

「一年の目標を話して下さい」と聞いたり、私から話したり。

 

「新年明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。

どうぞ本年も、宜しくお願いします。これから一年の稽古が始まります。一番大切なことは、怪我病気なく、できるだけ休まないで無事に継続できることです。

そして武を形にしていくことは当然として、日常に何がしか稽古の成果を還元しましょう!」

 

私の話は「無事の大事」です。一言で無事といっても、身体と心の二つ意味があります。

 

1.「健康、怪我のないこと」。この身体的意味でいう時、「無事これ名馬」です。競馬好きの作家が、馬主としての思いを語ったものだそうです。

私なりに敷衍ます。馬が怪我をしないためには、三つ条件があす。(私は競馬をしませんので、推測です)

a.馬の資質そのものが、優れていること。 

b.人馬一体である事。馬の能力が高くとも、それを扱う導き手の能力が優れ、両者が調和ていること。

c.厩舎・競馬場の環境が整い、日頃の馬の養育が優れていること。

 

これを道場の活動に置き換えると、お稽古人様が無事に稽古できるということは

a.お稽古人様の健康・稽古への目的意識の高さとその持続。

b.指導者の技術と指導意欲の高さ。指導者とお稽古人様の信頼。

c.お稽古人様を取り巻く社会・家庭などの環境と協力。道場の稽古環境の良さ。

どれが欠けても、稽古の継続はご無理です。これらがそろうことは、大切です。

 

2、「稽古の目的を正しくもつこと」。この精神的意味でいう時、「無事これ貴人」です。

元来は、悟りを外に求めることを戒めた禅語です。

引用始め http://www.daruma.or.jp/zen/detail.html?zen_id=14

「臨済禅師は "悟り" "ほとけ" "救い" "しあわせ" などといったものを頭に描いて、それを自分の外に追い求める愚かしさを厳しく戒められました。
それらは求めて得られるどころか、求めれば求めるほど遠くへ 逃げていってしまうものなのです。
求める心を捨てて、ああしたいこうなりたいといった欲を捨てて限りなく純真無垢な自分と出会う時、無限にして偉大なるものに生かされている自分に気づくことができるでしょう。
求めずとも既にそれに抱かれ、生き生きと輝いている自分を発見できるでしょう。
「無事是貴人」とは、そういった安らぎの境地を心の底から実感した人こそ、老若男女・貧富地位の別を超えて本当に貴い尊ぶべき人であるということなのです。」

引用終わり

とかく稽古の目的を、外に求める誤りをしがちです。名利であったり。外との相対的比較であったり。外との迎合であったり。

しかし

稽古の目的は、自分との戦いです。師匠からの教えや示された型、それらを鋳型として、そこに自分を入れる。その中で無駄を削ぎ落として、自由になる戦いです。

結果として自分は高まり、外部的なものはあとから自然になるようになる。

 

最後は老子だ。

「無為を為し、無事を事とし、無味を味わう」

究極だ。何もしない、格別のこともしない、何も味が無いものを味わうというんだから。ここまで行くと哲学者だ。

そして無為無事を、構えと動きで実践すれば

無拍子だ。

これこそ争わずして勝つ、合気の世界。

 

身体と心が両輪で、初めて無事の大事です。これかの一年間、粛々と歩んでまいりましょう。

 

 

 

 写真は文京区初稽古

文京区 初稽古

 


出世とは:風を感じ、風に任せ、過去から未来へ。世界へ。 [素心]

古いお稽古人様、京都忍者さんから、メールをいただきました。

件名             ご挨拶
本文             石川智広先生


 たいへんご無沙汰しております。かつて20年ほど前に国立教室でご指導を戴きました京都忍者です。覚えておられますでしょうか。先生のお姿をネットで拝見し、あまりに懐かしく思い、ご連絡をさせて戴いたしだいです。あの時から大変なご出世をされ、楽心館の館長をされているとのこと、石川先生の不断の努力と熱意、そして先生の周りの多くの方々の支持あっての賜物と頭が下がるとともに、その雄姿を拝見し本当に喜ばしい限りです。当時は、先生と同学年ということでとても親近感を感じていたことが思いだされます。
  小生この度、20年ぶりにここ京都で合気道(心身統一合気道)を新たに習い始めたしだいです。場所はXXです。ニ週に一度教室ですが、昔教えて戴いたことを思い出しながら少しずつまた学ぼうと思っております。講師はXX師範です。
  石川先生に最後にお会いしたのは94年の8月頃かと記憶します。その後、山梨甲府に転勤となり、週末は府中に戻り、また国立教室に参加するつもりでいたものの、その後は一度も参加することはありませんでした。翌95年に転職し、東京へ戻り一年間三鷹に住んでおりましたが、地元関西へ戻りたいという希望が叶い、96年9月にXXへ赴任となりました。その後16年、会社的にはいろいろ変遷はあれど何とか現在に至っているしだいです。
  唐突なご連絡で申し訳ありません。またいつか合気道をご縁にお会いできるようなことがあれば願っております。
  石川先生の今後の益々のご活躍を祈念しております。
           

 

ご連絡ありがとうございます。石川です。

京都忍者様のことは、よく覚えていますよ。
懐かしいです。
英語が堪能で通信機器の会社に、勤務されたいましたね。
その後の変遷のご苦労も、ご説明ありがとうございます。

遠い地でも尚、合気道を稽古されているとのことで、感慨深いです。
稽古の成果を日常に還元なさって、健康で前向きに、お過ごしください。

小生は、何も出世など、していません。
昔と変わらず、お稽古人様と、稽古させていただいている身に過ぎません。
その点ご理解くださいますよう、お願い申し上げます。

 

風を感じ、身を任せ、ゴロゴロと球を押してゆく。

その球は雪だるまのように、押せば押すほど大きくなって、20年前より大きく見えるかもしれません。

そのゴロゴロが、少し重くなってきたような?でもそれほどでもない、自分ではまだまだと思っています。

その風は、過去から未来へ流れる時の力?

その風は、地の利?

それともその風は、家族を始め、私を支えてくださる方々の和の力?

その風は、両親から授かった、心身の力?

その風は、技を授けてくださる師匠、縁の力?

考えれば考えるほど、自分の存在は小さく、与えられる力は大きい。

 

転がしていた球は、いつしか、魂と変化して、世界に分散していただきたい。

その時こそ、本当の出世かもしれませんよ。



今後も、折に触れご連絡ください。
益々の京都忍者様のご健勝を、お祈り申し上げます。

 

 

石川先生

 ご連絡ありがとうございます。
 嬉しい限りです。お元気でお過ごしですか。
 ブログ記事の原稿拝見しました。
 お気遣いを戴き感謝します。それにも
 益して、小生のことをよく覚えて戴いて
 感激です。掲載して戴くことには全く
 問題ありませんので。
 石川先生のお返事じっくり読ませて
 戴きました。意味深いですね。
 自力でつくっていく玉とその自分を
 押してくれる風。自分でつくってきた
 玉の大きさに、ふとほくそ笑んだりしても
 そこまで押してくれた他力、言い換えれば
 もっと広い意味で、ご縁のもたらす力という
 ことになるのでしょうか。その存在に感謝し、
 決して忘れてはならないと理解しました。
 でも現在の先生までになったのはやはり
 常なる強い心の想いがその方向づけをして
 きたことはまちがいないです。まさに「想いは
 叶う」ということですね。
 先生のご活躍、関西よりお祈り申し上げます。
 また近況などご連絡させて戴きます。
 寒さの折り、お体くれぐれもご自愛願います
 京都忍者
 
 

タグ:出世

笑顔流筆文字: 忘れがち 笑顔の力 思い出す 練馬のお稽古人様より、いただきました。感謝! [素心]

 

 

笑顔流
 
 
 
 
笑顔が三つもあって
 
 
と、笑顔の印。
 
 
笑顔の力と夢、いただきました。

 

丸太みどり先生に、ご揮毫いただきました。


書道:禅味ある 第5回 林 信夫 書作展あります。 私も行きたい! [素心]

11月11日(日)から17日(土) 10時から6時 最終日は5時(ジャズ演奏アリ)

 

ギャラリー生光(うこう)

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 千葉県柏市北柏1-5-1 JR常磐線北柏駅南口下車徒歩2分 TEL 04-7163-5678

 

林 信夫(玄妙)

 TEL  04-7150-0171

 

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掛け軸は「寒雲伴来閑不徹」


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自己管理とは:足元を見直すとか、恥を知ると、同じですよね? [素心]

AKB48才さんから、業務報告です。
 
先日は、私の緊急入院のため、ご心配、並びにご迷惑をおかけいたしました。
講座が休みにならないよう、お手配くださり、ありがとうございます。

診断は、「風邪の菌が胃腸に入ったのでは?」とのことでしたが、
近いうちに、同じ症状があれば、検査を受けるようにとのこと、注意をされました。
少し、食欲が落ちていたので、夏バテのところに風邪をひいたせいかも知れません。

石川先生は、休みなく指導をされているので、本当に気を付けてください。
私も、もう少し自己管理方法を考え直そうと思います。

ところで、石川先生の稽古を受けられて、皆さん、特に綾瀬の一般クラスは、
喜んでいることと思います。

私もできる限り、金曜日の楽しい稽古に参加したいです。
一方、茗荷谷の厳しい(私にとって)稽古が、
合気(接触点への身の入れ方と和合)が、なかなか身につかない私には必要と感じています。

剣術からは、基本の身体使いの難しさと、集中することを習い、
合気では、具体的な指摘をいただけるので、大変助かります。
皆さんにはご迷惑をおかけし、優しさに甘えていますが、
背伸びをした稽古は、ただ夢中になり、充実感を得られます。

時間や体調を考慮し、双方の稽古に参加できるのが楽しみです。
 
 
 
石川です。AKB48才さん、御疲れ様です。
 
自己管理とは、最近良く使われます。
健康・時間・人間関係・スキルアップ、何にでも自己管理・自己責任を、くっ付ける昨今です。
 
これは昔から脚下照顧と、一言で説明されていたものだと思います。
足元を見直すとは、自分を支えてる、寄って来るところ根本を見極めるということ。
「先生と呼ばれるほどの身ならば」、これが出来ていなくて、いったい何を伝えようというのか。
そう疑問が湧いてきます。
 
AKB48才さんの話は、健康管理のことが主体ですね。これも意味が深い。
自分一人の健康を管理することは、主婦においては、家族全体の健康管理に通じること。
私の立場においては、一個人を超えて、楽心館道場が健康体であるのか?それが問われます。自己管理にして、全体管理にもなります。だから大切なのでしょう。
一国の宰相ともなれば、宰相の楽しみは、国民一人一人が、楽しく平和に暮らせることです。
 
さらに、私の立場の目標を言えば
 
この世界で仕事させていただいているからには、70歳を過ぎた老人となってどれほどに「術使い」であるのか?その意味での健康管理は、大きな目標です。
 
 
まっ、AKB48才さんが入院したくらいでは、私も楽心館も
 
まだ大丈夫だぞ(笑)
 
突然、私が綾瀬を訪問したので、皆さん「いったい何が起きたのか?」どん引きでしたが。
 
それでは、御大事に!

谷津干潟:「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」西田幾多郎歌碑 ところで、吾って何だ? [素心]

「人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり」 

 

 この西田幾多郎歌碑は、京都観光の名所、哲学の道から法然院へ上がる道の角に、小さな歌碑が建っています。楽心館の子供クラスでも、「人は人 我は我なり 我が行く道を 我は行くなり」と暗証させますが、元はこれです。

 元の歌碑では「吾」と「われ」を使っていますが、この使い方の差は、ただ印象を柔らかくするためなのか、不明です。

 

 問題は、吾って何だ?

第一義 自分の信じる道を、行くだけだ。

 まずこれが基本、これがなければ始まらない。大切なのはこの次に何が起こるか?だと思います。

第二儀 信念ある人に追随する人々が現れ、道が広がる。

 こうなるかどうか、そこが問題です。私の近所に、こんな例があります。谷津干潟(やつひがた)です。ここは、千葉県習志野市谷津および秋津にある約40ha干潟です。

 1970年代までに工業地や住宅地として開発されましたが、習志野市谷津地先の干潟は昭和放水路計画により旧大蔵省の所有であったために埋め立てを免れ、埋立地の中に2本の水路で海とつながる池の様に残されました。そこはその後、自転車を放り込まれたり、ドブ沼になって悪臭を放っていたのです。

 これを見かねた近所の人が一人、このドブ沼の中へ入っていって、ごみを拾い始めた。それを見て感化される人が、一人、二人と増えてゆく。この清掃活動と野鳥の保護活動が両輪となって、1988年に国指定谷津鳥獣保護区(集団渡来地)に指定され(面積41ha、うち特別保護地区40ha)、さらに1993年6月10日ラムサール条約登録地に登録されました。

 この最初の一人が何方か語られないところが、美しいです。吾が道ならば、吾は消えて道が残る。結果が自然です。

 

 もう一つ、近所の話。本部道場は祐光町にあります。ここは暴力団事務所や風俗関係者が多く、一般市民は近づきたくない地域でした。最近は少し減ったでしょうかね。それでも車上狙い・空き巣などの犯罪が多く、犯罪多発地域に指定されていました。

 そこへ一人の信念の人が、現れました。毎晩8時ごろ、拍子木を打ちながら「火の用心!」と、町内を歩き始めたのです。感化される人が一人、二人と現れ、自警団が自然発生しました。皆さん老人です。

 本部道場で稽古していると、約10人近い老人集団が、懐中電灯を持って歩いてゆきます。私が道場の中から一礼すると、両手を振ってお元気そうに挨拶してくださいます。こうして地域の犯罪が減ったのは、説明までもありません。

 

 我が行く道を行く我は、我にして我にあらず


タグ:谷津干潟

平常心是道とは(びょうじょうしんこれどう) 自分が自分のままに、生きている。しかしその自分は、小我に在らず、大我でありたい。 [素心]

 ある保護者様より、やや大きな手術を受けるとの相談を、一年前より受けていました。

「その日は稽古があるので、普段とおりに行かせます。宜しくお願いします」。

との話でした。今日の金曜日が、ちょうどその日。

 

お子様は普段通りに参加し、稽古に集中している様子でした。稽古を終えて御互いが正座した時、

私 :「今日、御母さんの手術でしたね。今日は病院へ行っていたの?」

少年:「いいえ、勉強をしていました。お父さんが行っています」

私 :「じゃ、明日、御見舞いに行くんだね?」

少年:「日曜日に行きます。土曜日は土曜日のやることがあるので」

そんな会話がありました。

 

 帰り道に運転をしていると、不覚にも感情が込み上げてしまいました。親の子への想い・子の親への想いを察すると、泣けてしまうのです。

 御母さんは、自分のことで子に心配を掛けるのは申し訳ない。またどんな時も、自分のやるべきことを自覚し、日々平凡な歩みを、大切にしてもらいたいと願っている。

 息子さんは、大好きなお母さんお傍に、こんな時こそ一日中、付いていたい。勉強をしていても、稽古をしていても、去来するのは手術の結果やその後の様子。何も知らないまま今日を過ごす寂しさ。

 

 平常心是道という。是は人間の情感を打ち消して、淡々と目の前のことに集中し、成し遂げる大切さを説いたものなのだろうか?

 そんなはずはない。

 情感は情感のままに、在るがままの真実の自分がそこに在る。その自分が自分の情感になりきって、自分のやるべきことに取り組むのではないだろうか。

 自分が自分のままに、生きている。しかしその自分は、小我に在らず、大我でありたい。


タグ:平常心是道

「良い道具を持て」棋士 大山康晴 武道格言にも通じる、この言葉の意味 [素心]

大山康晴 語録を調べると、最初の方に

「良い道具を持て」

が出てきます。武道格言にも通じるので、考えたいと思います。実は私、24・25歳の頃、ざっくり計算して28年前、大山康晴名人から、直接、意味を聞いているのです。

それは講演会の席でのこと、小さな会議室で、聴講者は20名もいませんでした。主題は何も覚えていません。主な話が終わった頃、大山名人はこう仰せになりました。

「今日は時間が少し残ったので、どうしたら将棋が強くなるか、お教えしましょう。

それは良い道具を、持つことです。高価な道具を持つことです。

子供の頃、父がその頃の収入にしては、月給の何倍もする高価な将棋盤と駒を、買ってくれました。

私は父に対して、大変申し訳ないと思い、奮起し、励みとなり続けました」。

概略そのようなことを、話されました。

将棋が強くなるためには、師匠の大切さ・ライバルの大切さ・道具の大切さ、人それぞれだと思います。そこを大山名人は、父親の思いの籠った高価な道具こそ大切だと、仰せになったのだと思います。

武道の上達にも、様々な要素がありましょう。しかしなんといっても

心 正しからざれば 剣 正しからず

です。

そのために武道格言では、「三年稽古するより、三年かけて師匠を探せ」と申します。

型も口伝も、本格の本物でないと、正しい学びとならないのは当然の事。

さらに

その師匠の風雪に耐えてきた雰囲気に、全人格的影響を受け励まされる事。

それを得ることこそ最重要で、時間と手間を惜しんではならない。

これは将棋にいう「良い道具を持て」にも、似ていると感じます。

注)生意気なことを書きました。武道格言の一般論に触れただけのこと。自分はまだまだ勉強中なので、自分は関係ありません。


タグ:道具

木刀に名前をつけて? 富士剣と書いて、フシケンと読みます。不試験じゃないよ!いかがか? かぐや姫、ロマンティックなお話を有難うございました [素心]

吸収男児さんから、木刀に命名の依頼がきました。

木刀の早速のお取り寄せ、有難うございます!?


実は先生にお願いがあるのですが、

木刀に名前をつけていただけないでしょうか。


すいません、へんなお願いをして。


これから、この木刀と仲良くしていきたいのです。



宜しくお願い致します!

 

 

石川です。富士剣(フシケン)と、命名します。

竹取り物語のかぐや姫は、いよいよ月へ帰る時、求婚されていた武者にお別れの贈り物をします。

それは不死の薬。

武者は、かぐや姫のいない世に永遠に生きるのは苦痛であると、その薬を日本一高い山の頂上で、燃やしました。

その燃える煙は、いつまでも消えることなく、続きました。なぜならそれは不死の薬だから。永遠に燃え尽きることもないとされたのです。

それゆえにこの山は後に、不死の山と呼ばれるようになりました。それが今日の富士山です。

竹取物語はこのように、風土記としての側面があったのです。そしてこの時代は活火山として、噴煙を止めることなく上げていたことが、明らかになるのです。

ご依頼のあった貴方の木刀へ、富士剣と命名した背景は、以上です。

もちろん命に限りがあります。しかしそのはかないものに、何か納得できるもを求めて努力する姿の美しさ。

それは、普遍的価値があると考えます。

 

 

 

吸収男児です。

木剣に命名して頂き、有難うございました。

富士剣

いい名です。

命が吹き込まれたようです。

不死剣ですね。

挫けそうになった時、この名を思い出します。


私は死なない。私は負けない。



発達障害のお子さんをお持ちのお母様も先生から勇気を頂いていることと思います。


八方塞がりの中、頑張っていらっしゃるお母様を尊敬致します。


心からエールを送りたいと思います。



正眼に構え、どんな困難も迎え撃つ、
そんな強い精神を養っていきたいと思います。

 

 

吸収男児です。

続きです。

別れはつらいけれど

結ばれなかったからこそ

想いは永遠に…


富士山がまた噴火するかもしれないとテレビで見た記憶があります。

不死の薬はやはり効き続けるのでしょうか



ロマンティックなお話を有難うございました。

また、ぐっときてしまいました


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八方塞と剣道 [素心]

八方塞の中で剣道で立ち直る、そんな会話です。 

 

石川智広先生
 
いつも、お世話になっております。
 
今日、息子の様子をお伺いすることが出来ましたこと、
大変有り難く思っております。
 
たくさんの生徒さんがいる中、
名前を覚えてくださっていることだけでも感謝ですが、
それぞれの個性を把握されていて、さすがだなと。
(プロとして当たり前のことと、怒られてしまいそうですが)
 
 
Kは、子ども同士では、打ち解けて、笑顔も出るのですが、
大人が相手だと、緊張のスイッチが入ってしまうようで、
キチンとした返事や反応をすることができません。
ボソボソと小さな声で話すのが精一杯のようです。
親としては、本当にハラハラします・・・申し訳ありません。
 
発達検査の結果、小児精神科の主治医の先生からも、
得手不得手の差が大きいので、発達障害でも重度だと言われております。
 
石川先生には、不愉快な思いをされたかと思いますが、
本人に、悪気がないこと、ご理解いただけたらと思います。
 
今回、一般クラスのお稽古に参加させていただき、
本人には、大人に囲まれてのお稽古なのでプレッシャーなのかもしれませんが、
合気道は頑張りたい、という気持ちの方が大きくて、頑張っているのだと思います。
ご迷惑でなければ、このまま、今の環境で見守っていただけたらと思います。
 
 
夫の難病、失業に加え、父のガンの転移、母の持病悪化、
息子の発達障害、学校の転校と、心配することが山ほどあるため、
私自身の体調も、イマイチですが・・・
この夏を頑張って乗り切りたいと思っています。
 
個人的な家庭の事情までお話ししてしまい、すみません。
現状のご報告ということで、聞き流していただけたら幸いです。
 
梅雨明け宣言もありましたし、猛暑の毎日・・・
体力勝負の先生も、どうぞお身体ご自愛くださいませ。
 
K (母)

 


Kお母様
 
宝のような息子さんのこと、どれほどご心配か、お察し申し上げます。
ご主人とご両親様も、たいへんなご様子。
八方塞のようなことが、あるのですね。
 
最近、剣道を稽古されているのは、とてもよいことだと思います。
剣道の稽古日を楽しみに、一週間のリズムを、整えてください。


周りを塞ぐ壁がある。
そこへもたれ掛かれば、支えてくれていると、発想を転ずることも出来ます。

全て塞がれているようでいて、それは二次元世界でのこと。
三次元でみれば、天地は空いています。

八方塞が、剣道へ立ち返る状況を、作ってくれました。
背筋の軸を、天地に立てることの大切さを、お考え下さい。
 
今より悪くなることもある、改善することもある。
今はじっとして、変化を待つ。
変化したところから、対応するしかありません。

その時のために、軸を立てて、正眼に構えていれば良いのです。
 
K君は、今後も一般クラスへ、ご参加ください。
 
暑い夏、篤い心、で、アツサに任せましょう!
石川

 

 

石川智広先生
 
ありがごうございます。
 
一般クラスに通わせていただき、
本人にとっては、大人に囲まれての緊張の連続かもしれませんが、
慣れていく過程で、成長出来ればと思います。
他の生徒さんには、ご迷惑かと存じますが・・・
本人は、合気道は、一週間の楽しみのひとつなので、
お言葉に甘え、このまま続けさせていただきたいと思います。
 
 
剣道は、あれこれ考えることを忘れ、唯一、無になれる時間です。
体調がすぐれない時でも、無理して参加していると、だんだんとスッキリしてきます。
先生のおっしゃる通り、順風満帆な毎日だったら、改めて剣道に戻ることはなかった気がします。
 
人生、山あり谷ありですよね。
まだ、これが底か、まだまだどんどん潜っていくのかは分かりませんが、
いつか道が開け山に登っていけるといいのですが・・・
諦めや絶望も、いつか、これも良い経験だったと思えるようなればいいなと。
 
 
石川先生には、いろいろと教えていただくことが多く、感謝しています。
これからも、息子のご指導、どうぞよろしくお願いいたします。
 
K母


タグ:八方塞 剣道
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出藍の誉れ:大津市中2いじめ自殺が問題化している。こんな時ほど、褒めて育てる工夫を、考えたい。 [素心]

大津市中2いじめ自殺が問題化している。真相究明は、警察の捜査に期待したいです。

そしてこんな時ほど、褒めて育てる工夫を、考えたいです。今、本部道場午後クラスを終えて、一服しています。参加者の一人が元教諭なので、「大津市いじめ事件と褒めることの大切さ」が、話題になりました。

 

私の子供合気道クラスでは、お互いに教え合い学び合う活動の中で、相手の良いところを見つけて具体的に褒めることを、実践させています。

仮にA君とB君が組んだ場合

私「A君。B君はどうでしたか?」

するとA君は、「B君は~が、良かったです!」と、話してくれます。

私「悪いところを言ってもしょうがないから、良いところを言って、伸ばしてあげてね?」

私「B君。A君はどうでしたか?」

こうして、お互いに良いところを、言い合います。

時々

「~ちゃんは、全然できなかった!」と、はっきり言う子も出たりします。

そんな時は

「やっただけでも、やったんだから、やったことを褒めてあげてね」

とか、褒め方の上手なお子さんには

「おっ!すごい!さすがに、君は、人生の指導者の風格が、出てきましたね!」

と言ったりします。

 

(子供クラスの事で、大人クラスでは、違います。厳しいです。

和気藹々とした中ですが、何故出来ないか、問題点は何かを、指摘合います。)

 

しかし褒め方にも、今後は工夫が必要です。これは今日の元教諭の話題でした。

結果重視のお子さんもあれば、過程重視のお子さんもある。その持っている価値観に合った部分を褒めないと、効果が小さいとのこと。

なるほど!

とにかく、欠点を指摘される・修正することは、ある面、苦痛です。

良い点を指摘され、欠点を包み隠すことは、だれでも喜んで受け入れますね。

武道教育の場でさえ、この程度のことはできます。

なぜ学校教育の場で、誉め合いの実践・優しさの循環が、なかったのでしょう。

本当に残念です。かつてイギリスのサッチャー元首相の行った教育改革、それ以上の教育改革が、日本に必要と考えます。

 

褒めるべきツボをタイミングよく褒め、やる気を引き出すことが大切。今回は褒めることが話題ですが、褒めると同等に大切なのが叱ることであることを、付け加えておきます。

ともかく!

青は藍より出でて、藍より青し!

楽心館より出でて、楽心館より優れた人材が育てば、目的を達成する。

「出藍の誉れ」です。

 


可愛い子には旅をさせろ:台風の中へ (後方受身 写真) [素心]

夜6時30分スタートの子供クラスへ、自転車で15分の道のりを、小二の男の子が一人で通っています。さすがに今晩は台風4号上陸に伴う強風だし、お休みされるのではないか?そう思って道場の外で待っていた。

しかし、黄色の合羽を着た男の子は、いつもの時間に到着しました。

 

私:「良く来たね!」

男の子:「・・・・・・」

私:「一人で来たのかい?」

男の子:「・・・・・・・」(上目使いで私を見ると、コックリ頷くしぐさ)

男の子はカッパを脱ぐと、持って来たビニール袋へ入れる。

私:(稽古着はびしょ濡れだ。寒くないだろうか)。男の子にとっては、これは当たり前のこと。平気で道場に入るなり、鬼ごっこを始めた時は、別人格の表情になっていました。

 

このお子様は、自閉症なのです。

 

こんな夜は、中学生であっても、車で保護者様に送り迎えしていただくのは、普通のことです。私も息子に対して、小学二年生の時、一人で行かせただろうか?恥ずかしながら、そのようなことはしたことありません。

今日、話題のお子様の保護者様には、お考えがあってのことと考えます。

 

可愛い子には旅をさせろ

 

察するに

「この子には、たとえ障害があっても、時期が来れば社会の人々の中に馴染んで、職業を確立させなければならない。そのためには武道教育の環境下で、心のみならず身体接触も多く経験させ、人々と関わりあうことに馴染ませたい。

さらに、自分で通わせることの意義。

子供の頃、暗い夜を風雨の中も、一人で通った。その経験の重さ。必ず社会人になった時に、この子を支えることだろう」

 

保護者様はこの台風下の夜、どんな思いで、この子の帰るのを待ったでしょう。

そして何と言って、迎えたのでしょう。

きっと、普段通りに

「御帰りなさい!」

だと、思います。

なぜかって?

この子は、とても当たり前で、平気な様子なんだもの!

 

アー!たまらん。ここまで書いたら、泪が出てきちゃった。

 

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優しさは循環する [素心]

楽心館にも、相当の猛者、困った子ちゃんが、たくさん参加します。私も若い頃は、今も少しそうかな?教え込むタイプなので、一生懸命叱っていました。怒ったことも多々あると思います。

さすがに年取ると、エネルギーも落ちますし、丸くなったのかな。叱っていられないので、

 

「可愛いーィ子だな!良い子だな!」を、繰り返すばかりです。

 

そんな毎日ですが、今日は、こんなことがありました。

一人の困った子さんが、

「館長先生も!可愛いよ!」

すると、もう一人の困った子さんが、

「うん!そうだ!館長先生も可愛いよ!」

と、言ってくれました。

 

こんなことは初めてだったので、反省させられました。

今日はこうして、優しさが循環しました。しかし逆もまた真なり。

これまでの怒りは、どこかへ連鎖していたのだろうな。 もちろん自分に。


タグ:優しさ

子供の自立:手にした糸を緩めないと、凧は天高く上がらないよ [素心]

 Nさんは、来年中学受験の男の子を、お持ちです。反抗期のお子さんに、動機付けしながら、勉強へ誘導するのに、御疲れのご様子でした。まだ幼かった頃の坊やの思い出を語りだすと、ポロポロと泪を流し始めたのです。

  御母さんが留守中のこと、御宅へ友達を連れてきて、遊んだそうです。散らかしたままの家を見て、御母さんは言いました。

:「御母さんは、この御友達とは、あまり遊んで欲しくないな?」

すると坊やは

:「僕の友達を決めるのは、御母さんじゃないでしょう!」

と、毅然と答えたそうです。

:「あの子の方が姉より、しっかり生きていくかもしれない」

と、言うやいなや、泪ポロポロ、絶句なのでした。

そして私は、

「子供が自立するために、親に反抗するのは良いこと。そのとき親はどんどん離して、糸を伸ばしてあげないといけないよ。手にした糸を緩めないと、凧は天高く上がらないよ。

贐(はなむけ)も「馬の鼻向け」というように、方向さえ正しいことを確認すれば、いいんだよ。」

 

他にはない自分の特別なもの、持ってるか?

だったら自分の責任で、選んで生きてゆけ!


タグ: はなむけ

いじめ:会津 什(じゅう)の教え(掟) 5.弱いものをいじめてはなりませぬ 傍らには会津藩の誇り高き父が見守っている。 [素心]

  • aikijpaikijp「保科正之 継承される「ならぬことはならぬ」 産経新聞より」合気は会津の教えだから、玩味租借すべき言葉ですね。 http://t.co/BLkaOtoB05/17 08:17
  • aikijpaikijpAikido Photo Today: 黄金の釘一つ 風鈴一つ | http://t.co/oSHJlYg205/17 22:11

「什(じゅう)の教え」

 昔、会津藩で子供に教えていたと言う「什の教え」。

 会津藩では藩士の子弟を教育する「什(じゅう)」という組織があり、6歳から9歳まで10人前後の集まりで、年長者が一人什長と呼ばれるリーダーとなった。什では毎日順番に、仲間の家に集まり、什長が七か条の「什の掟」を訓示する。

 最後に「ならぬことはならぬものです」で締める。

1.年長者の言う事にそむいてはなりませぬ
2.年長者にはお辞儀をせねばなりませぬ
3.うそをついてはなりませぬ
4.卑怯な振る舞いをしてはなりませぬ
5.弱いものをいじめてはなりませぬ
6.戸外で物をたべてはなりませぬ
7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
8.ならぬことはならぬことです

  どんな場合でも大人は口出しせず、子供たちが「会津武士の子として名誉を汚した行為」を自主的に反省した。

(じゅう)は、会津藩における藩士の子弟を教育する組織。同様の組織に薩摩藩の「郷中」がある。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%80_%28%E4%BC%9A%E6%B4%A5%E8%97%A9%29

 

 

いじめは、なくせるのか?

いじめは、世界中に蔓延している。「海外いじめ対策」とか「いじめ・イギリス」などと国名を入れ替えて検索すると、様々な情報が得られます。

子供世界だけではない。学問も政治も、有名人はことごとく、一度しくじると、マスコミによる袋叩きにあう。

かく言う私はいじめたこともあり、いじめられたこともある。 いじめは、なくならない。

 

民族分割統治(分断統治)

現在、問題になっているのは、

大津市のいじめ自殺が、最近話題になったものが二件目であること。

それぞれの隠蔽に、教育委員会が積極的であったこと。

一件目いじめ殺人被告家族に警察関係者が絡んでいて、二件目はその余波で捜査が遅れたのではないかと疑念をもたれていること、

などです。

そして究極は、教育委員会の独立性が、強すぎること。それは歴史を遡って、

GHQの民族分割統治(分断統治)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BBにゆらいすること。

(日本の分割統治計画http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%86%E5%89%B2%E7%B5%B1%E6%B2%BB%E8%A8%88%E7%94%BB

政治的に独立した組織を作り、そこへイデオロギー・同和・民族の利権の入れたことが、問題なのです。

1、組織と思想の教育改革を徹底的に行う。

2、地域社会に、「弱いものをいじめてはなりませぬ」・「ならぬことはならぬことです」感覚を、復活させること。

大切だと思います。

 

 

腰引さんから、感想が送られました。 

通勤電車で本を読むのが日課なのですが、
什の教えのブログを読んだ次の日に偶然にも保科正之の事が本にでてきたのです。

私は保科正之という人を知りませんでした。

あっ、先生のブログにでていた名前だっ!

会津藩の祖、保科正之は二代将軍秀忠の子である。会津藩と幕府の間は、こうした深い関係が昔から結ばれていた。
会津藩は将軍の為、天皇の為と殿様家来が一丸となって働いた。
新撰組への給料も後には幕府からでるようになったが会津藩がまかなっていた。
こんなくだりでした。

池波正太郎の小説、幕末新撰組の一節です。

楽しみで読んでいる小説から思わず勉強させて頂きました!

会津藩の子は6才から子供同士でお互いを戒め合い、制約の中で理性を養っていったのですね。

傍らには会津藩の誇り高き父が見守っている。


背筋がピンと伸びた大きな大きな背中だったんだろうなぁ!

現代のお父さん、背中丸くなっていませんか?

石川先生の背中はいつも真っ直ぐ伸びていて、美しいですね。

ゆるぎない中心軸ができれば美しい背中になれるということでしょうか?


背中美人めざして頑張ろー!


タグ: いじめ

Aikido Photo Today: 黄金の釘一つ 風鈴一つ [素心]

昨日の中野の稽古へ、モロッコからの訪問者がありました。母国とフランスで通産10年、合気道を稽古しているそうです。

アフリカの方が、日本人と同じように、あるいはそれ以上の丁寧な所作で、道場へ入場されました。私が「どうぞ足を崩してください」と何回か繰り返して始めて、正座姿勢を崩しました。

武道が、格技としてのみならず文化として伝わっていることに感心するとともに、見知らぬ指導者達のご苦労を想像してみました。

 

劫初(ごっしょ)より

作り営む

殿堂に

我も黄金(ふがね)の

釘一つ打つ

私が大学生の頃、大隈講堂で 足立大進 老大師(栽松軒 慈雲 臨済宗円覚寺派本管長)の公演を拝聴したことがある。そのときこの歌を引用されていました。

自分も釘一本なりとそれに打ち込み、その営みにあずかりたい、しかし、それは錆び釘ではなく、黄金の釘でありたいという気概です。

あの日から30年も、過ぎたんですね。

たとえ小さな存在であったとしても、何かは出来る、可能性はある。今はそう思っています。

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今日は初夏の暑さ。

省エネ第一弾は、道場に風鈴です。

たとえ小さな風鈴でも、チリリーんと、高い音で鳴っていますよ。


別れの季節1:高校受験準備のため、卒業しました。「次は勉強でベストを尽くせるように・・」 「日の丸の精神で、頑張れー!」 [素心]

平 指導員のブログで

祝 昇段

と紹介された中学三年生。

http://aikido-ojisan.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/04/post_262e.html

御母さんと本人から、私へ手紙が届きました。

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本人 

6年間本当に御世話になりました。私はとても短かったように思います。合気道はお休みさせていただきますが、次は勉強でベストを尽くせるように頑張ります。

また高校に入ったらやりたいと思っているので、その時はまたよろしくお願いします。本当にありがとうございました。

kumi

私から、kumiさんへ

振り返ると短くも感じますが、私と稽古し始めた頃は、可愛らしいお嬢さん。フッ!と呼吸投げで崩すと、泪目になって歯をくいしばっていました。

中学生になってバレー部に入っても、良く稽古を続けました。

辛いことも、ありました。これからもあるでしょう。

そんな時は、日本の国旗「日の丸」を見て、その意味を考えてください。

「日の丸」は「霊(ひ)の丸」です。

霊(ひ)とは、読んだ字のとおり、宇宙から与えられた命・霊。

丸とは、全てが繋がって端がないことです。プラスもマイナスも、楽も苦も、因と縁も、生も死も。繋がって、始まりも終わりもないこと。

私たちは、この世界最古の国家・民族の歴史の中に、ある意味があって生まれてきました。貴方もこれから、学生としての本分・社会人としての本分・女性として、そしていつか妻として・母として。

折々の本分・役割を果たしつつ、自立した人としての役割を、達成して行くことでしょう。

そして同じことを、次の世代に伝えていくのです。それが先ほど言った「ある意味があって生まれてきた」、複数ある答えの中の一つであると思います。

貴方は 「次は勉強でベストを尽くせるように・・」と、仰せになりました。ご立派です。

次もある、その次もある、そしてさらに・・・・。全ては、入り身になることから、始まり繋がっていいきます。頑張ってください!

 

日の丸の由来


タグ:日の丸
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警察:人の振り見て我が振り直せ [素心]

稽古の格言に

上手は下手の手本なり。下手は上手の手本なり

という。これは世間的には、

人の振り見て我が振り直せ

他山の石以て玉を攻むべし

と同じ意味です。

初心者の女性に、受身を指導していた時のことです。

私:「後方受身をする時は、頭を打たないように、お臍を見続けるといいですよ」。と、定型句のような、御決まりの説明をした。

ところが。

その女性は、追跡ミサイルが目標に方向を定めるように、私の下腹部を凝視している。

私:(理解不能?何が起きたの?)

女性:(それでも受身の度に、私の下腹部を凝視する)

私:(えっ?どうしたの、真剣ですか?恐怖!)

女性:(それでも受身の度に、私の下腹部を凝視する)

私:(ついに)「どうしたんですか?」

女性:「先生のお臍を、見ているんです?」

私:ガクッ!(恐怖氷解)。固定観念も、氷解。あー、そうかい!自分の指導が、悪かったのだ。

下手は上手の手本なり!という。

さて話題は、警察不祥事です。稽古中も会員の皆さんとは、有意義なコミュニケーションを、させていただいている。警察庁職員の方との会話です。

*先週

私:「今週は何かあったかね?」

警:「はい、女装をした警察官が、男性の松茸を、露出する事件がありました!」

私:「それは私も、ニュースでチェックしたよ。やったね!」

警:「職場でもいつも注意喚起が、繰り返されますが。さすがにここまで落ちると、言葉がありません!」

*今週

私:「今週は、何かあったかね?」

警:「警察官が、女性の髪の毛を舐める、というのがありました!」

私:「少し想像を超えるね。真面目すぎるほど、ストレスも強いという、戒めでもあるね」

警:「ちょっと、言葉がありません」

私は時々、彼に号令掛かりをしていただいている。

「警さん、やって?」

警: 「御互いに、礼!」

ど迫力である。みんなぴりとっする。

警察官の職場の緊張感が、伝わってくる。

大半の職員は、こうやって働いているんだ。これが、本当でしょう。

人の振りみて我が振り直せ、ってことさ。


タグ:警察

大道と小道(径こみち)  [素心]

大道、大いなる道を行くか?

小道、すなわち脇道を行くか?

どちらを選びますか。

どっちでも、いいですよ。

小道については論語に、「行くに径(こみち)に由らず」という古語があります。

「近道に見えても、脇道を行けばやがて行き詰まる。常に大道を歩く。正々堂々としたおこないをすべきである。」という戒めです。

だから、

物理的に広い道はいいとか、寄り道脇道が悪いとか、の話ではない。

心に正々堂々があるべし、ということ。

これを山岡鉄舟居士は、

晴れて良し 曇り手も良し 富士の山

元の姿は、かわらざりけり

と仰せになりました。


タグ:正々堂々

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